昨年の11月3日の土曜日に三島のの山中城跡に行ってきました。


 早朝に、JRの休日乗り放題切符「2600円」を買い地元を出発しました。

途中、JR清水駅に途中下車し、駅前のお店でビールを軽く飲みながら

海鮮丼に舌鼓をうち、JR三島駅からバスで山中城跡に向かいました。


 この城跡は、国指定の史跡になっており美しい障子掘が見られる

ことで有名です。



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 以下、案内板からこの城跡の説明を引用します。


 史跡山中城は、小田原に本城をおいた北条氏が、永禄年間(1560年代)

小田原防備のため創築したものである。やがて天正17年(1589年)豊臣秀吉

の小田原征伐に備え、急ぎ西ノ丸や出丸等の増築が始まり、翌年3月、

約4,000人の山中城守備軍は、約17倍の豊臣軍総勢67,000人に包囲され、

わずか半日で落城したと伝えられる悲劇の山城です。


 この時の北条方の守将松田康長・副将間宮康俊の墓は今も三ノ丸後の

宗閑寺境内に苔むしている。


 昭和48年度より、三島市が史跡山中城跡の公園化を企画し、すべての

曲輪の全面発掘に踏み切り、その学術資料に基づき手環境整備した。




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 その結果、戦国末期の北条流の築城法が次第に解明された。特に障子堀

や角丸出、屈強スロープの通路や土塁など見るべきものが多い。


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帰りにバスの時間を待っている間に、城跡入口前の売店で買った寒ざらし団子を

食べる。


JR静岡駅で途中下車し、公開したばかりの映画「のぼうの城」を観て帰路に就く。

充実した小旅行でした。








 金曜日に名古屋の開業塾同期生と新年会を楽しくやって、土曜日の午前中に名古屋城見物に行ってきました。地下鉄『市役所』駅の7番出口から公園を歩いて二の丸から本丸へ、さすがに「尾張名古屋は城でもつ」と言われるだけあって、非常に美しいお城です。金の鯱がまぶしかったです。


 本丸御殿は、復旧工事中で完成が2018年というからまだ6年もかかるそうです。名古屋城そのものは、戦後再興されたコンクリート製なので、中身はエレベーターがあって少し興ざめしました。でも、中の展示は見ごたえがあって結局1時間以上いました。本丸御殿に関する展示が多く、寄付金集めのためとはいえ県外出身者としては、もう少し御三家筆頭尾張藩のこととか、徳川義直さんのこととか詳しく知りたかったです。


 名古屋城の瓦は青銅製なのですかねー。あの見事な緑色の屋根が印象的でした。デジカメを忘れたので携帯で撮ろうと思ったのですが、携帯からパソコンにデータを転送する技術を持っていないことに気づき止めました。これからは、プチ旅行でもデジカメを忘れないようにします。


 帰り道に、二の丸跡地で戦国武将隊なるイケメン軍団とキャピキャピギャルの写真撮影会みたいなイベントがやっていて、ゲームの影響からか「歴女」が増えているんだというのを実感しました。最後に、名古屋城の堀切と石垣の素晴らしさには圧倒されました。


 お昼になったので、隣の愛知県体育館の食堂で味噌カツ定食を食ってきましたが、ちょっと肉が柔らかすぎる感じがしました。でも「八丁味噌てなんでこんなにうまいんだろう」と思いました。あ、それと学生時代に学食で毎日のように味噌カツ定食を食べたのを思い出しました。


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 大河ドラマで浅井長政がお市と3人の娘と永遠の別れをした黒金門跡を経て、

少し登るといきなり広い空間に出る。大広間跡地だ。山の上とは思えない広い

空間にびっくりする。



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本丸脇道を少し下ったところにある浅井長政が自刃した重臣の赤尾屋敷跡。

長政は、黒金門から秀吉軍に最後の攻撃をしたが本丸への退路を絶たれ、この地

で壮絶な最後を遂げた。そっと、手を合わせる。



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やっと日本5大山城のひとつ「小谷城本丸跡」に到着。


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 本丸の下は大石垣で覆われている。織豊時代以前に建て

られた中世の山城でこの石垣は立派である。


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本丸と中丸の間を断ち切る巨大な堀切。浅井軍と秀吉軍の

激しい攻防の舞台になった。 



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 羽柴秀吉は、長政の父久正が陣取る小丸と本丸にいた長政の連絡を分断するため

に中間にあるこの京極丸を最初に攻め落とした。