自由、なぜ人間に自由は必要なのか?
大きなテーマですね。
映画「ライフオブパイ」では、なぜ主人公パイの父親は自由のアメリカ大陸を目指したのでしょうか?
日本の船に乗り、自由のアメリカ大陸、カナダを目指して沈没する物語です…
映画の中で、父親がパイに移民することを伝えます。
「コロンブスのように海を渡るんだ」
パイは答えます。
「コロンブスはインドを目指したのに、なぜインドを離れるの?」
菜食・節制の国インドを離れ、肉食・自由の大陸アメリカを目指して、船は沈没します。
沈没の直前、父親は動物達の食糧に安定剤を混ぜます…
父親はビジネスマンで、動物を売って金を得るために、海を渡ろうとしました。
自由のために、金のために、海を渡ろうとして、沈没するわけです。
この映画のテーマの一つは生命と食です。
自由に食べる欧米人と、節制して食べるインド人…
自由と節制の対峙を描いていると言っても過言ではないでしょう。
前回の記事「ブタとカバと映画ライフオブパイ 」から、私は意図的に自由を否定し節制に重きを置いて論陣を張っています。
なぜなら、私たち日本人には、節制という論理が念頭に無いことが多く、「自由主義社会(リバタリアニズム)」という境界線の中で生きているからです。
そこで、あえて自由を否定してみることにしました。そうすることで、今の日本における病理が浮き出てくると思うからです。
イスラム教徒のように、肉食を制限し禁酒・禁煙を守り、宗教によって節制している人々もいます。欧米人の中にも、モルモン教徒やアーミッシュのように節制を重んじる人々もいます。
日本でも、新自由主義を嫌い、自由に金儲けするのは良くないと考える風潮があります。原発廃止も日本人自身に節制を求めているんだと思います。
自由は良くないのか?
どんな自由が良くないのか?
自由は、自由に好きなだけ食べ、自由に好きなだけ飲み、自由に遊び、自由に好きなだけ煙草を吸い、自由に生きるために、…あるのか?
私達が自由にしたいと感じ、束縛を嫌い、節制を嫌うのは、なぜなんでしょう?
自由の存在意義は、自由に遊び、自由に楽しむためにあるのでしょうか???
キリスト教でも、仏教でも、どんな宗教でも、人生は苦楽と説きます。
楽しみ、楽するために、自由があるとは思えません。
自由は楽しみ楽するためにあると考えること自体が間違っているんじゃないでしょうか…
自由を間違って使っているので、苦楽の人生を上手く生きることができないのでは…
最近、そう、思うのです。
自由は、地球という共同体の中で、人間が自由に己の進路を選ぶためにこそ、存在する…
自由は、自由に遊び、自由に楽しむために、存在していない…
何のために、私たち人間は自由なのか?
煙草を吸うために、酒を浴びるために、…自由ではないはずです。
煙草を吸い、酒を飲み、自由を使って何をするか?が大切でしょう。
昔、アルコールは、慶事や祭りで振舞われました。
昔は、毎日、アルコールを飲み、アルコール依存症になる暇は無かった…
アルコールを飲む時は休肝日を設けましょう。
自由は毎日アルコールを飲むためには存在しませんし
アルコールは、仕事に励むための息抜きです。
仕事するからこそ、アルコールは美味しい…
自由は、己を活かすためにこそ存在する…
自由は、遊び楽しむためには存在しない…
そう思っていたら、苦楽・節制・犠牲がある人生も、辛くはないように思います。
みんなが自由奔放だと公共は成立せず
自由と節制の二面があってこそ
初めて公共が成り立つ
こうした相対性は常に必要で
自由だけだと、沈没するということではないでしょうか…