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2016-08-28 18:40:44

ブルキニ禁止と自由平等

テーマ:社会
フランスで海水浴にブルキニを着用する女性に対し、30余りの自治体が条例でこれを禁止したり罰金を科すなど決めたことに対し、国務院(Conseil d'Etat 行政裁判の最高機関)がこの条例は信教と個人の自由を侵害するものであり「凍結(サスペンド)」すると裁断した。


ブルキニ


7月14日夜のニースで恒例の花火大会が終わり帰りかけていた見物客の群れに殺人トラックが襲いかかり老若男女、子供もイスラム教徒の女性も見境なく薙ぎ倒し大量殺戮テロが行われた。

残酷極まりないその記憶が生々しい中、南仏の自治体が予防的にイスラム文化の表出としてのブルキニ着用を禁止する措置に出たのもやむを得ぬと理解できるし、それだけ人々がイスラムに過敏になっている証拠だろう。


しかし、ブルキニは2004年にオーストラリアのファッションデザイナーが創作した水着でイスラムをファッションとして捉え、信仰という内面の問題とはあまり関係が無い。

それどころか、ブルキニが公表されると即座にイスラム過激派のそれぞれのグループはこんなファッションを断罪した。

敬虔なイスラム教徒の女性ならば海水浴などすべきではない、というのがイスラム過激派の考えで、セラフィー主義を信奉するイスラムの男たちから、そもそもこんな水着などイスラムを侮辱するものだし、女性を海水浴の誘惑に駆り立てる享楽的な衣装と断罪されていた。

ブルキニを着用する女性は、したがい、イスラム過激派からも断罪され、自由平等を建前とするフランス社会の夏の海岸でも「公共の秩序を乱すおそれがある」として軽犯罪扱いされ、両面に敵を作る覚悟がなければならない。

国務院がくだした判決は、ファッション性の高い水着の着用を禁じるのは個人の自由というフランス共和国の大原則に抵触するものだから、この条例は「凍結」するということだった。

ブルキニ着用は直接公共秩序を乱すことにはならない、との判断で、あるいは先々週コルシカ島で起こったアラブ人とコルシカ人とが海岸の使用を巡って殴り合いの暴力沙汰を起こしたのがブルキニ着用がきっかけだったとなれば、公共秩序を乱す原因を作ったとして禁止措置も可能かもしれない。が、今は幸いそんな段階には達してはいない。

30の自治体がブルキニにファッションとして現れたイスラムの宗教性を見るわけで、そこには社会と文化、宗教の関わりがあり、大革命以来フランス社会が築いて来た「国家と宗教の分離」、「非宗教(ライック)社会」という大原則と微妙な触れ合いがあるためで、顔も覆い眼だけを出すブルカをフランスの街中で着用して歩くことは禁止された。ブルカは社会に対して個人が顔を隠す、反社会的で匿名性の高い服装だから、という。

フランス大革命までフランス社会にはユダヤ人を集めた「ゲットー」が存在した。カトリック社会ではユダヤ人は差別されていたのである。大革命により「人権宣言」が公布され、個人の自由と平等の原則が打ち立てられ、ユダヤ人もゲットーから普通の社会に出ることが出来た。しかし、代わりにユダヤ人はフランス人となることを求められた。ユダヤ教の慣習と矛盾するところはフランス社会の慣習、法規を優先しなければならなかった。1848年の革命はフランスのみならずプロシアや他のヨーロッパの国々に伝染しユダヤ人は表向き解放された。

ナポレオンはユダヤ教のラビを集め、これからはフランスの社会慣習、法規に従うように、と大革命が打ち立てた自由平等の原則をユダヤ人社会も尊重するよう誓わせたのだった。

同じことが今フランスに住むイスラムを信奉する人々に求められようとしている。イスラム教は男性優位であり、女性は外出の際は肌を隠さねばならず、サウジでは車の運転が禁止されている。一夫多妻制度が現代も通用している。

一夫一婦制のキリスト教を根幹に置いた西洋社会とはこの点相容れない。フランス社会に暮らすのならば、フランスの市民社会の原則、「男女平等」をイスラム教徒も順守しなければならない。

海水浴を楽しむのに、なぜ肌を隠さねばならないのか? 女性が自ら男女平等を投げ捨て、肌を隠す中世的な慣習を選んでしかも海水浴の感覚を味わいたい。こんなに肌を覆っていては海水に浸かる快感は味わえないだろうと思う。

現マニュエル・ヴァルス首相は、男女平等の見地からすれば、ブルキニ容認は女性の自由侵害と繋がる、としてこの問題をフランス社会がさらに続けて議論することを求めている。

大統領選挙が近づいていて、元大統領のサルコジ氏、元首相のアラン・ジュッペ氏、それぞれ表現の仕方は違うがイスラムとフランス社会のありかたについての原則的な考えを表明している。

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2016-08-20 22:05:42

温室の修理

テーマ:日曜大工
大粒の雹で穴をあけられた温室の屋根を修理しました。


前

無色透明のプラスチック製のパネルを見つけるのに3日掛かりました。

ブルーがかった波板はあるのですが、無色のがなかった。建築材料の店を3軒回ってやっと見つけました。前と同じのをメーカーが造るのを止めたのか、波の幅も広くなってますが、これしかないので3枚購入。


後

小屋の内壁には亜麻の繊維の
防寒材が貼ってあったのですが雨で濡れてぼろぼろに。ぜんぶ剥がして捨てました。

完成

すこしすっきりしました。

すぐ脇に立ち枯れしてしまった花りんごの木もチェーンソーで切り倒しました。

切株が残ってます。


根っこ

立ち木がなくなった空間はどこか隙間が空いて物足りなさが漂っています。


空き


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2016-08-16 23:20:51

メジーユの骨董市

テーマ:フランスの地方都市
8月の13日と14日、今年も隣村、メジーユ Mezilles のブリック&ブラック(青空骨董市)を観に行った。

これで何度目になるだろう? 田舎の夏は、これぐらいしか楽しみがないのです。

畑を解放した臨時の駐車場のほかには、駐車場がないので、車で来た客は道路脇に縦列駐車します。


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ニースのテロで殺人トラックが遊歩道に入り込み群衆を薙ぎ倒したので、暴走車が入れないよう積み藁で柵が築いてある。こんなんで防げるかな?


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テロのためか今年は買い物客も、スタンドの数も少ないようだ。


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ここ2週間、日照り続きで、日中は30℃を超える暑さ。

村には小川が流れ、子供たちは水に入って魚採り。


川

ワンコが、ぼくは水より骨董市を観た~い。


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河畔の木陰には休憩所が。


木陰

この村の名所、橋の下に
車が渡れる浅瀬が作ってある。

人々は木の板を渡ります。


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ここまでくると、市に賑わいが出て来る。


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懐かしい。モトベカンヌ? いや、これはプジョー製の軽量バイク↓


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木製のおもちゃ。電気機関車だろうか?


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2人乗り原付自転車があった↓釣り竿と魚籠はおまけか?


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途中の休憩所で菓子パンと冷たいジュースを買って一休み↓


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屋台の前は小さな家庭菜園で昔のトマトがなってます。


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村には、こんなお屋敷もあるんだね↓


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緩い坂を上って、ここまでくると木陰にほっとする。

おっ! 爺さま、なにかに惹かれたんですかの?


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7月の雨続きの後は、旱魃。麦の収穫は史上最悪。

オレンジの出来が悪く値上がりは必至。

ブドウ(ワイン)も芳しくないようです。


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2016-08-08 17:55:45

修復できた

テーマ:日曜大工
傷んだ木戸の作り替えが終わりました。


完成図


「ちゅうじ」が出来栄えを見に来ました。


できた



古い木戸は蝶番のネジが錆びついて外せないため、柱全部を取り換えねばなりませんでした。

電動ドライバーもだめ。手動では握力と手首の力がなくなってるんでさらにダメ。



柱は芯だけまだ残ってましたが、ほとんど腐ってたので新しい材木で作り替え。

木戸は軽い木材で作りましたが、重さは5kg でしょうか。開いた時は全重量がこの柱に掛かります。

地中の根元には釘がコンクリートと材木に打ち込んであって、必要な深さに柱を差し込めません。

ここんところが一工夫要りました。結局、地表を出た部分をコンクリートで固めました。


足元

プラスチックの木戸も売ってますが、やっぱり木のほうが味わいがありますね。


きそ1

木枠を嵌めたままのときは、目立ちましたが、外したら、土に馴染んで自然な感じで、違和感もなくほっとしました。


できた3

ここは入り口で、腐って壊れたままでは、家を見に来た人に荒れ果てた印象を与えるので、手間がかかりましたが直して好かった。

リオ・オリンピックの出だしはフランス勢は総崩れ、わずかに競泳男子400mリレーが銀メダルだそうです。

ブラジルとフランスは5時間の時差で、400mリレーはリオの深夜に行われ、フランスは朝の5時。昨日までの様子で金は無理だなと思ったので、早起きせず
特集で観ることに。


日曜大工の次は温室の破れた屋根を余ったスレートで葺き替える予定。
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2016-08-02 19:25:16

仔猫とバラ、カナダの発見

テーマ:田園生活
路地をはさんだ隣家の窓に仔猫が3匹↓


仔猫

ウチの家の窓にも毎日、朝、昼、晩にもう少し大きい仔猫が3匹交替で餌をねだりにガラスを引っ掻くのですが、この仔猫3匹はお初に御目文字しました。

二度目のバラが咲き乱れています。

今年の6月のバラは雨に祟られて無惨でしたが、二度咲きの今、ようやくバラらしさを取り戻しました。

ヴィクトル・ユゴーが大輪の花をつけました↓


ユゴー1

フランスを代表する大詩人、「レミゼラブル」を書いた小説家にふさわしい大きく真っ赤なバラです。


ユゴー2



こちらは、やはりフランスの詩人ピエール・ド・ロンサールの名をもらったバラです↓


ロンサール1


丈夫で虫や病気にも強く毎年たくさんの花をつけ楽しませてくれます。
日本でもお馴染ですね。


ロンサール2

ロンサールは、フランスの庭園と呼ばれるロワール河畔のルネッサンス期の大詩人で、「恋愛詩集」などフランス詩、フランス語に革新をもたらしました。


ロンサール3



こちらは古バラのひとつ、ジャック・カルチエ↓


カルチエ


北米大陸カナダを発見した16世紀のフランスの航海士です。

ジャック・カルチエは1491年にサンマロで生まれ、国王フランソワ1世の命を受けて1532~1542年の間に3回北米大陸へ渡りカナダを発見します。


セント・ローレンス河口に広がる湾を探検したカルチエは、イロキーインデイアンの酋長ドナコラの知己を得ます。

ドナコラ酋長の息子二人を連れてフランスに戻り、1535年にふたたびセント・ローレンス湾に至り、夏のあいだに河を遡り、ケベック地方とそこの丘の上にある、周囲をトウモロコシ畑で囲まれ、木の柵で囲まれた中に50ほどの家の集落がある要塞を発見、丘を「国王の山」Mont Royal モン・ロワイヤルと名づけます。

これが訛ってMontreal モンレアル、英語でモントリオールとなりました。ちなみにケベック地方はインデイアンにKanata と呼ばれており、これがカナダの国名になりました。

ジャック・カルチエの船は1年半分の食料を積んでいたのですが、冬に入りセント・ローレンス河が凍って船は閉じ込められ、沢山の船員が壊血病に罹って倒れました。

ドナコラ酋長は、インデイアンの伝統療法、すなわち松の葉と樹皮を煎じて壊血病(Scorbut)に冒された船員に飲ませて治しました。このことがヴィタミンCと、さらに抗酸化剤の発見につながったと言われています。


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