私たちが論考したり論理的に考えたりするときの状況を図式化してみたいと思う。
基本は「データ ⇒ 主張」であり、その論考因子に対して「条件」「論拠」反証」を重ねていく。
個々の論考の因子は文章で出来ているので、不要な部分を削ぎ落せば、主語・述語・対象で記すことができるはず。
この時に影響を及ぼすのが、ポジネガの印象であり、これを太極図を模した図形で表してみる。
また、対象が複数であるにもかかわらず、単一として思考してしまうことが多いので、この誤謬を防ぐために円グラフを模した図で象徴化しておこう。
この一連の流れの中に出てくる様々な因子に対して、是非や正誤のパラメータを加味していけば、論考の過誤を減らすことができるだろう。
さらに、こうして論考する際には、表裏の二面性と表裏の間の中庸や不定(不確定性)を忘れてはならない。
簡単に言うと、有り無しの表裏二面性と、有るか無いかの間に存在する「?」を論考することが大切。
この論考で良く出くわす誤謬は、日韓間の慰安婦問題にも見受けられる。
日本人は、慰安婦は、いなかった…と考える。
韓国人は、慰安婦は、いた…と考える。
しかし、「いた」と「いなかった」の表裏で論考できるはずはなく、必ず「?」や「不定」がある。
なぜなら、日本軍は、戦後に全ての資料を焼却処分し隠滅しているから、証拠が無いからと言って「いなかった」と論じるようなことは、誇りある日本人なら行わないからだ。
http://www.awf.or.jp/3/korea.html
だからこそ、心ある日本人は、行うべきことを行った。
その結果の言葉が下記のとおり。
以下、転載
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「日本政府から、私たちが生きているうちにこのような総理の謝罪やお金が出るとは思いませんでした。日本のみなさんの気持ちであることもよく分かりました。大変ありがとうございます」
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心ある日本人と心ある韓国人慰安婦の間では、既にお詫びと赦しの交流が済んでいるのだが、心ない日本人は「謝罪する必要はない」とし、心ない韓国人は「謝罪が足らない」とする。
このように、「?」の中の「%」の割合を考慮すべき。
日本人にも、韓国人にも、心ない人もいれば、心ある人もいる。
論考は「データ」に基づいて主張すべきなのは当然。
http://www.awf.or.jp/1/facts-07.html
日本軍自らが証拠隠滅したこと、なぜ証拠隠滅したのか?、終戦後なぜ日本はドイツのように事実「データ」をかき集めて、自分たちの正義を守ろうとはしなかったのか?…、私たちは心ある日本人として襟を正すべきだろう。
一人の財を成した慰安婦を見つけたからといって、全ての慰安婦が虐げられなかった論拠にはなりえないし、当時の新聞広告に高給での募集があったからといって、実際に働いた慰安婦が高給を手にしたとは限らない。実際に、敗走で捨て置かれたり、慰安所にも将校用や兵士用といったレベルの違いがあった事実も忘れてはならない。
中国本土からフィリピンに転進した部隊が起こしたスマラン事件(白馬事件)が単独の事件だったのか?、そのような行為を中国本土で日常的に行っていたからフィリピンでも事件を起こしたのではないか?、論考してみるべきだろう。
尖閣問題にしても同様。
日中は、双方の立場を鑑み、尖閣問題を棚上げしていた。
つまり、一世代前の日本人と中国人は、互いにいざこざを避ける知略と賢知を持っていた…。
私たち東アジアの住人は、今昔で、心ある人と心ない人の%が変わってしまったことを、憂慮できなければ、かつて経験した過ちの歴史を繰り返すかもしれない。
道理を取り戻さねば…。