ネットD:多様性、そして議論と寛容 | クラスタ民主主義システム研究室

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人の価値観は千差万別ですから、これを集約していく行程は困難な作業となります。しかし、幸福を見い出すためには、避けて通ることはできません。動物は本能で同じ価値観を持っていますが、人間は議論(対話)で互いの価値観を集約して行ことになります。


多様な価値観を集約していくためには、各自が確立した人格を持ち、自己の正義に基いて自律的に判断し、他者の理念に一理あれば自己に受け入れるよう努力し、自己の理念に一理あれば他者に受け入れてもらうよう努力することになります。


アリストテレスは著書の弁論術において、弁論(議論)について「どんな場合でも、そのそれぞれについて可能な説得の方法を見つけ出す能力」と定義しています。この弁論(議論)する能力こそ議員に最も求められる能力です。


議員たる者は、多様な価値観を様々な角度から検討し、必要な情報や事実を見落としたり誤解したりしないように細心の注意を払いながら、詭弁を弄する者や、筋の通らない議論に反論し、正しい結論に導き、多様な価値観を集約していかなければなりません


議論は、可能なかぎり排他的であってはならず、価値観を集約する努力を続けなければなりません。


しかし、万難を排しても価値観の集約が困難な場合は、相手を排他することなく寛容して互いの価値観を認め合い、互いの価値観が共存できる道を模索しなければなりません。


ただし、正義がなく悪意に満ちた価値観とは、距離を置いて議論(対話)を諦めるしかありません。


詭弁に翻弄されて正義のない理念や価値観に妥協することと、議論を尽くした後に寛容によって互いの理念や価値観を認め合うこととは、明らかに区別しなければなりません。


日本で議員の職にある皆さんには、この「議論」の意味するところを正しく認識していただきたいと思っています。