予測と精神とその構造(その1) | クラスタ民主主義システム研究室

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☆学習とディベート☆ ☆ネットワークデモクラシーを夢みて☆ 
☆教育ディベートを推進しよう☆ ☆「complex system」で思考してみよう☆「ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室」からタイトル改題しました。 


久しぶりに連載しようと思います。


いろいろと考えていたら、今日は良いことがありました。母屋のお稲荷様を仰ぎ見る階段を上がっていると、真上に太陽が登っていたんです。一昨日の術後に貰っていたカフェオレを呑んで喉を潤しながら診察を一休みした後で同じ階段を下っていたら、今度は階段の真下に私自身の影が見えました。


輝きに魅せられる…、輝きに照らされて自らの影を見い出す…、これが人の道、人生の旅路なんでしょうね。


そういえば、先日から水の道(水道)を直していました。


母屋の風呂場に洗濯機を置こうとしたのですが、水道の蛇口が大きすぎて取水口を取り付けることができなかったので、自分で取り付けることにしたんです。ホームセンターへ行き、蛇口のナットを外して洗濯機の取水口のオスメスに合う金具を買って来て、自分で付け替えることにしました。


これが取り付け前の写真。


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温水と冷水の混合栓ですが、もう温水器は使っていませんし、冷水だけ廻して洗濯機に給水することにして、蛇口の部分を外して洗濯機に接続する金具を直接取り付けました。その取り付け後の写真は次のとおりです。


この作業は、当然、家の検針メーターのところにある取水栓を閉めてから。


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これで上手くいくと思いハンドルを回すと、いたるところから水漏れしピューピューと水が噴き出しました。長く使っていなかった蛇口だったので、パッキンが傷んで水圧に耐えられず水漏れしたようです。


そこで根本から蛇口ごと付け替えようと考え、またホームセンターへ。



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ここで付け替えようとしたんですが、ここだと普通の蛇口では口径が合わないんですね。。。


もう一つ根本で付け替えてみようかと思いましたが、どうやら工事の時に水漏れ防止のコーキングで固めてあるみたいで回りませんでした。仕方ないので、ハンドルのカバーナットを外し、買って来た蛇口のハンドルとコマを移植して修理しました。


これで大丈夫だろうと思い、我が家に帰っていたら、老母から電話…。洗濯機を動かそうとしたら、まだ水漏れするとのこと。慌てて戻ってみると、洗濯機への接続するオスメス金具を取り付けたところから水漏れが続いていました。ナットをしっかり締めても水漏れが止まらないので、どうやらネジ山が足らずパッキンまで密着していないようです。


これまた仕方がないので、またホームセンターまで走り、口径に合うパッキンを買ってきて二枚重ねし、ナットを締め直すと、やっと水漏れがが止まり、一件落着しました。


こんな風に、何かしようとしても、なかなか上手くはいかないものですよね。


でも、この場合、蛇口の構造を知っていれば、どんなことがトラブルの原因なのか予測することができます。


そして、予定どおりに行かなくても、臨機応変に方針変更することができれば、結果は違っても目標を達成することができます。ただし、どうしても目標を達成できない時には、どこかで失敗を認めて中止することも肝要です。


これは何を行うにしても共通していることです。水道修理でも、手術でも、経営でも、何でも大差はないと言っても過言ではありません。




今日はカミさんが長男の卒業式への出席で上京していたため一人だけの食事だったので、通常の仕事の後に行った診療報酬審査から帰宅後、夜9時頃からスパゲッティを茹でサイドメニューのサラダとキムチで夕食を食べていたら、ちょうど報道ステーションで木村草太さんが良いことを言っていました。


それは「日本人は将棋の精神を思い出すべきだ」という主張でした。


(木村草太さんと聞いただけで毛嫌いする人も多いかと思いますが、何から憲法改正すべきか?という主張も的を射たものでした。余談ですが…)


将棋では当初から戦略を立てて試合に臨むわけですが、当然ながら相手があることなので、予定通りに事が進むわけではありません。臨機応変に作戦を立て直し、違った選択になっても適切に対応して、勝利(=成功)を目指さなければなりません。そして、失敗した時は、自らの判断で潔く自ら負けを認める。これが日本人の将棋の精神だと彼は主張していました。


ダラダラと失敗を認めず、自ら責任を負わず、何ら改善することなく、上手くいくと偽り続ける・・・。


そんなことではダメですね。


ミッドウェー海戦に負け、ガダルカナルで玉砕したのに、その後も転進と偽り続けてしまった…


そんな私たち日本人のから私たち現代の日本人も目を逸らしてはいけません。


しかしながら私たち人間の習性は、なかなか変わらないものです。


なぜなら、私たち人間の脳の構造は共通していて大差ないから…


海馬が過去の記憶を大脳皮質から呼び出して行う様々な再記憶と再考は、いつも同じことの繰り返しです。


過去の経験に学び如何にして未来を予測していくか…


その予測を的確に行うことができるようになれば、それは予言になります。


山本五十六大将は、太平洋戦争の開戦前に、その結末を的確に予言していました。


「是非やれといわれれば、初めの半年や一年は、ずいぶん暴れてごらんにいれます。しかし、二年、三年となっては、全く確信は持てません。三国同盟ができたのは致し方ないが、かくなった上は、日米戦争の回避に極力ご努力を願いたいと思います。」 (近衛文麿首相に対して答えた日米開戦後の見通し)


「陸軍との争いを避けたいから同盟を結んだというが、内乱では国は滅びない。戦争では国が滅びる。内乱を避けるために、戦争に賭けるとは、主客転倒も甚だしい。」 (日独伊三国同盟の締結に際して)


失敗に学んで、適切に未来を予測して、選択を改善していくべし…


これは、原発事故の失敗でも、これから始まるアベノミクスの失敗でも、同じことが言えます。


私たち日本人は「無責任かつ無反省な意思決定と判断」という過ちをいつになったら改善することができるのでしょう。


それは、いま進みつつある民主党と維新の新党結成でも同じことです。


当分、この論点が続きます…


この論点が核心だとやっと確信しました。


ウサギ