ヌムールのお城 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

所用でフォンテンヌブローとヌムール Nemours へ行きました。

暇を見てスケッチしたヌムールのお城を家へ帰ってから水彩で着色しました。

すこし細部にこだわりすぎ。めのおは油絵向きだと思う↓

フランスの田舎暮らし-ヌムール



さらっとひと筆で絵の具を塗っただけでは物足りなく感じてしまう。

遠くはさらっと薄く、近くは細部を少し濃く、と思うのだが、つい重ね塗りをする。

絵具をパレットで混ぜる、負混合というのだそうだ。とうぜん画面が暗くなる。

15世紀のリュミネールみたいだ。趣はあるので、それを目指してもいいなと思う。

けど、次は絵具を混ぜない正混合というのでやってみよう。点描派のスーラやシニャクが試み、コンピュータ絵画へとつながってゆく。

このお城は12世紀の建設というから日本の鎌倉時代だ。

その後15世紀に内部が改装されたという。前面の川はロワンLoing 川。

めのおの住んでいる町は、このロワン川の水源地の近く。シャトーの庭と町を小川が横切っている。

ロワン川はセーヌの支流でヌムールまで約80km。もっと下流にモレ・シュル・ロワン、モンチニーなどの町がある。シスレーは晩年をモレで暮らし、有名な橋の絵や運河、教会を描いてこの町で没した。教会の斜め前にシスレーの家が残っている。

ヌムールは人口1万人足らずの小さな町だが、ロワン川と運河の河畔が美しい町。町外れにはフォンテンヌブローの森の砂から採れる純度の高い珪素を使った大きなガラス工場がある。世界一のガラス会社、アメリカのコーニング社が工場を持っている。

18世紀、フランス大革命の時代、革命派からルイ16世擁護に回ったピエール・サミュエル・デポンは死刑の判決を受けながら奇跡的にギロチンから逃れ、トマス・ジェファーソンの知己を得てアメリカ合衆国へ移民し、ルイ16世の特別の計らいで貴族の称号にド・ヌムール de Nemours を貰った。

息子のエルテールと共に世界的な化学会社デユポンの創設者となり、会社の正式名称もイー・アイ・デユポン・ド・ヌムール E.I. du Pont de Nemours and Company だが、称号として baillage de Nemours を得たのみで ヌムールの町自体に痕跡は残していない。