前回の図式を改訂してみた。
頭に浮かんだ認識を文章として記述した場合、その真偽、是非、不定(不確定性)を考慮すべき。
この不定(不確定性)は是非や真偽の対の判断にも用いる…。
また、対話や問答が認識を新たにしてくれるので、大切な要因であり、疑問を持つことが大切。
こうして、一つの認識が一つの因子に相応する。
そして、その塊(因子)には「データ、主張、論拠、反証、条件」といった位置付けを行う。
論拠は、その流れを強化する、興奮性ニューロンのようなもの。
反証は、その流れを減衰する、抑制性ニューロンのようなもの。
これに、シナプス前抑制やシナプス後抑制のような、論理の流れの中の連結する部位の違いがあり、作用の強弱が出てくるはず。
また、シナプス前抑制に対するシナプス前促通もあるに違いない。
あと、対象に対してポジネガや割合(%)を考慮することに加え、自己が属する集団の内か外かも加味することにしてみた。
おそらく、あとは、このネットワークこそが、論理的思考そのものなのだろう。
そのネットワークの中を、どんな風に論考が流れていくのか?
そんなことを考えていたら、夢の展開に似ている気がしてきた。
脳の中には、いろんな認識の繋がりがあり、その繋がりが予期せぬ形で繋がっていくのが、夢の世界。
夢と同じように、私には予期できない論理の展開がありうるわけで、より優れた流れを見つけ出すことができるのではないだろうか?
その流れを人工知能に探し出させることもできるだろう。
沢山の人間が想い創りだした論考の流れを集積し、その中からベストな組合せと繋がりを発見する…。
人間には認識したり自覚したりできない連結の夢のような流れ。
私たち人間は、みな同じ脳の構造で考え生きているわけで、その組み合わせは有限。
将棋の駒を動かしているのと、脳の中で選択していることは、実は、大差ない…。
駒の種類と動かし方の法則を確定できれは、あとは計算で、行列組合せと確率でしかない。