2024年(令和6)年1月21日-456号
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枯れ果てて、散るのではありません。
この世は、かりそめの宿-
ならば-春さらば-と、すがしく散る、
万朶の桜のひとひらにこころ学びたいものです。
今までも、このように生かされ、
そして、生きて参りました。
師 承真尼婆子の後ろ姿を追いつ、
婆子の踏み跡を行きつ戻りつ……。
ひたすらに生きようとする、
盲目的意思を感じながらも、
深遠な真理を未だ識り得ない我が身の、
自分の愚かさに、
明けることのない夜……「無明長夜」を憶います。
だからこそ、人は心の遍歴と軌跡の中で、
心の樹海を彷徨い歩くとも、
無明長夜を照らす生きる灯火を、
心の旅を開く鍵を、
人生の道すがらに求めようとするのです。
☆ 左藤無憂樹─生きる命をつなぐ蓮の絲……☆彡
vol.00456 2024年1月21日(日)配信
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2024年1月21日 散歩道にて
★………玻璃の波濤を 偲ぶれば 凛と咲き揺る 水仙の……
荒 ( あ ) れなむる
玻璃の波濤を
偲ぶれば
凛と咲き揺る
水仙の
幾星霜を
重ねても
北国(ほっこく)能登の
憶い出尽きまじ
2024年1月21日 詠
・Ave Maria /Giulio Caccini ・ Vladimir Vavilov
ジュリオ・カッチーニの《アヴェ・マリア》再掲
( 珠玉のピアノ曲…… )
https://www.youtube.com/watch?
☆彡・最新の今日のひと言
★…2024年1月21日 今日のひと言
玻璃の波濤を 偲ぶれば
凛と咲き揺る 水仙の……
◆いのちを詠ふ……佛教短歌
☆彡・ 憶いでの小筥から……今日のひと言
御目に留めて頂きましてありがとうございます。
憶いでの小筥から……等、実は、備忘録の意味もありまして、
載せて頂いております。
特に、仏典のことー等々は、どうぞ、今の言葉で言うところの、
スルーなさってくださいますよう。🍀🙏
★…2019年4月15日 今日のひと言
─もしも論敵の教えを承認しない人が愚者であって……
『スッタニパータ』
第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇880
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)
★…2019年4月16日 今日のひと言
─世の中には、多くの異なった真理が……
『スッタニパータ』
第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇886
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)
★…2019年4月17日 今日のひと言
─偏見や伝承の学問や戒律や誓いや思想や……
『スッタニパータ』
第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇887
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)
★…2019年4月18日 今日のひと言
─反対者を(愚者)であると見なすとともに……
『スッタニパータ』
第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇888
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)
★…2019年4月19日 今日のひと言
─かれは過った妄見を以てみたされ……
『スッタニパータ』
第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇889
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)
★…2019年4月20日 今日のひと言
─しも、他人が自分を(「愚劣だ」と)呼ぶが故に……
『スッタニパータ』
第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇890
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)
★…2019年4月21日 今日のひと言
─「この(わが説)以外の他の教えを宣説する人々は……
『スッタニパータ』
第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇891
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)
☆彡・こころの磨き砂
★…2014年2月13日今日のひと言
─ 一夜賢者の偈……
「人のいのちは幾 ( いくば ) くの間に在りや…」
◆煩悩即菩提-命の境涯……命の旅路
☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆
2024年1月21日 散歩道にて
1月21日
玻璃の波濤を 偲ぶれば
凛と咲き揺る 水仙の……
荒 ( あ ) れなむる
玻璃の波濤を
偲ぶれば
凛と咲き揺る
水仙の
幾星霜を
重ねても
北国( ほっこく )能登の
憶い出尽きまじ
2024年1月21日 詠
こころ塞ぐ日々を送りながらも、
皆さまのご活躍を、ほほ笑ましく、
時に、
「 まぁ、あれはそうだったのね…… 」
「 なるほど……がんばってね! 」
「……美しい佳人だけではなく、
博識でもあるのねぇ……
ご自分を磨いていらっしゃる……」
など等、
皆さまの憶いを込めた日々の歩みから、
元気の氣を頂いておりました。
ありがとうございました。
気がつきましたら、明日から2月。
暦の上の春が近づいておりました……。
北陸といえば、
お花好きの拙尼にとってのお花は、水仙……
日本海を吹き渡って来る、
容赦なく頬を打つ、
冷たい潮風の中にあっても、
凛として立ち咲く、水仙の一群は、
こころに響くものがあり、
若かりし頃、ひたすらに、
生意気にも、人生とは……等など、
無明の苦しみの中にも、光の出口を求め、
北陸の海岸沿いを歩いたことがありました。
その時に、水仙の、
いつ止むとも知れない、
ぶつかるような吹き来る風の中にあって、
潮風をまともに受けながらも、
激しい潮風に、
揉まれるように乱れ咲くひと群、
決して、
その可憐な花莟みが、
折れるようなこともなく……
その水仙の、
ひたすらに冷たい風中に咲く、
けなげな姿は、
まるで、頬に平手打ちされたように、
こころの裡底に打ち響き、
「……お前は、何をやってんだか…… 」云々
静かなるものの、
ー喝ーを貰った懐かしい憶い出があるのです。
合掌
・‥……─━━…‥…憶いでの小筥から……‥…━━─…‥‥
2019年4月15日
880
もしも論敵の教えを承認しない人が愚者であって、
低級な者であって、智慧の劣った者であるならば、
これらの人々はすべて(各自の)偏見を
固執しているのであるから、
かれらはすべて愚者であり、
ごく智慧の劣った者であるということになる。
『スッタニパータ』
第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇880
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)
☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆
4月16日
886
世の中には、多くの異なった真理が
永久に存在しているのではない。
ただ永久のものだと想像しているだけである。
かれらは、諸々の偏見にもとづいて思索考研を行って、
「(わが説は)真理である」「(他人の説は)虚妄である」と
二つのことを説いているのである。
『スッタニパータ』
第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇886
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)
☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆
4月17日
887
偏見や伝承の学問や戒律や誓いや思想や、
これらに依存して(他の説を)蔑視し、
(自己の学説の)断定的結論に立って喜びながら、
「反対者は愚人である、無能な奴だ」という。
『スッタニパータ』
第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇887
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)
☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆
4月18日
888
反対者を(愚者)であると見なすとともに、
自己を<真理に達した人>であるという。
かれはみずから自分を<真理に達した人>であると称しながら、
他人を蔑視し、そのように語る。
『スッタニパータ』
第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇888
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)
☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆
4月19日
889
かれは過った妄見を以てみたされ、
驕慢によって狂い、自分は完全なものであると思いなし、
みずからの心のうちでは自分を賢者だと自認している。
かれのその見解は、
(かれによれば)そのように完全なものだからである。
『スッタニパータ』
第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇889
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)
☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆
4月20日
890
もしも、他人が自分を(「愚劣だ」と)呼ぶが故に、
愚劣となるのであれば、
その(呼ぶ人)自身は(相手と)ともに愚劣な者となる。
また、もしも自分でヴェーダの達人・賢者と称しているのであれば、
諸々の、<道の人>のうちには愚者は一人も存在しないことになる。
『スッタニパータ』
第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇890
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)
☆‥…─━━‥………‥☆彡今日のひと言……‥‥━━─‥…☆
4月21日
891
「この(わが説)以外の他の教えを宣説する人々は、
清浄に背き、<不完全な人>である」と、
一般の諸々の異説の徒はこのようにさまざまに説く。
かれは自己の偏見に耽溺して汚れに染まっているからである。
『スッタニパータ』
第4 八つの詩句の章12.並ぶ応答─小篇891
中村元博士『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)
*あえて意訳を試みず。
合掌
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■ 「 こころの磨き砂 」
一夜賢者の偈……「人のいのちは幾 ( いくば ) くの間に在りや…」
砂時計の砂のように、
時は待ちません……。
過ぎ去った過去の呪縛にとらわれ、
自分を責めず。
まだ来てもいない、
不確実な未来を憂いて、
揺らぎ、翻弄されることなく。
この今にも、
時々刻々と、
絶えず、過去に流れゆく一瞬一瞬にも、
人のこころの傷みや、辛さに憶いをよせ、
いのちの重さを心魂に刻み、
新たな氣を取り入れて、
一日一日を精一杯生きることです。
日々新又日新
( にちにちあらたに またひにあらたなり )
2014年2月13日 早暁 詠
「 一夜賢者経 」というお経があります。
過ぎ去れるを追うことなかれ
いまだ来たらざるを念うことなかれ
過去、そはすでに捨てられたり
未来、そはいまだ到らざるなり
されば、ただ現在するところのものを
そのところにおいてよく観察すべし
揺ぐことなく、動ずることなく
そを見きわめ、そを実践すべし
ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ
たれか明日死のあることを知らんや
まことに、かの死の大軍と
逢わずいうは、あることなし
よくかくのごとく見きわめたるものは
心をこめ、昼夜おこたることなく実践せん
かくのごときを、一夜賢者といい
また、心しずまれる者とはいうなり
( 増谷文雄訳『阿含経典第五巻』)
過ぎ去ってしまったことを心配し、
まだ来ぬ未来を、あれやこれや心配する。
人間は、過去、現在、未来、
この三世にとらわれ、
自分を苦しめ、他人をも苦しめてしまうのですね。
自分もを含め、
世の中の姿。
世の中の一切のもの……。
この世の中というものは、
未来永劫に続くものはありません。
世は皆無常なり―を、心魂に刻まなければ、
出口の見えないトンネルの中で、
胸から下げた、
頭陀袋の重さに苦しみながら、
右往左往しているようなものなのです。
これを、しっかりと見極めること。
自分の心魂に、しっかりと刻むことです。
お釈迦さまの、
「 人のいのちは幾 ( いくば ) くの間に在りや……」との問に、
一沙門の
「 呼吸の間にあり 」……を。
どうしようにもない、
とらわれる心が、自分を縛っていたとしたら、
それを捨てることです。
放下着( ほうげじゃく ) と申しますが、
こだわる心、その心、
そのものまで、徹底的に捨て去る。
捨てるものがないという、
そのことさえ捨ててしまえ―という
禅の言葉です。
今なすべきことを、しっかりとなすこと。
そのためには、
頭だけで考えては、いつまで経っても考えが定まりません。
行動すること。
まずは、一歩、歩きだしてみる。
こんなものかな……。
いや、
こういう風にしたら、もっと、いいんじゃないのかな……。
などと、自分の心の声に素直になって、
歩きだしてみることですね。
何をすべきか、考えあぐねてばかりでは、
朝昇ったお陽さまが、西に沈んでしまいます……。
ただ今日なすべきことを熱心に行なう。
捨ててこそ、
本来の自分の立ち位置、
飾り気のない、
素の自分が浮かび上がってまいりましょう。
真ん中に立っているのか、
左か、右か……。
それとも、
立つ場所が無いのか……。
その身軽になってこそ、
捨てきってこそ、
この人生の旅の目的が、見定まるのではないか。
この人生の道に生きられるのではないか、と。
このように、私は憶うのです。
合掌
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☆彡・編集後記
★…御身お大事になさいますよう……不乙
※記事に掲載されている文章、和歌、画像は既に出版されている
ものもあり、無断転載・引用はご遠慮下さいますようお願い申し
上げます。どうぞ、おくみ取りくださいまして、
よろしくお願いいたします。