講演会シリーズ第9回「近代日本の支配層が愛した小川治兵衞の庭」を聞いた! | とんとん・にっき

講演会シリーズ第9回「近代日本の支配層が愛した小川治兵衞の庭」を聞いた!

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日本工業倶楽部会館で、武庫川女子大学東京センター主催の講演会シリーズ第9回、矢ヶ崎善太郎の「近代日本の支配層が愛した小川治兵衞の庭」を聴いてきました。もともとは「庭師小川治兵衞とその時代」(東京大学出版会:2013年5月31日初版)を書いた鈴木博之が講演を行う予定だったのですが、突如「やむを得ぬ事情により」講師が変更になりました。しかも「講演者変更のお知らせ」の速達葉書が届いたのが講演日の前の日、昨日のことでした。葉書には、「矢ヶ崎善太郎は山県有朋や小川治兵衞の庭について長年ご研究を続けておられます京都工芸繊維大学大学院の矢ヶ崎善太郎先生」とあります。鈴木博之の話はもう何度も聞いているし、「庭師小川治兵衞とその時代」も読んでいるし、講師が変わって別の視点での話が聞けるのもまたいいかと思い、出かけてきました。


講演会概要

日時:平成26年1月11日(土)13:00~

会場:日本工業倶楽部会館2階大会議室

    (東京都千代田区丸の内1-4-6)

講師:●「山形有朋の無鄰菴から始まる小川治兵衞の世界」

      矢ヶ崎善太郎(京都工芸大学大学院准教授)

    ●「小川治兵衞の造園技法と意匠」

      尼崎博正(造園家、京都造形大学教授)

    ●趣旨説明:岡崎甚幸(武庫川女子大学建築学科長、京都大学名誉教授)


「山形有朋の無鄰菴から始まる小川治兵衞の世界」

矢ヶ崎善太郎:京都工芸繊維大学大学院准教授

1958年長野県松本市生まれ。京都工芸繊維大学大学院工芸学研究科建築学専攻終了。博士(学術)。専門は日本建築史、伝統建築生産学。主な著書:「對龍山荘 植治と島藤の技」(淡交社、2007/共著)、「茶湯古典叢書 五 茶譜」(思文閣出版、2010/共著)、「水郷の数寄屋 臥龍山荘」(大洲市、2012/監修)、「講座 日本茶の湯全史 第三巻近代」(思文閣出版、2013/共著)、「野村得庵の文化遺産」(思文閣出版、2013/共著)他。主な論文:「京都東山の近代と数寄空間」(「日本歴史」752号2011年)、他多数。


・京都東山の近代は、琵琶湖疎水に始まる。

・琵琶湖疎水は、工部大学校の土木工学科に進学した田辺朔郎は、卒業論文に琵琶湖疎水工事の計画を取り上げた。

・田辺には、京都という都市全体の殖産興業についての抱負があって、総合的な国策のpための計画として、琵琶湖疎水を取り上げている。

・琵琶湖疎水工事とは、文字どおり琵琶湖の水を疎水(一種の運河あるいは用水)によって滋賀県から京都府に導き入れる計画であった。

・田辺朔郎らの計画は、「起工趣意書」によると7箇条の目的を掲げている。

 其一製造機械之事

 其二運輸之事

 其三田畑灌漑之事

 其四精米水車之事

 其五火災防グ之事

 其六井泉之事

 其七衛生上ニ関スル事

・田辺朔郎は卒業二年前の1881(明治14)年から琵琶湖の水位の測定を始め、琵琶湖の水面は京都の南禅寺より約43m高いことが確かめられた。

・1883年に卒業論文「琵琶湖疎水工事の計画」をもって工部大学校を卒業した田辺朔郎は、京都府に勤め、身分は京都府準判任御用掛であった。

・琵琶湖疎水は疎水が発揮し得る能力のすべてを網羅した体系となった。まず運河としての機能、水車動力から水力発電システムへ、また、飲料水の供給、灌漑用水路、さらに防火用水としての機能も果たした。

(以上、鈴木博之の「庭師 小川治兵衞とその時代」より)


・高瀬川沿い木屋町に山縣は、第二次無隣庵を建てる。伊集院兼常も木屋町に別邸を建てる。

・木屋町二條下がるに山縣別邸を拡張することを京都府に願い出たところ、鴨川横断工事もあるので拒否される。

・山縣は、南禅寺に疎水の水を引き、第三次無隣庵を建てる。伊集院も南禅寺別邸を建てる。

・「山縣公別荘記」には「老公自身の指図で其の指図に従って築庭の事に当たったのは植治と云う植木屋であった」、とある。

・植治は恩人として、山縣さん、中井弘さん、伊集院兼常さんの三人の名前を挙げている。

・伊集院兼常は、薩摩の出身、島津家の家臣。建築好き、日本土木会社を創設、大成建設の前身。千家の重要な位置を占めていた。

・塚本與三次の役割は、開発業者だったが、近代人であり文化人であり、そして数寄者であった。

・村野藤吾は若い頃塚本與三次邸(清流亭)に寝泊まりして、和風建築、数寄屋を勉強した。

・京都人は、都がまた京都に戻ってくるという意識がある。即位式など、大事な行事は今までは京都でやっている。「大礼宿舎先帝の基準」などで京都市で「御大典記念工事」として住宅などの改修が始まると、不動産価値が上がる。

・大正10年11月に「東山大茶会」が開催される。南北6km、42席、庭を開放した。抹茶だけでなく、煎茶の文化、自然観が出てきた。数寄者の趣味も。


南禅寺界隈別邸・邸宅群の成立

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洛陶会「東山大茶会」大正10年11月

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無隣庵主屋(洋館・和館)、茶室 平面図及び立面図


無隣庵 建造物の概要
主屋:木造一部二階建桟瓦葺/大工・奥邨竹治郎(二階建座敷棟御弊銘)/明治28年頃建築、

    明治31年頃および大正期改造(「続江湖快心録」、二階建座敷棟御弊銘ほか)
洋館:煉瓦造二階建桟瓦葺/設計・新家孝正、施工(棟梁)清水満之助(二階棟札)
    /明治30年11月7日上棟(二階上棟札)

茶室:木造平屋桟瓦葺き/大工・不詳/明治28年頃移築(「続江湖快心録」)

管理人住居:木造平屋桟瓦葺/大工・不詳/建築年・不詳


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「小川治兵衞の造園技法と意匠」


尼崎博正:造園家、京都造形芸術大学教授

1946年兵庫県生まれ。1968年強と大学農学部卒業。農学博士(京都大学)。京都造形芸術大学教授。日本庭園・歴史遺産研究センター所長。設計作品:「花博むさしの山野草園」(1992年度日本造園学会賞受賞)。著書:「植治の庭―小川治兵衞の世界」(淡交社、1990)、「風景をつくる」共著(昭和堂、2000)、「庭石と水の由来―日本庭園の石質と水系」(昭和堂、2000)、「図説・茶庭のしくみ」(淡交社、2006)、「七代目小川治兵衞」(ミネルヴァ書房、2012)、他。


始めに、「毛越寺」「永保寺」「天龍寺」「龍安寺」「茶庭(裏千家)」「二条城書院」「孤放庵忘荃」「桂離宮」「修学院離宮」「流響院」「碧雲荘」「有芳園」「怡園」「對龍山荘」等の画像を観ながら解説。


以下、いただいた資料による。


*時代性―「自然へ回帰する時代」・・・身近な自然、田園風景を表現

*空間性―「眺める庭」から「五感で味わう庭」へ・・・「歌枕の世界」からの脱皮


1) 立地と空間構成

 ・京都―南禅寺界隈庭園群―東山を望む東西軸、二回からの眺望も

                     大文字遠望、高台からの俯瞰

 ・滋賀―琵琶湖畔の眺望とモーターボートによるアプローチ(隣松園)

 ・東京―大地突端からの眺望・・・落差を巧く用いた構成(旧古河庭園)

2) 植採の工夫

 ・東山のアカマツとの連続性・・・モミジ、ドウダンツツジによる季節感の表現

     室戸台風の被害(昭和9年)によって東山の林相が変化

 ・群植による意外性の演出・・・コウヨウザンが醸す異国情緒

 ・伝統的な四方松、京都では松は四方松を使う。(無隣庵の中庭)

3) 水の意匠

 ・疎水園池群の成立―水のネットワーク―琵琶湖疎水(明治23年竣工)と白川

 ・躍動的な水の流れを基調とするデザイン―滝、流れ、瀬落ち、沢飛び、蛇籠、流れ蹲踞

    「音環境」・・・滝音のトリック

 ・池・流れ・排水の構造―年度、漆喰、セメント、袋打ち工法

4) 庭石の諸相

 ・ブランドにこだわらない庭石の選択

   守山石―琵琶湖疎水の舟運で琵琶湖西岸から

         間知石積み用として沖の島石も

   緑色凝灰岩―参院選の開通によって城崎周辺から

   関東では・・・近世以来の庭石+筑波石+京都の石(鞍馬石など)

 ・人の気配が漂う石―石灯籠、伽藍石、臼石、橋脚、切石、合わせ石、矢跡のある石など

   岩盤の利用、自然石の加工・・・セメントによる造形へ

 ・建築との接点―礎石、束石、沓脱石、縁先手水鉢、塵穴の覗き石、軒内など

   遊び心・・・趣味で蒐集した瓦をはめ込む、臼石の造形


図1 南禅寺界隈庭園群
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図2 水路網模式図(水のネットワーク)
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「武庫川女子大学東京センター」ホームページ

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