ブログ開設10周年 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

このブログを開設したのが2007年の4月8日なので、衝撃を感じずにはいられないが、なんとそれから10年がたってしまったのであった。

 

10年というのはなかなかの数字で、その当時同じようにブログをやっていて、コメント欄などでやりとりをしていたようなかたのほとんどが、もういまでは見かけない。ブログじたいが消滅をしていることもあるし、そうでなくても、もう何年も更新がされていなかったりして、音沙汰不明であったりする。でもそれもふつうのことかもしれない。たんに自己表現の、発信の場所ということであるなら、次々と新しいものが出てくるわけだし、多くのひとはただ発信ということより、実生活に接続したSNSとしてここに属していた可能性が高い。僕のばあいは、まず長文が書けないとはなしにならないし、それに身内どうしの評価をこえたところにじぶんの書いたものを置きたいということもあった。友人知人でも、うちのブログのことを知っているひとは知っているし、聞かれれば教えるのにやぶさかではないのだが、それよりも「だれが読むかわからない」緊張感のほうが、当時の僕には必要だったのである。だから僕にはブログ以上の媒体はないのだが、そうでないひともたくさんいたとおもうのだ。

 

 

最近はそのことにあまり触れないが、22,3歳くらいのころ、僕は小説を書いて文芸誌の新人賞に投稿したりしていた。しかしどうもうまくいかない。いまおもえば、当時書いたものはあまりに・・・あまりに未熟で(軽いブログ記事ですらそう見えるのだから当然である)、読めたものではないのだが、最高でも二次選考どまりで、なんともいえないうつろなおもいに支配されていたものである。あいまいな記憶だが、そういう時期に、僕はインターネットとかはあまりやらないひとだったのだけど、ブログというものの存在を知ったはずである。そもそも、ブログみたいに場所を借りるものでなくても、じぶんでサイトをつくって文章や創作物を公開しているひとというのは、それよりもずっと前からいたはずなのだが、僕はそんな手段があるなんてぜんぜん知らなかったので、いくつかの書評ブログとかをめぐってみて衝撃を受けたものである。なにしろ、僕は傲慢な人間だったから、なぜじぶんの書くものがダメなのか、見えていなかった。ひとまずはじぶんの価値観から解放されて、どんな評価がくだるかわからない場所にそれを置いてみて、様子をみてみようと、そんな気持ちだったかもしれない。で、これだけはよく覚えているが、僕は当時コンビニ夜勤だったのだけど、数年後につぶれることになるその店では、夜中の2時から4時くらいというのがアウトローと水商売の帰りの女の子がちらほらくるくらいで、すごくヒマだったのだ。そういう時間に、僕は本を読んだり小説を書いたり考え事をしたりしていたのだが、当時出てきたのがこのアメーバというブログサービスで、大好きだったm-floがここでブログをはじめたところだったのである。アメーバは携帯電話からでも登録ができた。そんなふうにして僕は勤務中に、誰もいない夜中の3時くらいのコンビニの、奥にある事務所で、衝動的に登録を済ませたのであった。だから「すっぴんマスター」というブログタイトルも「tsucchini」というIDもその瞬間におもいついたものである。10年も前から僕のおもいつき即興スタイルは確立されていたのである。

 

 

時期的にいうとそのころはコンビニ以外に別の仕事もしていて、フリーターながらけっこうお金はあった。それが、そのべつの仕事がなくなり(僕を含めた古株三人がクビに)、コンビニもそれから2年くらいしてつぶれてしまう。そのあと2ヶ月くらい貯金を崩しながらニート生活をして、いまの書店業についたわけだが、それでも当時はかなり図書館を利用していた。いまみたいにほしい本をじぶんの手で注文したりできるわけじゃなかったし、なにしろその「ほしい本」というのがまず絶版であることが多かったからである。そういうこともあって、ブログ開設当初の書評は図書館で借りてきたものが多かった。いちばん最初の書評は多和田葉子の「犬婿入り」である。これも、小説と同じで、とても読み返せたものではないが、とにかく事実としてそうである。このときは掛け持ちしていてもいまよりはまだ時間があり(だいたい図書館に行けていたわけだから・・・)、僕にしてはけっこうな勢いで本を読んでいた。いまでは信じられないが、1日おきに書評を書いて、つまり本を読み終えて、あいだの一日には映画や音楽のことを書いていたのである。いまよりずっと短く、内容も薄いとおもうけど、いずれにしても書くことへの熱量はすごかったのだ。

村上春樹は高校時代から読んでいるが、高橋源一郎はブログをはじめるちょっと前だったんじゃないかなと記憶している。ちょうどその同じころ、村上春樹の「若い読者のための短編小説案内」という本を読んで、安岡章太郎や小島信夫などの「第三の新人」にはまっていた。また村上春樹関連でいうと、加藤典洋の春樹批評であるイエローページのシリーズも、2007年に読んでいる。これは批評というにはちょっと特殊な本だが、それでも僕は、長年読んできた村上春樹がこんなふうに分析的に読めるのかとひどく感動し、いまでもこころのどこかで批評を書くときのモデルにしているぶぶんがある。

それから2007年には竹田青嗣の哲学入門系の本も読んでいて、いまの僕の方向性を決定づけている。それ以前にも哲学っぽい本を読んだことがないわけではなかったが、ほんとうにおもしろいとおもえて、どんどん読んでみようとなれたのは竹田青嗣のおかげだった。このひとの本はいまでもよく開く。というのは、作中のキーワード的なものからなんらかの哲学的概念が浮かんできたとき、そこから広げようとして、よく考えるとじぶんはそのことについてあんまり考えたことがなかった、みたいなことは多いのである。フロイトとかマルクスとかならふだんから読んでいるからいいけど、たとえばキルケゴールみたいな、読んではみたけど挫折した、的なひとのことをちょっと思い出して書こうとしても、じぶんで理解していないから、広がらないのだ。そういうときには迷わず竹田青嗣に頼ることにしている。記事が広がるとともに、僕のほうでも理解が深まるからである。

そのフロイトだが、最初に読んだのはどうやら2008年のようだ。この年には内田樹にも出会っているし、2007年と2008年は僕にとって非常に意味のある2年だったみたいだ。ブログのトップページにリンクが貼ってあるオススメ記事のうちのいくつかは、僕が書評とはべつに組み立ててきた理論をあいまいながらかたちにしていったもので、それらはだいたい2009年ごろに書かれているようだ。記事の質としても、2010年くらいからはぎりぎり、まあ読めないこともない、というレベルになってきているので、加藤典洋、竹田青嗣、内田樹、それからフロイトといった、批評を書くうえで僕のなかで重要なひとたちが血肉になっていったのがこのくらいの年なのだということだろう。

 

 

というわけでうちのブログは、僕じしんの訓練の意味合いがあって成立したブログで、当初は小説のことをもっと研究しようというつもりで運営されていた。いや、それはいまも変わらないのだけど、興味の範囲が広くなりすぎて、そういう初期衝動はもはやどこにあるのかわからない状態になっている。いまではただこうした知的営みが楽しく、またもちろんじぶんのためでもあるという点で、訓練であることは変わらなくても、小説のためというよりは人生のために続けられている感じだ。肝心の小説は(時間がなくて)もうぜんぜん書いていないし、数年前にいちどだけ評論を書いて投稿してみたけどへんじがない、ただの一次選考落ちのようだ。その論文はいまおもうとテーマが広すぎて、作品や作家の批評というより「僕という人間(の思想)の説明」みたいになっちゃってたので、学習しない人間だなあという感じなのだが、とはいえ、それでもいつかまたどちらかのジャンルで投稿をしてみたいとは考えている。

そういう主旨のブログなのだけど、最近から読まれているというかたからすれば、ウシジマくんやバキの感想ブログという認識がふつうだろう。げんに、別のサイト様で紹介いただくときにはいつも「ウシジマくんレビューサイト」というふうな形容が添えられている。まあ、毎週欠かさず、われながらあきれ返るほどの地道さでこういうことを何年もしているのだから、それも自然な認識である。辛抱が大事な自重トレーニングをやっていてもおもうけど、僕は意外とコツコツ積み立て型の人間なんだなあと、30過ぎてはじめてわかってきた。もっと飽きっぽくて楽なことしかしない人間だとおもっていたよ。そのあたりは、もしかすると作品を通して村上春樹の影響を受けているせいなのかもしれないが。

 

漫画にかんしては、ブログをはじめるまでは、というか、書店員になるまでは、じつはあんまり読んでこなかった。もちろんドラゴンボールとかは読んできたけど、ほんとうに一般的なやつしか知らなかったのだ。それが、書店員になって、しかもコミック担当になったので、一変してしまった。毎日毎日愛をこめていじっていると、ほんとうになにもかもおもしろそうに見えてくる。ついつい1巻を買って、おもしろければ、続く2巻も当然買うことになる。出たばかりであれば、新刊を待つことになる。そんなことをくりかえしていくうち、年間400冊弱の漫画を読む漫画大好き人間になってしまったのだった。

 

せっかくの機会なのでウシジマとバキについても書いておこう。まずウシジマくんは、大学の部室に転がっていたスピリッツで若い女くんを読んだのが最初だったとおもう。特に女性のかたには想像できないかもしれないが、うちのサークルは女の子が別の女子大だったので、基本的に部室には男しかいない。そういう部室がどういう状態になるか、と聴いてみなさんが想像したものを、あれはおそらく上回るにちがいない。ゴミで埋まって床が見えないのである。壁はタバコの煙で真っ黒に染まっており、水着の形状で時代を感じさせるグラビアのポスターとかをはがすと、窓みたいにそこだけ真っ白になっている。みんな生協でお弁当とかカップラーメンとか買ってきて食べるんだけど、誰もそれを捨てないうえに、液体入りの容器を灰皿がわりにするので、異様な色をしたスープ入りのそれが各所にあぶなかっしく置いてある。とにかく汚い。汚いという言葉では説明しきれない、筆舌につくしがたいありさまである。しかしなぜか虫のたぐいはいっさいいない。ときどき、きれい好きなひとの怒りが頂点に達し(そもそもそういうタイプのひとは部室にこないのだが)、先輩後輩かんけいなく説教をくらい、数人で大掃除をすることがあったが、そういうときもなにも出てこない。じつに不思議なはなしだが、たぶんあれはタバコの煙が追い出していたのではないかとおもう。

そんなゴミ床の上にちょこんとおいてあるベンチとかに小さく座って、僕らはぷよぷよとかやっていたわけだが、ゴミのなかには雑誌類も混ざっている。さすがに発掘する気にはならないが、新し目のものは当然地層の上のほうに埋まっているから、とるのもかんたんである。ぷよぷよやりたいけどみんながマリカーで盛り上がっている、そんなときは、入口よりの後方でそういう雑誌を拾って読むのである。それが、僕の最初のウシジマ体験であった。また、マサルが愛沢にビニールかぶせられて「死んだ」回も部室で読んだ記憶がある。あそこからしばらく休載になったので、ほんとうに死んだのかどうかはっきりわからなかったのだが、そういう意味でいえば、あそこの休載はマサルの転生という意味合いを強化する面があった。

そういう感じで、いままではスピリッツなんていう雑誌は視界に入っても認識されていなかったのが、コンビニで働いていても目につくようになったわけである。

ブログを振り返ると、最初に感想を書き始めたのは2007年の暮れあたりだ。サラリーマンくんである。まだそのころは、みんな結婚もしていなければ子どももいなかったので、わりによく集まって遊んでいたのだが、まわりのものたちはみんなサラリーマンくんを読んでいた。23歳くらいだからみんな社会人になったばかりで、感じ入るところが多かったのだろう。僕も、いわゆる社会人とは(いまでも)いいがたいわけだが、サラリーマンくんはわりと決定的だったとおもう。きちんといまみたいにナンバーをふって、内容もある程度書いて考察しはじめたのは2008年1月のサラリーマンくん18話からだ。小堀が医師との約束を寝過ごした回である。これもちょっと、いまはもう読めたものではない記事だけど、事実としてそうだ。それからはたぶん休みなく書いているので、これももう少しで10年くらいになるのだなあ。

バキについては正直よくわからない。ブックオフで死刑囚篇を立ち読みしていた記憶はあるのだが・・・。あれはいつごろのことだったろう。あんなに長大なはなしをどうやって読み進めていったんだろう。板垣恵介にかんしては、中学生のとき友達が餓狼伝を読んでいて、なんというか、格闘描写がちゃんと描けていることに感動した記憶はある。正拳のねじこみ、後ろ足の蹴り込み、軸足の回転、そういう、打撃技の構造が、しっかり理解されたうえで描かれていると、そう感じられたのだ。そんな漫画は見たことがなかった。

バキの感想を番号をふって書き始めたのも2008年1月で、範馬刃牙第94話、ピクルが烈の強さを認めて構え、烈の辮髪の一撃がピクルの目を叩いたあとで涙がぶわっと出る回だった。たぶん、番号をふっていなくても、バキとウシジマについてはちょくちょく書いていたので、もういっそ毎週しっかり書く感じにしようと決めたのが、1月だったのだろう。

ウシジマくんにかんしては、裏社会暴露漫画として読む向きがあって、それもまちがいであるとはいわないけれども、それしか読み方がないような風潮がちょっと納得いかなくて、書きはじめたようなところもあった。このあたりは記憶の捏造ということもあり、はっきりとは覚えていないが、とにかくいまはそのようにじぶんの行動を解釈している。バキにかんしても、板垣先生がいっつもおもいつきで展開させるものだから、これをギャグ漫画としてみる傾向があり、それも否定はしないが、もう少し視点があってもいいのではないかと感じられたことはたしかだ。特に僕のばあいは、ピクル篇とフロイトとの出会いがほぼ同時だったこともあって、フロイトがあまりにピクル読解に便利だったので、ということもあっただろう。フロイトはいつの時代もそういうふうに使われがちなので、最近はちょっと反省気味なのだけど、たぶんそういう理由があったとおもう。

 

 

ただ「10周年記念に記事を書いておこう」くらいのつもりがこんなに長いものに・・・。否定的な意見ももちろんあるけれど、最近はわざわざサイトで紹介してくださるようなかたも増えてきている。ほんとうにいつも感謝しています。記事が長すぎることは難点だとはおもうけど、これは書きながら考えているのでしかたない・・・。書いたものを肯定的に評価してくださるようなかたであっても、必ずその前に「長い」という形容が入る、そんなブログである。短くしようとしたらもっとあたまがよくならなくてはならない。書く経験を積み重ねるうちにそうなるとおもうのだが、不思議と記事は長くなるいっぽうだ。謎である。