おはようございます

かたつむり主婦起業のMOMOです


よく、この世の中は、
あらゆるものが中庸を保っていると言われています。

最終的にはプラスマイナスゼロになるという考えです。


いいこともあれば、悪いこともある。
その総量は同じと言われています。

1つの出来事の中だけでも、いい面とよくない面があり、
どこまでも物事はニュートラルだとも言えます。


そんなこと言っても、
運がいい人も悪い人もいるじゃないかと

以前は私も思っていました。


でも、よくよく観察してみると、
確かに世の中はニュートラルなのです。


「人間万事塞翁が馬」という中国の諺があります。

買っていた馬が逃げていった時に
持ち主の老人は残念がることもなく、

「このことが幸福にならないとも限らない」と言い、

逃げた馬が良い馬をたくさん連れて帰ってきた時に
「このことが災いにならないとも限らない」と言い、

息子がその馬から落ちて足の骨を折ると
「このことが幸福にならないとも限らない」と言い、

やがて戦争が起きた時に、
足を怪我していた息子が戦場に行かずに無事だった、

というような話で、いいことと悪いことは、
それ単体では分からない
ことの例えとして使われます。


私も以前、育児ストレスから産後うつになり、
すべてのことに対するやる気がなくなり、
自分が生きている価値などないとまで思っていた時期がありました。

また、隣家の母親が自分の子どもを虐待死させる
という出来事にも遭遇しています。


これらは、「よくないこと」でしょうか?

それ単体で見るとおそらくそう思う人が多いと思います。


でも、それらの出来事があったおかげで、
核家族の孤独な育児の弊害、
母親の育児ストレス、経済的な不安に対する打開策など
自分のすべき役割が見えてきて、起業の原動力になったのです。



平穏無事な家庭生活のままだったら、
おそらく私は一生起業などしなかったでしょうし、

多くのママたちを笑顔にしようという
活動も思いつかなかったと思います。


そう考えると、とてつもないマイナスの出来事から、
とてつもないプラスのエネルギーが生まれていると考えられます。

お金持ちの多くが、多額の借金を経験し、それを返していたら
大金持ちになった、という例は枚挙にいとまがありません。


よく、人に与えたら、
自分の取り分が減ってしまうのではないか、

と心配する人がいますが、そんな時こそ、この法則を
思い出すといいのではないかと思うのです。


最終的に収支は合うのだから、先に与えれば後からもらえるのだ、と。

(本当は、相手想いというのは、そういう意味ではないのですが、
この考えもあながち間違っていないので、ここでは例としてあげてみます)


もしくは、人に与えるというのは、ロウソクの炎のようなものだと
私はいつもイメージしています。


自分の燃えているロウソクの炎を、

まだついていないロウソクに分けると
自分のまわりがそれだけ明るくなります。


自分1人の時よりも、炎を分けていくとどんどん明るくなって
自分のことも照らしてくれます。

私の「与える」はどちらかというとそんなイメージです。

相手も自分も明るくする、そのために炎を増やしていく感じなのですね。


日本語のことわざ、
「情けは人のためならず」も世の中の真理だと思います。


「人に与えた情けはいつか自分に返ってくるのだから、
人に優しくしなさい」という意味ですよね。

返ってくる情けをあてにして、
先にやさしくしようという意味にとらえると

ちょっと計算高いようにも聞こえますが、

本来の意味は、
いずれ、めぐりめぐって自分に返ってくる」ということです。





【好評連載シリーズ「奪う人、与える人」】

第1回:あなたは奪う人?それとも与える人?

第2回:奪う人・与える人の言葉の使い方

第3回:「この人にどんなことをしてあげられるだろうか?」と自分に問う

第4回:人に与えるというのは、ロウソクの炎のようなもの

第5回:「与える」関係は、夫婦関係も良くする

第6回:ビジネスで成功するための「相手想い」とは