記憶が人々を繋いでいる | 不幸のブログ 

不幸のブログ 

三次元と四次元の狭間 に関しての記事と生命の科学と宇宙の法則
について語ります。

もしかしたらブログコメントが書いても反映されない

状態になっているようです。


三日ほど、エロサイトの迷惑コメント含めて

一切のコメントが俺には確認できていません。


もしも書き込みしてくれた方いたら

ご了承下さい。


無視しているわけではなくて

俺の管理人ページに反映されていないのです。

(消えてる可能性が高いのです)


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今日も朝からマイクロ波の攻撃。

今日も一日一食の生活か?


そして例によって薬品も撒かれています。


今こうしている間もマイクロ波の照射は

とまりません。


水分は補給するようにしていますが

固形物は時々菓子を摘む程度。


気持ち悪い思いをするよりは

空腹の方が気分が良いのです。



昨日は昼間に久しぶりに他の被害者の方と

出かけたのですが、


何やらVIP待遇ありがとうございました。

こんなちっぽけな俺にそこまで執着してもらって

何やら自分が大きくなったような錯覚を起こしています。


自動車からも眼を飛ばされまくりました。

そう言えば久しぶりに沢山の88ナンバーの自動車に

取り囲まれていたのは唯の偶然ではなさそうです。


昨日の付きまといは

珍しく日本人っぽい人間が多かった。


本当に色んな人間達が動いているんですね。

昨日も一日中マイクロ波攻撃です。


場所を変えた某ファミレス。

時間は3時過ぎていて人もまばらだったのですが

俺達が入るとすかさず後から人が増えだしました。


科学力の関与は、

いつもは外に出た方が随分ましになるのですが

昨日は場所を変えても結果は似たり寄ったりでした。


加害者の皆さん、尾行とか付きまといはもっと上手にやらなければ

相手にはプレッシャーも与えられませんし

気が付かれてしまいますよ。


はっきりと俺を意識しているような

演技の下手な人間は付きまといには不向きです。


帰る時にトイレから出てきた従業員が愛想も使わずに

俺の横を鼻を鳴らして通り過ぎていきました。


深く洗脳されている末端の人間に

何を言っても無駄なことでしょうね。


俺は自分を狙うよう指揮している

幹部クラスの人間と話をしてみたい。。


大体が文句があるなら自分が直にやってくれば良い訳で

知識も思考能力も足りないような人間を

送り込んで来たところで

嫌がらせにしかならないことはわかると思うのですが。


まあ、骨のある人間が

こそこそ他人を付けねらったりはしませんよね。



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そう言えば元厚生労働省事務次官殺害事件の

小泉被告。


FC2時代にその件について数回記事を書きましたが

彼は俺と同じ匂いがします。


会社時代の姿と現在の姿が

あまりにもかけ離れては居ますが

彼は組織的犯罪の元被害者の可能性が高いです。


そしてあの事件は決して彼一人の意思による犯行ではなかった。。

直接手を下した人間が彼一人であっても

絶対に後ろにはどこかの組織が居るはずです。


又近日記事にします。



日本を少しでも良くしていきたいと切望している方
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私のような科学力による被害を継続して受けていると

その影響で記憶障害のような症状が出ることがあります。


記憶障害といえば大げさかも知れませんが

記憶の一部が消えていたり

物忘れが激しくなったかのような状態は

困った事に頻繁に起きます。


そしてとりわけ酷いのは、短期記憶と言われるものが

どうやら長期記憶へと移行し難くなっているらしく


頭に対して科学力による関与が強くなったらしき時期からは

見た映画の内容さえ記憶が殆ど薄れてしまう事もあるぐらいです。


でも実はこの記憶というものは

人間にとってとても大事なものだと思います。


単に体験した事を忘れてしまう弊害というレベルの話でなくて、

例えばその人間の頭の能力にも関わってきますし、

そして究極的には人間関係にも影響してくると思います


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記憶力が減退がそのまま学習能力の

低下に繋がる事は言うまでもありません。


覚えた単語、覚えた公式が吹っ飛んでしまえば

勉強も捗りませんし、テストでの成績も良くはなりません。


そして、知識や体験した事を脳に蓄積する行為は

とても重要なもので、


その後の判断や行動や思考の形成にも

記憶が脳から引き出されてきて利用される事を考えれば

記憶力は良い事に越した事はないわけで


記憶が人間の行動に

実は大きな影響を与えている事は

間違いない事実です。


そして行動が記憶によって影響を受けるという事は

逆に言えば人々の記憶を変化させることで

人間の行動をある程度は操作するのも可能だという事になります。


(記憶が悪くなると視野が狭くなるはずですね)


実の事を言えば、

私は人間が家電から受けている超低周波のような存在や

携帯から受けるマイクロ波のような存在が


私達人間の脳に、しいては行動に

少なからず影響を与えている可能性を感じています。


それが私の杞憂なのか

それともユダヤの確信犯的行為なのかは

勿論判断することは出来ませんが。。。。


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ユダヤが一般市民を管理するための手段の一つとして

現在も進行しているものの中に、

人々を皆孤立化させるという計画があります。


要するに友人と友人、更には家族や夫婦間、

そんな人間同士の絆を断ち切ることで

人間を孤独な大衆に仕立て上げ

それによって管理しやすい状況へと導くというものです。


人々が信頼し合い、そこに結束が生まれる。。

そんな状況はユダヤ管理社会の実現のための

大きな妨げになります。


同じ目的、同じような意思を持つ人間が

協力し合うような社会は


時には反ユダヤ的な組織すらそこに作り上げていく

可能性があるからです。


ユダヤの望んでいるのは人間同士の結束ではなくて、

家族の中での個人個人が

組織に対して一番の忠誠を尽くすような状態にする事。


要するに人間同士、家族同士の関係よりも

組織への忠誠を重視する人間を作り出す事です。


人間一人一人の存在は

とても小さいものです。


経営学の導入で、

分業による協業で生産性が高まり

その結果作業の効率が上がったという

共同社会の発展が記されていますがまさにその通り。


例えば重いものを持つ作業。

200キロの重さの物を動かすような作業を考えると

通常は一人では何時間かけても動かすことが出来ませんが

数人で動かせばそれは短時間で終わります。


つまり一人では不可能な作業も

時には人が多く集まる事で処理をする事が可能になるわけで


それは人間同士の協力体制が

大きな事を成し遂げる原動力になる可能性を示しています。



そしてそれをユダヤは恐れているわけです。

逆に言えば一人一人の人間は限りなく無力です。


ユダヤは一人一人の人間が無力である事を望ましいと考え

ありとあらゆる手段で人間同士の絆を今も断ち切っています。


そして彼らは人間を個々に支配したいのです。


会社の同僚同士の関係であれば

会社の業績が悪化することでリストラの危険性が生まれれば

それで本来仲間だった人間同士に競争心を植えつけます。


今の社会では、自分が生きるために必死になる事が

結局は他人との連携を妨害する事になるわけです。



家族の絆は核家族化で先ずは大きな崩壊がありました。


昔の日本人は、一族がその家系を守るために

時には協力し合って生きてきましたが


今ではその守るべき家系なるものすら

見当たりません。


相続の変更が維持すべき家系なるものを分解し、

実質的にその殆どを消し去ってしまったのです。



そして更には男女の平等。。

とても良い響きですが本来男性と女性は

それぞれ役割を分担して協力していたような関係です。


その両者の区別がなくなった事で

今までの夫婦間の分業が、別個の単独作業になり

分業協力体制は消えました。


子育てと言う作業も正常に機能しなくなり

下手すれば今では子供は

「親が居なくても育つ」

状態。


そこに祖父や祖母でも居れば

未だ結果は違うのでしょうが

すでに核家族化でその関係は壊されています。


これではよい家庭環境が築けるわけがありません。


そしてそこにあるのは共同作業ではなくて

個々の人間同士の同居関係。


家族の絆もどんどんと薄くなります。


日本よりも以前から

男女平等が叫ばれていたアメリカでは

離婚率が75%。


日本もいずれはこれに負けない状況へと

変化していくと想像しています。


男女差別はいけませんが区別や役割分担は

日本社会にとって必要なものでした。


でもエセフェミニストの影響や社会状況の変化が

その役割分担を崩壊したのです。



更に子供と親の関係です。

両親が共稼ぎになり子供と交流もとれなくなり

一方学校では日教組の危険な教育が進んでいきますから


子供は親を尊敬することも無くなれば

ありがたい存在だとも思うこともなくなります。


親は教育の行き届かなくなった子供の成長も、

その心の変化も把握する事もできなくなり

子供も親の言うことを聞かなくなる。


そして子供が成長して

自ら金を稼げるようになれば

扶養から独立するのと同時に親との縁も薄くなるでしょうね。


そんな環境がユダヤによって作り上げられている。

そして日本も見事にそれに嵌っている。。


でも今の日本を見ていると

人々の絆はそれ以上に凄まじく断ち切られているように見えるのです。


そしてそこにはもっと別の要因も働いているのではないかと

推測しています。


そしてそこに関わってくるのが記憶ではないかと想像しているのです。

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人と人との関係は

過去において作られた


その人間同士が共有した時間によって

成り立っています。


その時間は人と人との間の歴史と言っても良いかも知れません。


そしてその歴史は人々の記憶に留まり

その人間の印象や好感度にも繋がっていると思います。


一緒に何かをした。

その時にこんな話をした。

その話に好感が持てた。。


人と人とが仲良くなり信頼しあうきっかけは

そんなところから始まります。


そしてそんな小さな記憶の積み重ねが

人と人との絆を作りあげていくと思います。


でも、もしもその記憶自体が

消えてしまったら。。。


楽しい時間をすごした記憶。

共に何かを成し遂げた記憶。


友人や同僚や家族と時間を共有し

絆を深めることになったその記憶が


私達の脳からどんどんと薄れるような事になったら

人間同士の関係は一体どうなっていくのか?


そんな事を最近は良く考える事があります。


お互いが共有する記憶があるから

そしてそこで培った絆があるから


人と人は信頼関係で結ばれ

人と人との間には友情や愛が存在している。


という事はもしもそこが断ち切られるような環境が

出来上がっていたとしたら一体どうなってしまうのか?



ユダヤが実は目に見える政策以外にも

実は裏でそんな事までも想定していたとしたら。。


人間同士の絆は

時間の経過と共に今後もどんどんと断ち切られていくことに

なるのでしょうね。


そしてこのままこの日本を今の状態で放っておくと

それこそユダヤの思い通りの世界になってしまいます。



友人と共に語り明かした学生時代の記憶が薄れる。。


結婚前に心ときめかせて

妻を命がけでデートに誘った記憶が薄れる。。。


生まれてくれてありがとうと

子供のうぶ声を聞いて笑っていた記憶が薄れる。。。


もしかしたらそんなささやかな思い出を忘れてしまうことだって

人間関係の絆を薄くしてしまうものなのかも知れません。


人と人との絆は記憶の中にこそ存在しているのです。


その記憶が薄れてしまって、それが原因で

人間同士の絆が薄れているとしたら

とても寂しい事ですよね。


それを補うことが出来るのは

人への思いやりや真心?


厳しい環境に置かれても

決して心だけは貧しくならないで生きて行きたいですね。


心の貧しさは人との関係をも

崩壊させてしまう物だからです。



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P.S.




困った事に、楽しかった思い出に負けないぐらい

嫌なことは忘れられないものです。


嫌なことが多すぎる今の社会では

記憶をさっさと捨て去ってしまう脳のメカニズムでも

出来ているのかもしれません。


そしてその時に他人との記憶も忘れてしまえば

人間同士の絆も弱くなってしまうのでしょうね。



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