ブタとカバと映画「ライフオブパイ」 | クラスタ民主主義システム研究室

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しつこく映画「ライフオブパイ」を続けます(*^.^*)


この映画では意味を持たせたイメージ映像が随所に出てきます。


それを、ことごとく追い続けると自然と信仰とは何かが理解できる仕掛けがあるのです。


その仕掛けは、特定の宗教への傾倒を促すものではなく、ヒンズー教、仏教、キリスト教、イスラム教、神話などの様々な信仰に共通するルーツへと誘います。


以前にも書きましたが、この映画の各シーンを理解すると、私たちが普段から眼にしている身の回りに拡がる自然が、様々なイメージを使って私たち人間に語りかけて来る事を感じる…


その様々なイメージは、形であり、動きであり、色であり、匂いであるわけです。


世界に拡がる自然を心眼で見通すための練習問題になっていると見ることもできる…


例えば、冒頭のシーンでは、様々な動物が登場します。


ぞう、フラミンゴ、うさぎ、きりん、なまけもの、ハチドリ、バク、ブタ、カバ、サイ、テナガザル、テングザル、ヘビ…などなど、そしてトラです。


ただし、トラだけが実体ではなく、蓮の葉が広がる池の上に映る「鏡像」として登場します。


目に付く殆どのシーンに隠喩があって、深く計算された映画と言えるでしょう。


この映画を製作する過程で、どんな人々が参画したのか?、とても興味があります。


おそらく、真の信仰や哲学を深く理解した人々が協力したのでしょう。原作の段階で出来上がっていたのか、映画制作の段階で積み上げられたのか、それは定かではありませんが、多くの人々の叡智が凝縮された映画であることは確かです。


それを読み解き、謎解きする楽しさを、このまま暫く皆さんと一緒に追体験したいと思います。


前々回の記事「ベジタリアンと喫煙と映画ライフオブパイ 」でjapanese-fulさんに御指摘いただいたお陰で、この映画の中に出てくる「ブタとカバのシーン」について謎が解けました。



このシーンでは、ブタとカバが上下に並んで食べているんです。



クラスタ民主主義システム研究室-かば

クラスタ民主主義システム研究室-ぶた



どうして、わざわざ同じ画面に上下に並べているのか判らなかったのですが、ブタとカバを相対させて観客にメッセージを送っていたのです。



ブタは不浄とされていますが、ブタもカバと同じだと訴えているのでしょう。



ブタとカバが同じなら、ブタと人間も同じかと。



ブタとカバのシーンの次は、二匹のサイが険悪な雰囲気になり、喧嘩しているようなシーンとなっています。サイも、人間と同様に対立するわけです。






ブタは汚いというイメージを私達は持っていますが、実は、ブタも清潔ずきです。


人間が家畜として飼い、狭い場所で飼うために、糞にまみれて汚くなるだけのことです。


狭い場所に多くの動物が住むと、環境を汚染し、自らも不浄になっていく…


これは、どんな動物でも同様ですね。


私は、昔、実験用にモルモットやマウスを飼育したことがあります。モルモットは80cm×40cmくらいのカゴに飼うのですが、一匹だけで飼うと、自分で決まった端っこをトイレにして、清潔に暮します。しかし、3,4匹で飼うと、お互いに争うこともあって糞がカゴの中に飛び散り、不潔になっていくのです。


ある動物が過剰となり、狭い境界線の中で密集して住むと、ストレスを感じ、お互いに争い合い、環境を汚染し、動物たち自らも不浄になっていく…


これは、様々な動物が暮らす環境で、共通している法則と言えるでしょう。


今の中国や日本が、そうですよね。


PM2.5や産廃で環境汚染が悪化する中国、放射能で土地や食物が汚染された日本…


少ない人数や頭数で暮せば、それぞれに自由があり、清潔かつ快適に暮す事ができます。


しかし、人数や頭数が増えれば、お互いの自由が制限された共同生活を営まない限り、不快かつ不浄に暮さなければなりません。


私たちの日本やお隣の中国で人口が増えすぎたため、お互いの国境でも軋轢が生まれているわけですが、実は、地球全体という境界線の中でも人間の人口が増えすぎて、人類も動物も暮しにくくなってきました。


それは、なぜか?


人間が増え過ぎたからです。


増え過ぎた人間が、自分たちは自由だと勘違いして、地球という共同体(コミュニティ)を大切にするコミュニタリアンとして生きないからです。


煙草が吸いたい、酒が飲みたい、原子力や火力をバンバン使いたい…、何にでも自由を追求する人間というと、宇宙の中に浮かぶ惑星という境界線に囲まれた中で共同体を営むために必要なとの相互関係について私達は考えなければなりません。


個と公、全ての世界は、その連続体で出来ています。


個とは、己であり、我です。


周りに存在する公とは何か…


公は、単に国家だけではありませんし、公を配慮しない自由は滅びます。


ライフオブパイは、己が公と共に生きる「公共」について、ウサギに考えさえてくれる映画です。