大切なものを失くすと、色々なことを考えてしまうものです。

定期券は、今月の6日に買ったものでした。6か月定期です

から、来年の6月5日まで使えるものです。悔しさのあまり、

私は次の行動を躊躇してしまったのです。

 すぐに、再び駅に向かう気にはなれませんでした。恨めし

げに、もう一度、カバンや服を探します。その時は、半ば、

祈るような気持ちです。何度も何度も、無駄なことでした。


 前日、半額セールをしていた冷凍食品や、安い蜜柑など、

いつもは家の近くで買うものを、仕事場の近くで買ったことを

想い出しました。手が塞がっていたのです。いつものように、

定期券を財布に仕舞う代わりに、落したのかもしれません。

 目先の欲のために、大利を失うとはこのことです。思わず、

私は唸ってしまいました。定期券を再発行してもらおうと思い

ましたが、二重発行をしてくれるはずがないと諦めました。

 落としものとして届けようと思いましたが、それも期待でき

そうにありません。まず、今日仕事場に行くために、定期券

を改めて買い直すかどうか迷いました。


 自分の老化を嘆いたことも、隠さずに書き留めなければな

りません。やることなすこと、最近の私の滑稽な行動を顧み

ると、自嘲しているだけでは済まされないとまで思いました。

そして、ひたすら祈ったのです。

 都合のいい私の神様は、これも小学生の時に、心無い私

の悪ふざけで瀕死の状態にしてしまった、その子猫の回復

を祈った時から、困ったときには、よく現れてくれるのです。

[ご参考] 子猫の物語です。

http://ameblo.jp/tosh-tanaka/entry-11083695435.html

http://ameblo.jp/tosh-tanaka/entry-11083812060.html#main


 このような身勝手な祈りでは、とても通じることはないと思い

がら、私は、昨夜服を脱いだ場所に立っていました。ここも、

それまでに何度も見たはずだったのです。もちろん服を吊って

いたハンガーの下も。

 ところが何と、私は暗い灯りの下に、裏返しになった定期券

を見つけることができたのです。恐らく、昨夜着替えたときに、

ポケットから落ちたに違いありません。祈りが通じたのです。


 私は、何事もなかったような顔をして、再び大きく深呼吸を

して爽やかな空気を吸い込みました。まだ静かな街も、何も

変わったところはありません。わずかに20分ほどの探索劇

なのでした。