思春期に無彩色の絵を寂しいと感じた | 雷神トールのブログ

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昨日は広辞苑から「いろ」の意味を引用しました。
今日は古文での用語も掲載している「大辞林」から 「いろ」の意味について引用させていただきます。

大辞林をみると古文では「いろ」が「なり」「なる」を伴って形容動詞として使われた。 例えば「女性の髪が美しく艶のあるさま」を示す言葉として使われたことがわかります。
そして2番目にはやはり「好色なさま」を示すことにも: 「いと色なる御心ぐせにて…」(大鏡)。
そして3番目に、転じて「風流なさま」を表す言葉として使われたとあります。 「色なる御心には、をかしくおぼしなさる…」(源氏物語)

名詞としての「いろ」の意味の分類は広辞苑とほぼ同じですが、大辞林はさらに詳しく、 例えば物の状態を示す意味に使われる「いろ」を6つに細分しています(下の②)。 ではそれぞれを見てゆきましょう。

①色相:光による視神経の刺激が脳の視覚中枢に伝えられて生ずる感覚。色彩
②物の表面に表れているそのものの状態。
 ア)顔色また表情:「色をなす」「色を変えて…」
 イ)様子、情趣:「秋の色が深まる」
 ウ)調子、響き:「声色」「音色」
 エ)きざし:「あせりの色が見える」
 オ)心のやさしさ、情愛:「心の色なく、情おくれ」(徒然草)
 カ)容姿、姿「傍への色異なる人を御覧じて」(太平記)
③男女の情愛に関する物事
 ア)男女間の情事、恋愛:「色の道」「色好み」
 イ)情人、恋人
 ウ)遊女
 エ)遊里
④特定の色彩に関するもの
 ア)禁色
 イ)白色の喪服
⑤種類 :色とりどり

とまあ、以上が大辞林の「いろ」の定義です。

国語辞典の分類は全体のまとめなので、まだ言葉を学ぶ過程に或った子供がこんなにも 豊富な言葉の使い方を知っている訳がありません。国語というものは家族や社会生活の なかで子供が時間を掛けて覚えてゆくものでしょう。少年の私は上の③と④は知らなかった。 また②のオ)カ)も知りませんでした。

思春期に入って「色」について感じ始めたことはもっぱら①の色彩、色相に関してでした。 これを手記として書いてみるとこんな風になります。

 

思春期の私の周りは無彩色の風景で囲まれていた。
日本の風景とそれを描いた日本画、特に水墨画の無彩色を寂しく悲しく感じた。 美意識の根底に無常観、詫びとか寂びとかの言葉で表わされる意識があって、思春期の 少年にはそれが寂しかった。歳をとった今は、まったく変り、むしろ東洋の侘び、寂の 良さを感じることができる。けれども若い頃は、華美を避け物質そのものの寂しさを さらけ出し、飾り気のない単純さを良しとする日本の意識が悲しかった。 

 

 

                        

     

 

西洋の色彩豊かな、生命感に溢れ活き活きとした世界に魅力と力を感じた。 活き活きとした風景の中に身を置きたい強い欲求を抱いたのだった。私が西洋に行きたいと思った理由の一つには確かに色彩豊かな世界への憧れと肯定があった。

 

(つづく)