数珠といってもブレスレットではない | 魔法石の庭ver.2

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 私が今まで持っている数珠は、いわゆる丸い石を連ねただけの腕輪とは違うものでは、3つほどです。
 しかも、「普通の数珠」というものを持っていません。数珠といえば、皆さんはどういうイメージをされますか?そう、房が付いていて、片手に掛けられる数珠ですね。

 今、ほとんどの人が所持している数珠というのは、大半がこの「片手数珠」です。
 まあ、それには理由もありまして、数珠を首に掛けてはいけないという決まりがあり、昔の破戒僧を寺から追い出す際に108珠の数珠を首に掛けさせることだけは許したからとか、罪人がせめて来世では善人になれるようにと最後の情けで数珠を首に掛けさせたからだとも言われています。このブログでも何度かお話しましたね。

 また、片手数珠は、108珠の本式数珠とは違い、宗派に違いがないので、どの宗派でも使えるという、オールマイティーさでも重宝がられます。
 最近では、100円ショップでも売られているらしいですね。

 まあ、本当の仏教からしたら、「100円で買った数珠でも、何十万で買った数珠でも、信仰に差がないのならばどちらでもいい」という感じでしょうしね。
 日本の仏教の新米住職こそ、数珠にこだわり、色々な状況に合わせて数珠を使い分ける……なんてこともしています。そもそも、仏教の教えは「色即是空」。「全ては何もないというところから発生しているのだから、数珠が高い安いでは差別はしない」という教えになります。

 そういえば、昔、2chに生まれつき目の見えない人と交流するスレが立ったことがありました。
 その人からすると、神を触らせて「これは青だよ」と言われても、分かりません。でも、目が見えなくても夢は見るそうです。主に、音とか触覚だけですが。その人は女性のようですが、「月経が来たというのはどう分かるの?」という質問に、「予定日前後にナプキンを使っています」だそうです。

 江頭2:50の言葉で、こんなものがありました。
「生まれつき目の見えない人に、どうやって空が青いかを説明するんだ?こんなことすらできない俺は芸人失格だよ」と。
 なんか、江頭の言葉は、仏教にも通じると思っているんですがね。

 しかし、やっぱり物の良い数珠は、プロである僧侶からは分かってしまうようです。
 とある、売れば何十~何百万する数珠を持っている人の話では、その数珠を見た僧侶が生唾を飲み込むのを聞いたそうです。
 「言い値で買うから譲ってくれ!」という僧侶もいるそうで。

 さて、つらつらと数珠のことを書き散らしてきましたが、私は、いわゆるちゃんとした数珠は持っていません。
 ルドラクシャのジャパマーラーは、そもそもヒンズーの法具なので、仏教のお葬式にはしていけないでしょうし……。
 ヤクという聖なる牛の骨でできたと言われるチベット密教の数珠も、お葬式には持って行けないでしょう。

 で、数珠で調べていて、「これ、いいな」と思ったのが、「星月菩提樹」という木の実でできた数珠でした。
 でも、やっぱり、房はついていない数珠……。もう、あれですね。数珠はファッションです。
 
 で。なんでこんなまどろっこしいことを書いているのかというと、星月菩提樹で、108玉で、好みの数珠があったので、買ってしまいました。
 しかも、「糸魚川翡翠」が親玉に付いているので、なかなかいいんじゃないかと。
 お値段は結構しますけどね……。本当、私のお金ってどこから出てるんでしょう?自分でも何故破産しないか不思議です。
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