雑感:言語力で考える犠牲と献身 | クラスタ民主主義システム研究室

クラスタ民主主義システム研究室

☆学習とディベート☆ ☆ネットワークデモクラシーを夢みて☆ 
☆教育ディベートを推進しよう☆ ☆「complex system」で思考してみよう☆「ネットワークデモクラシー(Demoex)研究室」からタイトル改題しました。 

NHKで追跡!AtoZ「言語力」の番組を見ています。


ドイツをはじめ諸外国は、言語力教育に力を入れているそうです。


言語力の教育では次のような事を言っていました。


自己主張をする

他の人とは違う意見を言う

相手と意見交換する

論理的に組み立てる

思考をまとめ上げる


ディベートや論文記述も言語力教育の一つでした。


サッカーのオシム監督も次のように言っていました。


日本人には対話ができない

自己主張がない

教育が欠けているのではないか?

日本人らしさを主張しない



そうですよね・・・・。

これが日本人には足りないのかもしれません。


もう、阿吽の呼吸は通じない。


この言語力が不足していて、議員も国民も正しく議論できないのかもしれません。




ちょうど、最近、同じようなことばかりを考えていました。


どうやったら、私も他の人に「シンプル」に伝えることができるのか?




その思考の過程で、特に引っ掛かっていたのが「犠牲なき宗教」です。


これは、どうも正確に表現していない気がして仕方ありませんでした。


それと「克己殉公」・・・これも、心に命中していません。




英語ならば「self‐sacrifice」でしょうが・・・


和訳を間違えていると思います。


犠牲ではなく・・・献身でしょう。 やっぱりビックリマーク


献身なき宗教」これが社会的大罪です。


そして、「克己殉公」・・・献身なんでしょう。やっぱり!!