この文章にはネタバレが含まれていますので、先に映画を観たい方は読まないでください。
この映画の中には「砂絵」が出てきます。
人類は、太古から様々な砂絵を書いてきました。日本人が良く知っているのは仏教の曼荼羅を描く砂絵ですが、こうした砂絵はアメリカインディアンやインド人たちも描いていました。インドの砂絵はランゴリとかコーラムと呼ばれています。この事に関して私も以前に記事にしたことがあります。
ランゴリという砂絵…
この記事から一部を抜粋してみます。
写真には、紋様の魔法、ランゴリの宇宙、祖母から子へ、そして孫へ。女性が描く吉祥紋様とあります。
インドでは、砂絵のランゴリを描く姿が母性のシンボルになっているのです…
色使いが綺麗ですよね。二つの図柄の間に次の図柄と色を配置して行く作業を繰り返すと、複雑な模様ができカラフルな調和が生まれていきます。複雑系のフラクタルのようです。
一つのシンプルな基本単位の繰り返しで複雑な調和の世界が生まれる…
この図柄で、様々な想いを祈るんだそうです…
それぞれの色には価値観が込められていて、じっくりと描いていくことで想いを凝縮していきます。こうして描かれた紋様には日頃から大切にしている価値観が織り込まれている。
人間は大切にしている価値観を代々伝えていくことが大切なんでしょう。
母から子へ、子から孫へと、こうした風習を通して伝えていた「何か」があったのでは…
ただ単に言葉だけではなく、文様というイメージと描くという作業によって視覚や体で伝承していく。こうした価値観を伝承する脳科学的な手法を私たちは何か忘れかけているのかもしれません。
ランゴリなどの世界各地に残る砂絵は、描いた後に必ず壊します…。なぜなら、ランゴリは一つ一つ重ねていく人生を表すので、人生が終わるようにランゴリも終わらなければなりません。諸行無常の図柄というわけです…。
このことを知った上で映画「ライフオブパイ」を鑑賞すると、また違ったアン・リー監督の意図が見えてきます。
ランゴリの絵は、下の写真のように白で下絵を書いた上に色を重ねていきます。
この映画の最初の方で、家の庭先でピシンの母親が描くランゴリをピシン兄弟が眺めている様子が描かれていました。
そして、このランゴリ紋様は、映画の様々なところで出てきます。
先ずはピシンが救難ボートの上で母を思いながらランゴリを描いています。
このシーンは予告編にありましたが、日本の映画館で放映された本編には出てきませんでした。おそらく日本人には馴染みがないのでカットされたのでしょう。ただ、この写真には、亀の甲羅と大腿骨と思われる骨が映っていて、骨を砕き、亀の甲羅をすり鉢、大腿骨を擂り粉木にして粉を造り、ランゴリを描いたことがわかります。
映画の最後の方で、生還したピシンが「自分が亀を逃がしてしまい、コックに殴られたことを母親がかばったために、コックに母親が殺された」と言っていたので、それを予感させるためのシーンだったのでしょう。
次にランゴリが表れるのは、海を覗き込んだシーンの時です。様々な生物の連鎖が描かれたあとで、ランゴリが表れた後に、母親の面影が浮かび上がってきます。
このあと、くじらが現れますから、ここで母親から少年が巣立ちしたことを暗示しています…
本編中で最後にランゴリが描かれるのは、雷が海に落ちたときです。
海の上に雷の閃光でランゴリが描かれます…
神様が描いたランゴリ…と暗示しようとしたのでしょう。
このように、色と形をつかって、信仰や倫理を描く手法は古代から人類が使ってきた方法です。人間の脳に優しく訴え、記憶に刻まれやすいのでしょう。色と紋様は、花の形や星の形など自然界にも広く分布していますから、動物たちも認識しているはずです。
創造主が生物にプログラミングした手法…、それがランゴリなどの砂絵と考えることもできると私は考えています。
こうした色と図柄を使って信仰や論理を表す方法はチベット密教にもありナムカと呼ばれています。興味のある方は「探究心とテルトン」をご参照ください。
下記にナムカを御紹介しておきます。
ランゴリはインドの各家庭で図柄が違うそうです。だからだと思いますが、映画のエンドロールでは、様々な図柄のランゴリが流れていました。そこには、ボートやクジラなど、この映画でメタファーとなった図柄も沢山流れていました。とても素晴らしいエンドロールだったと思います。
信仰や思想や論理を色と図柄で集約していくと、おそらく共通認識を醸成しやすいんだと思います。こうした手法は混乱や争いを避けるために役立つので、カオスから抜け出すために有用な手段だと私は考えています。