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2016-09-13 18:30:39

中世祭り

テーマ:フランスの田舎道

今住んでる村を西へ20kmほど行くとロワール河に出ます。

ジアン Gien という陶器で有名な(資生堂の工場もあるよ)町で橋を渡るとソローニュ地方に入ります。

 

1400年代初頭のジャンヌダルクの時代、シャルル7世がまだ王子の身で亡命していたベリー公の居城があったブルジュ Bourges とジアンを結ぶ街道はジャック・クール街道と呼ばれ、途中幾つものシャトーが残っています。

 

ジャック・クールはルネッサンス時代の豪商で、金貨の改鋳を行ってシャルル7世の財政援助をし、またジャンヌダルクの軍資金を提供しますが、廷臣に妬まれ投獄され脱出して十字軍に参加しギリシャの島で戦死します。ブルジュの町には彼が建てたもののそこに住むことなく死んでしまった豪邸が残っています。

 

ブルジュをさらに南西に進むと19世紀ロマン派の代表作家、ショパンの愛人だったジョルジュ・サンドの館のあるベリー地方へ出ます。

 

今日はそこまでは行かず手前のソローニュ地方のシャトーのひとつラ・シャペル・ダンジヨン La Chapelle d'Angillon を訪れることにしましょう。

 

このシャトーはこの町で生まれ、青春小説「モーヌ叔父さん Le Grand Meaulnes」を書き、これからという時に第一次世界大戦に徴兵され28歳で戦死してしまったアラン・フルニエ Alain Fournier の記念館になっています。

 

毎年、夏の終わりに催される「中世祭り La fete medievale 」を今年も観て来ました。

 

写真をたくさん撮ったので、数回に分けて投稿したいと思います。

 

 

見物客のなかには中世の服を着た人もいます。


太鼓叩きのオジサン。後ろ姿↓

自然材の形を活かしたマナイタを売る人↓

楕円形のパンとソーセージを売る店↓

手縫いの靴↓

 

シャトーの前に設けられた舞台では曲芸師が二人↓

 

 

つづく

 

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2016-09-06 20:29:29

芸術家の宿

テーマ:美術・絵画

9月3日(土曜)。高校時代の同級生とゴッホ終焉の地、オーヴェール・シュル・オワーズを訪ねました。

 

ゴッホ兄弟の墓の前で中国語(おそらく広東語)の説明を聴く人々。


 

有名な「カラスの舞う麦畑」を描いた場所には看板が立っていました。

オーヴェールから少し足を延ばして、20世紀前半のフランス知性派の代表的作家ジョルジュ・デユアメルが住んだ ヴァルモンドワ経由、ネレ・ラ・ヴァレ(Nesles-la-Vallee)へ行き芸術家の宿を探しましたが見つからず、諦めてコルメイユ、マリーヌを経て サンジェルマン・アン・レに帰りました。

 

 

ネレ・ラ・ヴァレの芸術家の宿(Hotel des Artists) は1924 年9月末から12月末にかけて佐伯祐三、里見勝蔵らが共同生活をしながら 周囲の風景を描いた場所です。 後でわかったことですが、この宿が見つからなかった理由は、住所が間違っていたからです。

里見勝蔵のお孫さんが1994年に訪れた時の事を書いた文章を読んで出かけたのですが、そこにはこの宿が ポントワーズ通りにあるように書いてあった。 でも、昨日、北海道の友人 Yuzo 氏が送ってくれた絵葉書には通りの名前がrue du Pontenay となっていました。

そもそも、Nesles la Vallee で佐伯たちが共同生活をしながら風景画を描いた話は、この友人がしてくれて、彼によれば 1998年に彼と一緒に僕も訪ねたらしいのですが、記憶がまったく消えてしまっていました。

 

この共同生活について里見勝蔵が母に宛てた手紙にはこうあります。

「ネルへは9月末、佐伯君夫婦たちと来ました。その共同生活はじつに愉快でした。昼間は仕事に出ます。佐伯夫人が食事の用意を してくれます。夜は話し、人形製造、カルタ、蓄音器など。日曜や祭日は村の若者・娘たちと交じってこの宿の階下の酒場で踊ります。 (1924年12月22日付け、母つぎ宛て手紙)

 

 

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2016-08-28 18:40:44

ブルキニ禁止と自由平等

テーマ:社会
フランスで海水浴にブルキニを着用する女性に対し、30余りの自治体が条例でこれを禁止したり罰金を科すなど決めたことに対し、国務院(Conseil d'Etat 行政裁判の最高機関)がこの条例は信教と個人の自由を侵害するものであり「凍結(サスペンド)」すると裁断した。


ブルキニ


7月14日夜のニースで恒例の花火大会が終わり帰りかけていた見物客の群れに殺人トラックが襲いかかり老若男女、子供もイスラム教徒の女性も見境なく薙ぎ倒し大量殺戮テロが行われた。

残酷極まりないその記憶が生々しい中、南仏の自治体が予防的にイスラム文化の表出としてのブルキニ着用を禁止する措置に出たのもやむを得ぬと理解できるし、それだけ人々がイスラムに過敏になっている証拠だろう。


しかし、ブルキニは2004年にオーストラリアのファッションデザイナーが創作した水着でイスラムをファッションとして捉え、信仰という内面の問題とはあまり関係が無い。

それどころか、ブルキニが公表されると即座にイスラム過激派のそれぞれのグループはこんなファッションを断罪した。

敬虔なイスラム教徒の女性ならば海水浴などすべきではない、というのがイスラム過激派の考えで、セラフィー主義を信奉するイスラムの男たちから、そもそもこんな水着などイスラムを侮辱するものだし、女性を海水浴の誘惑に駆り立てる享楽的な衣装と断罪されていた。

ブルキニを着用する女性は、したがい、イスラム過激派からも断罪され、自由平等を建前とするフランス社会の夏の海岸でも「公共の秩序を乱すおそれがある」として軽犯罪扱いされ、両面に敵を作る覚悟がなければならない。

国務院がくだした判決は、ファッション性の高い水着の着用を禁じるのは個人の自由というフランス共和国の大原則に抵触するものだから、この条例は「凍結」するということだった。

ブルキニ着用は直接公共秩序を乱すことにはならない、との判断で、あるいは先々週コルシカ島で起こったアラブ人とコルシカ人とが海岸の使用を巡って殴り合いの暴力沙汰を起こしたのがブルキニ着用がきっかけだったとなれば、公共秩序を乱す原因を作ったとして禁止措置も可能かもしれない。が、今は幸いそんな段階には達してはいない。

30の自治体がブルキニにファッションとして現れたイスラムの宗教性を見るわけで、そこには社会と文化、宗教の関わりがあり、大革命以来フランス社会が築いて来た「国家と宗教の分離」、「非宗教(ライック)社会」という大原則と微妙な触れ合いがあるためで、顔も覆い眼だけを出すブルカをフランスの街中で着用して歩くことは禁止された。ブルカは社会に対して個人が顔を隠す、反社会的で匿名性の高い服装だから、という。

フランス大革命までフランス社会にはユダヤ人を集めた「ゲットー」が存在した。カトリック社会ではユダヤ人は差別されていたのである。大革命により「人権宣言」が公布され、個人の自由と平等の原則が打ち立てられ、ユダヤ人もゲットーから普通の社会に出ることが出来た。しかし、代わりにユダヤ人はフランス人となることを求められた。ユダヤ教の慣習と矛盾するところはフランス社会の慣習、法規を優先しなければならなかった。1848年の革命はフランスのみならずプロシアや他のヨーロッパの国々に伝染しユダヤ人は表向き解放された。

ナポレオンはユダヤ教のラビを集め、これからはフランスの社会慣習、法規に従うように、と大革命が打ち立てた自由平等の原則をユダヤ人社会も尊重するよう誓わせたのだった。

同じことが今フランスに住むイスラムを信奉する人々に求められようとしている。イスラム教は男性優位であり、女性は外出の際は肌を隠さねばならず、サウジでは車の運転が禁止されている。一夫多妻制度が現代も通用している。

一夫一婦制のキリスト教を根幹に置いた西洋社会とはこの点相容れない。フランス社会に暮らすのならば、フランスの市民社会の原則、「男女平等」をイスラム教徒も順守しなければならない。

海水浴を楽しむのに、なぜ肌を隠さねばならないのか? 女性が自ら男女平等を投げ捨て、肌を隠す中世的な慣習を選んでしかも海水浴の感覚を味わいたい。こんなに肌を覆っていては海水に浸かる快感は味わえないだろうと思う。

現マニュエル・ヴァルス首相は、男女平等の見地からすれば、ブルキニ容認は女性の自由侵害と繋がる、としてこの問題をフランス社会がさらに続けて議論することを求めている。

大統領選挙が近づいていて、元大統領のサルコジ氏、元首相のアラン・ジュッペ氏、それぞれ表現の仕方は違うがイスラムとフランス社会のありかたについての原則的な考えを表明している。

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2016-08-20 22:05:42

温室の修理

テーマ:日曜大工
大粒の雹で穴をあけられた温室の屋根を修理しました。


前

無色透明のプラスチック製のパネルを見つけるのに3日掛かりました。

ブルーがかった波板はあるのですが、無色のがなかった。建築材料の店を3軒回ってやっと見つけました。前と同じのをメーカーが造るのを止めたのか、波の幅も広くなってますが、これしかないので3枚購入。


後

小屋の内壁には亜麻の繊維の
防寒材が貼ってあったのですが雨で濡れてぼろぼろに。ぜんぶ剥がして捨てました。

完成

すこしすっきりしました。

すぐ脇に立ち枯れしてしまった花りんごの木もチェーンソーで切り倒しました。

切株が残ってます。


根っこ

立ち木がなくなった空間はどこか隙間が空いて物足りなさが漂っています。


空き


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2016-08-16 23:20:51

メジーユの骨董市

テーマ:フランスの地方都市
8月の13日と14日、今年も隣村、メジーユ Mezilles のブリック&ブラック(青空骨董市)を観に行った。

これで何度目になるだろう? 田舎の夏は、これぐらいしか楽しみがないのです。

畑を解放した臨時の駐車場のほかには、駐車場がないので、車で来た客は道路脇に縦列駐車します。


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ニースのテロで殺人トラックが遊歩道に入り込み群衆を薙ぎ倒したので、暴走車が入れないよう積み藁で柵が築いてある。こんなんで防げるかな?


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テロのためか今年は買い物客も、スタンドの数も少ないようだ。


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ここ2週間、日照り続きで、日中は30℃を超える暑さ。

村には小川が流れ、子供たちは水に入って魚採り。


川

ワンコが、ぼくは水より骨董市を観た~い。


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河畔の木陰には休憩所が。


木陰

この村の名所、橋の下に
車が渡れる浅瀬が作ってある。

人々は木の板を渡ります。


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ここまでくると、市に賑わいが出て来る。


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懐かしい。モトベカンヌ? いや、これはプジョー製の軽量バイク↓


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木製のおもちゃ。電気機関車だろうか?


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2人乗り原付自転車があった↓釣り竿と魚籠はおまけか?


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途中の休憩所で菓子パンと冷たいジュースを買って一休み↓


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屋台の前は小さな家庭菜園で昔のトマトがなってます。


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村には、こんなお屋敷もあるんだね↓


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緩い坂を上って、ここまでくると木陰にほっとする。

おっ! 爺さま、なにかに惹かれたんですかの?


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7月の雨続きの後は、旱魃。麦の収穫は史上最悪。

オレンジの出来が悪く値上がりは必至。

ブドウ(ワイン)も芳しくないようです。


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