めのおの双子の兄弟 「あがた みのる」 が再編集・出版した

小説「アンナへの贈物」をご紹介します。
こちら      

無料で第1章が
試し読みできます。
anna150







              
* *








ホームページがやっと出来ました。



文学、絵画、写真を掲載した文藝ジャーナルです。

まだ、やっと形が整ったばかりですが、

めのおが住んでる地域の風土記も兼ね「りゅーらる」と名づけました。

地理・歴史、観光スポットのご紹介など、これからもいっそう

充実させてゆきますのでよろしくお願い致します。


HP 「りゅーらる」は → こちら


 
  
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2017-03-25 21:28:41

ラフォンテーヌの生家を訪ねる その②

テーマ:文学

それでは家の中に入りましょう。

17世紀頃の民家だと廊下がなく、移動には部屋を横切らねばならない造りが多いですが、ラフォンテーヌの父親は農水産省の役人だったので、家の造りも小さなシャトーのように廊下で各部屋へ行き来できるようになっています。廊下は狭いです。

 

最初の部屋へ行く廊下の突き当りにまず、ジャン・ド・ラフォンテーヌの胸像が飾ってありました。

 

 

シャトー・チエリは公領だったのですね。そこの森林資源を管理する長官だった父親は社会的地位も高かったのでしょう。家の正面の壁に、ブルボン家の紋章の百合の花とCの字を組み合わせた文様が彫ってあるのもそのためかもしれません。

 

一階のサロンは広々とした明るい部屋で、真ん中の小さなテーブルを低い肘掛椅子が囲んでいます。若いジャンは、すでに詩に興味を示し、街の文学好きの男女を呼んではサロンで文学談義をしていたようです。

 

これは隣の部屋の暖炉と肖像画です。時代はさがって1684年、ジャンが63歳でアカデミー会員に選ばれた時の公式の肖像画、ルイ14世の肖像画を描いたリゴーによるものだそうです。

 

 

父親の意向もあったでしょうが、ジャンは20歳のときに神父になろうとしてオラトリオ修道会に入会します。しかしすぐに神父には向いていないと悟り18か月で退会します。

 

ジャンが最初に愛読した詩人はマレルブ( Malherbe )でした。前に投稿した寓話にも出てきましたね。マレルブの詩を庭で暗唱し、時に近隣の森へ行って朗誦したそうです。

 

1645~1647年、ジャンは今度は弁護士になろうとしてパリへ出て法律の勉強を始めます。

 

1647年、父親の奨めでジャンはマリ・エリカール(Marie Hericart)

と結婚します。マリは1633年生まれ、まだ14歳の少女です。でもこの時代、女性の結婚年齢は非常に若かったのですね。ジャンは26歳、12歳年下の奥さんです。

 

1654年(ジャン33歳)、無署名で最初の出版をします。5幕の韻文による喜劇でした。

 

1658年(ジャン37歳)、父親が没します。ジャンは伯父のジャック・ジャナール(Jacques Jannart )がニコラ・フーケの側近だったことから、取り次いでもらいフーケの面識を得ます。

 

財務長官、内務総監のニコラ・フーケ( Nicola Fouquet )は諸芸の守護者(メッセナ)でジャン・ド・ラフォンテーヌはフーケに詩を献上します。「アドニス Adonis 」という長詩は手書きで フランソワ・ショヴォー (François Chauveau)の挿絵付でした。ショヴォーはのちに「寓話」のすべてに挿絵を描いています。

 

翌1659年にフーケは自分の城、ヴォー・ル・ヴィコント Vaux-le-Vicomte を讃える詩をラフォンテーヌに注文します。「ヴォーの夢想 Le Songe de Vaux 」と題された詩が作り始められましたが、フーケが逮捕され投獄されたため、未完のままに終わります。

 

 

1663年、フーケの側近だった伯父のジャナールが左遷されリモージュへ流されます。ジャンは伯父に付き添って、ロワール河沿いの城下町、オルレアン、ブロワ、アンボワーズ、トウール、ポワチエと旅しながら妻のマリに6通の手紙を送りました。手紙にはジャンのフーケへの思いや、伯父が左遷されたことへの怒り、国王ルイ14世の専制に対する批判が書かれていたため生前は公表されず、死後に発表されました。手紙の一部が展示されています↑

 

ジャン・ド・ラフォンテーヌが生存中に出版された本↑

 

フーケが逮捕、投獄されたのは1661年のことで、その年に宰相マザランが没しています。マザランの死によって若き国王ルイ14世は「これからは朕がすべてを統治する」と宣言し絶対王政が始まります。

 

翌1662年には、ヴェルサイユに元は狩りの宿泊所だった城を当代ヨーロッパ随一の壮大な城にする工事が建築家ル・ヴォーの監督のもとに開始されます。

 

同じ年に「パンセ」の執筆者ブレーズ・パスカルが没します。

ラ・ロシュフーコーの回想録が出版されました。

 

ジャン・ド・ラフォンテーヌの書斎です↑

ここで「寓話」が書かれたのですね。床はトメットと呼ばれる素焼きのタイル張り。わりと狭い部屋です。

机が意外と小さいので驚きました。ローソクの光と鵞鳥のペンで書いたのですね。

書斎を出たすぐの階段の壁にシャガールのイラストが掛けてありました。ロシア出身のユダヤ人の画家にフランスの国民的詩人の詩にイラストを描かせることに反対意見が相当あったようですがシャガールは意に介せず堂々と自分の個性を出していますね。

 

家はこの町随一の立派なものでジャン・ド・ラフォンテーヌもこの家を愛したようですが、いかんせん詩人という気質は想像世界に遊ぶように出来てるため現実生活の管理能力に欠け、借金が次第に累積して、50歳を過ぎたころ、とうとうこの家を手放さなければなりませんでした。

 

この時代、作家には印税というものがなく、原稿を出版社に渡すのと引き換えに稿料を貰う。どんなに評判高く、増刷を重ねても著者には最初の原稿料だけでおしまいだったようです。

 

前々回投稿の「神々に守られたシモニッド」にもありましたように、詩人は社会から優遇されず、心身を削る創作活動も報われることが少なかったようです。

 

「シモニッド…」ではラフォンテーヌは詩人にもちゃんと報酬を払ってくれと書いてますね。すでにアスリートが優遇される時代だったのでしょうか? 払うと約束しながら、三分の一しか払わなかった罰に双子の神様が天井を落してアスリートの脚を折ってしまいますが、ここにはラフォンテーヌの嘆きが込められてるのですね。

 

現代はこの時代以上にアスリートがもてはやされ、反対に詩人や文学者はなかば笑いものにされてます。どんなに流行作家になったとしてもサッカー選手、とりわけマンチェスター・ユナイテッドに

帰還する際のポール・ボグバの140億円という天文学的報酬の

足元にも及ばないですね。村上春樹氏がつぎつぎベストセラーを出しても、ボグバの十分の一にも及ばないでしょうね。

 

印税がなかったという17世紀のフランスで、詩を書いていたラフォンテーヌはフーケというパトロン(メッセナ)を失い、ついに生家を売り払い借金を返済しなければなりませんでした。

 

19世紀の文豪バルザックもつぎつぎと名作を発表しながら借金取りに追われ、裏口からこっそり逃げる生活を送ってました。借金を返済しないまま死んでしまったところがラフォンテーヌとの違いですね。

 

 

「樵と死神」の壁一面を覆う大きな絵が掛けてありました。これは19世紀に描かれた絵で国が買い上げたそうです。この樵の苦悩を詩人は分かつことができたのでしょうね。

 

借金漬けの暮らしから抜け出ようとしたのか、こういう本を出せば売れると考えたのか、ラフォンテーヌはまじめな寓話だけでなく、ちょっとした「ロマン・ポルノ」も書いています。しかし売れなかったようです↑

 

反対に、「寓話」の評判は日に日に高まり、ジャンの生存中にもすでにフランスの各地で「寓話」の暗誦が始まり、子供たちはみな、いくつかの寓話を空で朗誦することができたのでした。

 

ジャン・ド・ラフォンテーヌは国民詩人になったのですね。

 

フランスだけでなく海外へも↑ 「らふうたんぐうげん」 中国で出版され、日本でも↓

 

 

日本での最初の出版は明治27(1894)年。54ページ、14の版画による挿絵入り。350部印刷されたそうです。

 

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2017-03-24 21:42:51

ラフォンテーヌの生家を訪ねる

テーマ:文学

昨日(3月23日)ラフォンテーヌの生家を訪れた。エンヌ(Aisne) 県のシャトー・チエリ(Chateau-Thierry)という町にある。

 

シャトー・チエリは人口15000人ほど(郊外もいれると35000人ほど)の中くらいの町でマルヌ河の河畔にある。

 

パリの東(やや北)85㎞、ランスの手前51㎞。パリの東駅から出ているTER と呼ばれる電車の停車駅がある。パリから車で行くには高速道路のA4号線をランス方向へ行き、ランスの手前50㎞で降りれば至って簡単なのだが、ブルゴーニュの西端、ロワール川に近い我が家のあるサンファルジョーからだと、大回りをして高速で行くか、県道を時間をかけて行くか? かなりしんどい旅となる。それでもフランスに居る間に見ておきたいとの思いに勝てず、雨もよいの曇天をついて思い切って出かけた。

 

シャトー・チエリのすぐ横を、10年前、最後の仕事をしているときに車で通ったことがあった。緑が多く、魅力的な所に見えたが、その頃はジャン・ド・ラフォンテーヌがここで生まれたとは知らなかった。

 

いくつかのルートが可能だったが、なんどか走ったことがある知った道を取ることにした。まず、オーセールへ出て、そこからトロワへ行く県道を走る。村の中を通り抜けるたびに時速30㎞に落さねばならないので時間が掛かる。それでも、この道の景色は変化があり快い。オーセールまで50㎞、オーセール~トロワが77㎞。

 

トロワを過ぎると風景は一変する。シャンパーニュ地方の広大な目地の果てまで平らな畑。カーナビは持ってないから事前にミシュランの地図で調べたルートを確認しながら走る。セーヌ河を橋で渡る筈がいつまで走っても河と出会えない。林に隠れて見えなかったらしく、いつのまにか右岸に渡っていた。しかたなく細い村道を行く。家の造りがロワール流域と似て黄色がかった白い石(テユフォ)で出来ていてなかなか風情がある。前をロードレースのトレーニング中のお兄さんが車に先導されながら懸命にバイクを漕いでいて、追い越す機会を待たねばならない。距離にして30㎞だがずいぶん時間が掛かった。

 

セーヌ河に沿って運河やいろんな名前の小川が流れている。夏この道をゆっくり走るのはいいだろうな。Aube 川という県の名前になってる支流もあり、複数の水路が入り組んでいる。畑の中の県道373号線を走りやっとセザンヌ Sezanne という町に出た。次のモンミライユMontmirail を過ぎれば、あとはシャトー・チエリまで一直線だ。

「ラフォンテーヌ記念館」が昼休みの間にお昼はシャトー・チエリの町でと考えていたが甘かった。行きは3時間と予測したが結局、5時間かかり、着いたら午後3時半。昼食抜きで目指す記念館を探した。

マルヌ川にかかる橋を渡り街の入り口に「ラフォンテーヌ」の全身像が立っている。クルマを市庁舎前の広場に駐車し「ラフォンテーヌ」立像を撮りに行く。

マルヌ川はまだ冷たそうで、このオジサンは釣りをしてるのかな?

街は川が削って出来たと思われる崖の際にあり、崖の上には城壁が残っている。

たぶんこっち方向だろうと細い旧市街の道を暫くゆくと、めざす「ジャン・ド・ラフォンテーヌ」通りがあった。

立像には「ラ・フォンテーヌ」と書いてあるが路の名前には「ラフォンテーヌ」と一語になってる。どっちなんだ?

オーカー色の壁の家が「ラフォンテーヌ」の生家。詩人はこの家に生まれ、この家を愛し、パリとこの家とを行き来しながら50歳過ぎまで
暮らしたが、財政的に行き詰まりついにこの家を売った。いまはミューゼアムになっている。

入口には門扉のついた門があったが取り壊され、いまは鉄格子の門になっている。門の脇には塔があったがそれも取り壊された。

 

この町でいちばん立派な家だったという。ジャンの父親は農林水産省( Eaux des Forets )のお役人だった。町の名士だったんだね。

 

中庭の左手の建物が受付で、ここで入場券を買い、オーデイオガイドを借りた。ガイドによると、ここは門番小屋と厨房だったと。

玄関上の装飾が謎なんだそう。なぜフランス王家の紋章の百合の花と、Cを組み合わせた紋章が刻んであるのか?

 

 

ジャン・ド・ラフォンテーヌはドが付く貴族の出身かとだれもが思うが、そこが謎、というか怪しく、貴族を偽って名乗ったと罪に問われかけた、と後のガイドでも触れていた。 ルイ14世に憎まれて失脚し、一生を監獄に送った財務長官でアートの守護者だったフーケ(Fouquest)がジャン・ド・ラフォンテーヌに資金援助をしていたおかげでジャンは詩を書くことができたが、フーケが逮捕され、資金援助が途絶えた。その後、ジャン・ド・ラフォンテーヌはルイ14世の息子の家庭教師となり、貴族の称号の不正使用疑惑も罪に問われぬことになったらしい。フーケの件といい、その辺、宮廷の人事は、絶対君主ルイ14世の気持ち次第でどうにでもなったのか? その辺調べてみたくなった。

 

この庭で幼いジャンは自然と触れる喜びを味わったという。

 

 

 

もひとつ、こんど知ったこと。ジャン・ド・ラフォンテーヌはラシーヌの姪と結婚したんだね。フランス古典劇中最大の悲劇作家ジャン・ド・ラシーヌと親戚関係にあったんだ。それと、ラシーヌ、ブレーズ・パスカル、ともにカトリックからは異端とされた「ジャンセニスム」の熱心な信者だった。ジャン・ド・ラフォンテーヌはどうだったのか? も知りたいところだ。

 

写真を60枚ほど撮ったので、今回は外部だけとして、次回に家の中の写真を投稿します。

 

帰りに裏側から見たラフォンテーヌの生家↑

 

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2017-03-22 21:06:22

ラ・フォンテーヌ寓話 ⑳ 神々に守られたシモニッド

テーマ:文学

今日の寓話は長いので拙訳だけ投稿させて頂きます。

 

神々に守られたシモニッド (1)

 

三種のお方に褒めすぎはない。
神々とその愛人、それに王様
マレルブ(2)は言った:わたしは賛成だ。
これはいつでもよい格言だ。
称賛は心をくすぐり、精神を捉える
美を愛でる者はしばしば代償を払わねばならない
神々がときにどんな風に代償を払うか観てみよう。

シモニッドはあるアスリートを讃えようと
企て試みた。彼はそのアスリートに生のままの
逸話を山ほどみつけた。
詩人はアスリートの両親を知らなかった。
父親は気の良いブルジョワで、これといった
長所もない平凡な小さな男。
詩人はまず彼の英雄について語った。
語れることをすべて言ったのち
カストルとポリュデウケス(3)に話題を振った。
輝かしい格闘者の模範と書くのも忘れなかった。
格闘技を高め双子の兄弟がさらに
注目される場所を特定しつつ。
これらの神への賛辞は作品の三分の二を占めている。

アスリートは1タラント(4)払う約束をしていた。
だが、詩人をみると、粋な男は三分の一しか払わず
あっけらかんとしてカストルとポリュデウゲスが
残りを払うと言った。
ただ、おもてなしをしたいのです
夜食に我が家においでください。
愉快にやりましょう。
同席人は選ばれた人ばかりで
私の両親、最良の友人たち
なので是非ご一緒に楽しんでください。

シモニッドは行くと約束した。
きっと彼は忘れられるのが怖かったか
詩を認めてもらいたかったのだろう。
彼が行ってみると、人々は宴席を囲み
盛んに飲み食いし、洒落た冗談を交わしていた。
召使がシモニッドのところへやってきて
入口に二人の男が来て至急お目にかかりたいと。
詩人は食卓を離れ入口へ行った。
宴会はその間も途切れず続いた。
二人の男は双子で詩の代価として
彼に恵みを与えた。それは警告で
この家からすぐに出るように
家はひっくり返るだろうからと。
予言はほんとうで、柱は倒れ天井は
姿かたちがなくなり宴会場に落ちて
料理皿や酒瓶を割った。
酌婦だけは無事だったが
これが最悪ではなかった。というのも
詩人にとって完全な仕返しとなるように
梁が落ちてアスリートは脚を折ってしまい
同席の宴会者もほとんどが不随となってしまった。
詩人はこの事件を公にし
人々は奇跡だと叫んだ。神に愛された男に
詩を捧げ、給与を倍にしよう。
彼は良い母親の息子だったので
母親はご先祖様のためにも
息子ほどいい相手はいないと。

私は初めに書いたことに戻ろう。
まず賛辞を贈るに事欠かない神々と
神さまに近い人、さらに悲劇の女神
メルポメーヌ(5)がしばしば苦痛を扱うのを
例外とはさせずに
われわれのアートに対しいささかの
代価を払ってくれるように。
昔はオランピアとパルナッスは
兄弟で仲の良い友達だった。

 

<注> 原題は SIMONIDE (1) PRÉSERVÉ PAR LES DIEUX

 

1)ギリシャのセオスの詩人 Simonide de Céos(- 556 env.-467)。
オリンピア競技の勝利者に捧げるオードの創始者とされている。

 

2)Malherbe:フランスの詩人(1555-1628)。死後も評判が高かった。

 

3)カストルとポリュデウケス。ふたご座の兄弟の名前。ゼウスとレダの間に生まれた。漁師や航海者の守護神。

 

4)1タラントは25㎏の重量単位で、その重量に相当する金貨と銀貨。

 

5)Melpomène 悲劇のミューズ(女神)。ここではもっと広い意味で文学の女神。

 

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2017-03-21 22:50:02

フランス大統領選第1回テレビ討論会(3月20日夜テレビ中継)

テーマ:社会・政治・国際

フランス大統領選第一回テレビ討論(3月20日 TF1 および BFMTV で全中継)

 

フランスの大統領選の第一回投票日は4月23日(日)。第2回投票日は5月7日(日)

 

500人の推薦者の署名を得て候補者に登録した人は全部で11人。本来なら全員をデベートに出すべきだが、技術的に困難なので 視聴者が一番関心を持ち世論調査による上位5人によって行われた。

 

現時点での世論調査の支持率が表示された。エマニュエル・マクロン25.5%、マリンヌ・ルペン25%、フランソワ・フィヨン17.5%、 ブノワ・アモン13.5%、ジャン・リュック・メランション13%。

 

TF1のジャーナリスト男女二人が司会役、進行役、議論が混乱した場合の調停役を務める。

 

多岐にわたる議題ごとに順次、司会が指名して、それぞれ2~3分ほどの持ち時間内に意見・政策を述べる。

各候補者のトークの合計時間がほぼ均一になるよう調整するのも司会者の役目。最終的にひとり32分となった。

 

終って握手するフィヨン候補とB.アモン候補↑ 右からルペン候補、メランション候補、後ろ姿が Benoit Hamon 候補、そしてエマニュエル・マクロン候補

 

まず全体的に今回の大統領選の特色として、上の候補者のうち2人が司法と問題を抱えていること。これはフィヨン候補の家族を 架空の職に就かせたことにして給与を受け取っていたこと。ルペン候補も側近がEUの架空の職から給与を得ていたことを指す。

 

従来のように保守(RPR)と革新(社会・共産党)とがほぼ半々に拮抗し、中道がどちらに着くかで勝敗が決まるパターンではなく、 保守(Republicain と党名変更)の指名選で60%以上で圧勝したフランソワ・フィヨンが活動資金を巡って不正の疑惑が持ち上がり 急落したため、混戦状態となり、投票日を1か月前にしてなお、フランス人の40%が、だれに投票するか決めていない状況を生んだ。

 

しかし、EU離脱を掲げるマリンヌ・ルペンには60%のフランス人が不安を感じている。なお、メランションもEU離脱を主張。

浮動票をどう獲得するかが勝敗に決定的な影響を与えるので、テレビ・デベートが非常に重要な意味を持つ。

 

大統領選は政策だけでなく、個人のキャラクター、表情、話し方、人間的側面をテレビ視聴者は視るので準備した内容だけでなく 偶然的要素も非常に重要。

 

テーマ: 各候補が抱く社会モデル、原発、IT、環境、農業、アイデンティティー、教育、安全、医療、選挙権の年齢、ライシテ、第六共和国、憲法改正、国民投票、政治家のモラル、軍事、核、税、外交、テロ対策、安全管理、NATO、国境、と多岐にわたった。

 

フィヨン候補から口を切った。まずフランス社会の官僚主義を変えねばならない。国家公務員を減らす。経済政策が最重要。 雇用を増やし、失業を減らし、企業にダイナミズムを取り戻す。それには、ミッテラン社会党政権時代にマルチンヌ・オーブリ女史が作った法定労働時間に関する法律「週35時間制」を廃止し、各企業で雇用者と被雇用者がネゴして決めるべき。原発は維持。

 

次にメランション候補が指名された。フランスは NATO から抜けるべき。原発は100%廃止。

 

マクロン候補:「週35時間」法は指標(レフェランス)として維持し、各企業に自由裁量、ネゴによる労働時間採用の可塑性を与える。 (これに対しフィヨン候補が、「35時間」を廃止しないならば自由裁量にならないと横やりが入る。)既成政党ではなく、私の「運動」の ように「新しい政治力」を作り変革してゆくべきだ。(B.アモンはあなたの「運動」資金に大企業からの献金はないのか? と) ITと環境問題に診る社会的断絶を重要課題とすべき。

 

ルペン候補:フランスはEUの官僚支配から脱すべきだ。私は大統領になったら、アンゲラ・メルケル首相の下で副首相役を務めたくはない。EUという空中楼閣でなくフランスの地方に力を注ぐべきだ。農業がその代表で、フランスは自身で農業政策を決め、フランスのアイデンティティーを取り戻すべきだ。

 

B.アモン:フランス人民は平和的で協調的な人民だ。政治家は金銭に対して正直で正しくあらねばならない。なによりも失業で苦しむ人々に解決策を差し出さねばならない。

 

最初のテーマとして司会者が提案したのは「社会モデル」

フィヨン: 小学校の就学年齢を5歳に引き下げる。職業教育を強化する。理想のクラスは生徒数12人。

マクロン: 職業訓練を強化すべき。16歳から奨学金を付与する。教員の給与を増額する。学校は原則無償とする。1クラス25人を20人に。私立学校と公立学校と共存が好い。


次は安全について: 「身近な警官」。ニコラ・サルコジ(内務大臣時代か大統領になってからか?)1万2千人の警官を削減したため 市民が日常の小さな問題に警察が介入してくれなくなり困っている。B.アモンは「身近な警官」を復活させると言い、ルペン女史は 警官の「正当防衛」範囲を拡張すべきと主張。さらに刑務所の絶対数が足りないので増やさねばならない。フィヨンは、「身近な警官」は本来地方警察の管轄で、増員に賛成だが、4万人は不可能で1万6千人とする。 B.アモン:テロの危険が高まる中、警官は非常に困難な使命に身を賭して働いている。サルコジが廃止した「身近な警官」を復活する。危険をともなう部署には「手当」を増額すべき。警官の他に「安全保障警備員」も増やすべき。「身元確認」の際に事故が多発しているので速やかで確実な方法を作るべき。

未青年者の犯罪が増えているが、刑法上の成人年齢を16歳に引き下げるべきか否か?

移住者受け入れにつき: フランスは毎年20万人の外国からの移住者を受け入れている。不法入国・滞在者を規制しなければならない。 フィヨン:上限を規制すべき。入国者もいるが毎年15万人が出国している。

 

ライシテについて:マクロン:1905年に制定された法律は原典として健在。思想と信教の自由、宗教を強制されもしなければ、信じる自由、信じない自由が尊重される。メランション: 国家と教会の分離ということがライシテの基本だ。

 

第6共和国について:メランション:現第5共和国の制度はド・ゴール大統領が第二次大戦後の亡国状態を立て直すために作った制度で「専制的」なもの。たとえば大統領は、議会の承認を得ずとも4か月間は大統領一人の判断で戦争ができる。

共和国制度を変えるには国民投票が必要。50万人のフランス人が要求署名をすることで「国民投票」ができる。

失業者が350万人もいる現状で最優先課題は経済、雇用の創出で、第6共和政への改革はその次で良い。

B.アモンは「働けば働くほど赤字になる」現フランスの農家の特に若者に最低保証のサラリーを支給すべき、と。 この「サレール・ユニヴェルセル」の考えは社会党内の予選ですでに掲げたが、周囲から実現不可能と批判され、当初の額から 大幅に低下し予算320億€とした。アモンはモラルの件で、国会議員は家族を雇用する現慣習を禁止すべきと。また、議会廊下でのロビー活動を制限すべき、と。

 

原発:B.アモンは2025年に廃止。マクロンは2025年に50%、残り50%を新エネルギーで賄う。

税: マクロン: 住民税( Tax d'habitation )は不当な税なので廃止すべき。 メランション:課税金額算出のベースが現行では3段階と大まかすぎるので、これを14段階と細かくすべき。老齢年金額が1,000€未満の老人には120€を支給する。

 

健康・医療:

病院(フランスは国営が Hopital で民営は Clinique と2種類ある)巨大化して運営が官僚的になり患者は予約にも数週間待たされ、 待合室で長時間待たねばならない。改良が必要。ルペン女史:Otis 自閉症児の対策が遅れている。アモン:介護が必要な老人が増える中介護者の数が圧倒的に足りない。また安楽死で尊厳死を認めるべき。

 

外交:

USAのトランプ大統領の不安定、不透明な政策。プーチン大統領の専制的な外交政策のなかでフランスは、外国の紛争にあちこち介入すべきではなく、対象を絞るべき。メランションが国境に関しもっと重視すべき、と発言し、アモンが質すと、ロシアとウクライナ、クリミアの問題だ、と。メランションが NATO から脱退すべきと主張するに対し、アモンはヨーロッパのアイデンティティーを守り、フランスの国防費をPIBの2%とする。英国のEU離脱で完全な防衛体制を持つ国がヨーロッパではフランス一国になってしまうので、USAの分担が減り、ヨーロッパに比重が増す。 メランションはUSA主導のNATO からは脱退し別の軍事同盟を構築すべき、と。

 

イスラムのテロにつき:

シリア、イラクのみならず、ファンダメンタリスムは北アフリカからサヘル、西アフリカにまで広がっているので、長期的な闘いを強いられる。

ルペン女史は、宗教は口実にすぎず、全体主義的イデオロギーの背後に石油・ガスがある。ダエッシュに資金協力するような企業 (フランスのセメント会社ラファルジュ)は罰すべきだ。

B.アモンは、アフリカなど低開発国にPIBの0.7%の援助を行う。経済的な問題から解決してゆかねば。

留置場内での過激化の問題など、人間的な面での対応が必要だ。

情報網(諜報活動も含め)を強化すべきなのはもちろん。

ルペン女史。大統領になったらすぐ国民投票を実施して、EU残存か離脱かを国民に問う。

フィヨン:フランスに銃を向ける者はフランス国籍を剥奪すべき。

 

以上、延々3時間にわたる討論でした。

 

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2017-03-21 19:11:30

お化け餃子を作る

テーマ:料理

2年前に近所に新しく出来たドイツ系のスーパー、ALDI へ行ってみたら偶然ポークの挽肉が目にとまった。餃子が食べたくなり、パックは500g入りと大きすぎだったが衝動買いをした。

 

数年前まではパリへ用事で行くと必ずイタリー広場の近くや
3番目のチャイナタウン、アール・ゼ・メチエの中華食品店で
餃子の皮を買って来たが、最近は年に一度ぐらいしかパリへ行かない。

 

田舎に住むフランス人は中華を食べない。

ジアンのオーシャン付属の店舗に中華レストランが開店したが客の入りが悪く1年と経たないうちに閉店してしまった。他にも何軒か同じ失敗例を目にしている。

 

ウチに一番近いスーパー、アタックにも醤油、ラーメン、ワサビ、最近はすしのキットまで売ってるが、餃子の皮はない。自分で粉から作ればいいとわかってるがやったことがなく、失敗しそうな気がして、まず手順を学んでから次回に挑戦することにした。

 

フランス式タルトの皮を売ってるので、それで代用してみようと……。タルトの皮で包んだフランス式餃子を作ってみた。

 

皮は手頃な厚さで、小さな円に切り抜けば10個ぐらい餃子ができる、と思ったけれど、なにめんどうだ、特大の「お化け餃子」一個にしちゃえ……。チャオズ・ジェアンだ。

 

具をまん中から半分片側に…おっと中に寄りすぎ

オーヴンで15分も焼くといい匂いがし始めた。

 

できあがり。チュージが匂いを嗅ぎつけて、ボクにもくれ~↓

 

 

食べてみると、なかなかのもんで、悪くなかったが、やっぱり皮がパンじゃ、餃子の「もちもち」感がないのが残念。こんどは皮に挑戦しよう。

 

 

こういう餃子と似た具(挽肉と刻んだネギ、ニンニク、野菜)を
パンの皮で包んだのをのどこかで食べたことがある。
パリかアルジェかモロッコかチュニジアか、どこだったろう?
レバノン料理にこれと似たのがあったな……。

 

大統領選のデベートを観るための腹ごしらえのつもりだったが、
夜9時に始まり、終わったのが1時近かった。

 

充分消化してから床についたのでもたれずに済んだ。

具があまったので今日のお昼は肉団子フォーを作ろう。

 

ペタしてね

 

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