講演会シリーズ第1回「わが国の近代建築の保存と再生 明治の近代建築」を聞いた! | とんとん・にっき

講演会シリーズ第1回「わが国の近代建築の保存と再生 明治の近代建築」を聞いた!

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武庫川女子大学東京センター主催の講演会シリーズ「わが国の近代建築の保存と再生」へ行ってきてきした。第1回の今回は「わが国の近代建築保存の歴史と先進諸外国の状況」というタイトルが付いています。プログラムは以下の通りです。


13:00 開会   

13:00~13:10 趣旨説明他 岡崎甚幸 武庫川女子大学 建築学科長

13:10~14:50 西村幸夫 講演 東京大学副学長 東大教授

           「先進諸外国の保存問題」

休憩

15:00~16:40 中川理 講演 京都工芸繊維大学大学院教授

           「わが国における近代建築の保存:理念と制度」

休憩

16:50~17:25 野村和宣 講演 株式会社三菱地所設計

           「日本工業倶楽部会館の保存と再生:解説と見学」

17:25~17:45 日本工業倶楽部会館の見学

           見学案内・説明:株式会社三菱地所設計

17:45 閉館


趣旨説明他 岡崎甚幸

日本工業倶楽部会館は大正9年に竣工、国登録有形文化財に指定されている歴史的建造物です。2003年に建て替えられましたが、会館の南側部分を保存・再現し、歴史的空間を今に継承しています。近代建築の保存と再生をテーマにした今回の講演会にふさわしいということで、会場に選ばれました。武庫川女子大学は、二つの歴史的建造物を持っています。一つは「甲子園会館」(旧甲子園ホテル)、もう一つは「附属中高芸術館」(旧阪神競馬場)です。いずれも保存・再生して、教育の場として活用しています。武庫川女子大学では、「わが国の近代建築の保存と再生」と題した講演会シリーズを、東京で開催することになりました。第1回は6月4日「わが国の近代建築保存の歴史と先進諸外国の状況」、第2回は10月1日「明治の近代建築」、第3回は12月3日「大正の近代建築」で、場所は日本工業倶楽部会館で開催します。また講演会をすべて記録にまとめて、出版することを考えています。


西村幸夫「先進諸外国の保存問題」

「近代建築」とは何か、日本と欧米との理解の違いがある。「近代」の建築、「モダニズム」の建築、それぞれ異なる。私は丸の内周辺での保存については、三菱一号館や日本工業倶楽部に関わった。東京駅保存では、工業倶楽部で決起集会をやった。他に、東京中央郵便局も近代建築です。
○価値発見の歴史
・文化遺産として
・都市遺産として
・歴史の証言として
○価値保存の歴史
・リスト化
・文化財
・都市計画
○保存主体の問題(誰がやるのか)
・国家による保存
・都市による保存
・民間による保存


以下、フランス、イギリス、ドイツ、アメリカの5つの事例。
・フランスの場合
国家による点の保存と、詳細な景観保全施策。重要な建物をリスト化する。1790年記念物委員会。1840年公式リスト(1034件)として発表された。今も作り続け、現在15000件くらい。予算に絡むので国が守れる範囲を指定。
1887年歴史的記念物保存法(国家的見地から強制収容可能とした)
1913年歴史的記念物保存法(公益的見地からの保存・教会建築の保存)
1927年補助登録リスト(“指定”と“登録”の二重指定)
1943年半径500m圏内の規制(重要な建物の周辺まで規制)
1962年「マルロー法」面として保全していく(アンドレ/マルロー文化大臣)
2004年全部まとめて文化財法典(コード)
点から面へ、指定するまでに時間がかかるため指定は保存地区は100に満たない。パリの旧市街の例、カルカソンヌの例。フランスの場合、国が決め、点から面へ。日本が真似たので、日本と似ている。

・イギリスの場合
都市計画的観点からのアメニティ保全。
1894年ロンドンの歴史的建造物のリスト化開始。
1913年古記念物統合改正法(中世の記念物も含む)
1932年都市農村計画法、保存命令権限、歴史的建造物のリスト化
1944年同上
1953年歴史的建造物および古記念物法
1967年シビック・アメニテキーズ法(保全地区)
1990年計画(登録建造物および保全地区)法
都市計画が大事ということは、外観が大事ということ。登録は3段階で朱勇者の同意は必要なし。諸外国では周辺にマッチしているかどうかがチェックされる。申請した建物の所対を市民が入手できる。民間団体は意見書が出せる。市民参加がしやすい。担当官はそれを見て判断する。NOといえる。3割は拒否される。最大の理由は、アメニティが良くない、デザイン画周辺と合ってない、など。

・ドイツの場合
フランスやイギリスとは全然違う。都市国家、都市が自由、アイデンティティつまり文化がある。文化は自分たちがやる伝統。国がやることではない。従ってドイツは統一的な法則はない。地区詳細計画と対の計画/建築条令があり、細かく規定している。
1902年ヘッセン記念物保存法
1905年ドイツ文化記念物ハンドブック(今でも続いている)
1960年連邦建設法(FプランとBプラン)
1960年連邦自然保存法(LプランとGプラン)
1998年上記が合体、建設法典改正(F・Lプラン/B・Gプラン)
歴史的建物と周辺の建物を合わせる。伝統的な重要な建物を守ることになる。州で50万件から100万件。

・アメリカの場合
保存は面から始まる、徐々に点へ。民から官へ。規制の合憲性。
1853年マウント・ヴァオノンの保存運動
1889年初の国家記念物指定(カーサ・グランデ)
1931年初の歴史地区指定(チャールストン)
1934年HABS開始
1954年バーマン判決、美観規制の合憲性が認められる
1961年開発権移転(TDR)の導入(ニューヨーク市)
1966年国家歴史保全法(ナショナル・レジスターの導入)国が登録制を始める
1978年ペン・セントラル判決、単体建造物の保存規制の合憲性が認められる、単体ではニューヨークのグランドセントラル駅。
面として指定すれば、全体の価値が高まるという考え方。アメリカは連邦制なので、国がやることはなかなか難しい。マウント・バーニー(ジュージ・ワシントンの家)、これを守るのが最初。独立の英雄を大事にする。都市計画の用途指定と同じ考え方。所有権の侵害か? 隣に変な建物が建たないので、自分の家の価値が上がる。グランド/セントラルは守られた。これより前にマジソン・スクエア・ガーデンにあった駅が壊されてしまったという例があった。グランドセントラルは、空中権をパンナムビルに譲り、駅が残った。

同じ仕組みが東京駅で使われた。本来なら高層ビルにできるところを、周りの建物に買ってもらった。JRはお金が入るので、修理費が出る。経済的に解決しようとする仕組みが「特別容積率移転制度」です。日本橋の三井本館を守るために、この仕組みを使った。経済的な仕組みで保存問題を解決。「TDR」は合憲だという判決。
ヨーロッパは専門家がしっかりやる。アメリカは慣習法の国なので、市民は傍聴し、発言できる。計画を市議会に提出することもできる。権限は納税者の権利として口を挟める。意見を言う権利がある。パブリック/ヒアリング、審査を公開でやる。いわゆる「公開審査」、非常に透明で分かるようになっている。説を説く力のある意見が正しいことになってしまうこともあるが、結果的には真実だ、という考え方。日本では「公聴会」だがお役所主導、うまく機能しているとはいえない。
何が大切に思うかは国によって異なる。保存の方法も国によって異なる。保存の主体も国によって異なる。「保存問題」のなかに、その国の歴史観や国家観が見えてくる。それを含めて我々は考えなければならない。
日本の場合、お寺や神社を守る、保存した。寺社仏閣、危機に瀕したものを文化財保護で守った。大事なものは国がお金を出してでもやる。フランス的です。戦後、焼けてしまったなか、混乱のなかで再び気がつきます。昭和25年文化財保護法が制定されます。数を減らして、国が全面的にやる。当時は都道府県ではできなかった。次第に余裕が出てきて、保存の問題は広まっていきます。大きなフレームのなかで「近代建築」の保存の問題を考えなければならない。


中川理「わが国における近代建築の保存:理念と制度」

丸の内地区は近代の都市の歴史であり、また「近代建築保存」の宝庫でもある。「日本工業倶楽部」(横川工務所・松井貫太郎)、「大手町野村ビル」(佐藤功一)、「銀行倶楽部・東京銀行協会ビルディング」(横川工務所)、「明治生命館」(岡田信一郎)、「DNタワー、第一生命ビル・農林」(渡辺仁)、「東京中央郵便局」(吉田鉄郎)、そして、保存といえるかどうか、議論の分かれるところですが、「三菱一号館」(ジョサイア・コンドル)があります。
近代建築の保存思想は、1950年代、日本近代建築史の研究が始まります。洋風建築は克服すべき対象であると。1960年代には洋風建築の取り壊しが相次ぎます。それではいけないということで、日本建築学会は「明治建築の保存に関する建議書」を作成します。とりあえず「明治」ということです。リストがないので、1962年に「明治建築」の調査を開始します。1969年に「全国明治洋風建築リスト」が完成します。一方、1965年に愛知県犬山に「明治村」が開設されます。 谷口吉郎と名古屋鉄道社長が財団を設立 、基本的には「移築して保存」するものです。
ところが1968年には「三菱一号館」が突如解体されてしまいます。1960年代に指定された近代建築の主なものとして、「旧岩崎邸」「ニコライ堂」「旧開智学校」などがあります。その頃、「帝国ホテル保存運動」が置きます。1967年にホテル側が突如新築計画を発表します。専門家が集まり反対の議論を行います。そして「帝国ホテルを守る会」が賛同者280名で発足します。現地保存か、(東京都内)移築か、後論が行われます。しかし財団設立ができず、1968年に解体され、玄関部分のみ明治村へ移築されます。
一方、市民運動的な広がりとして「町並み保存運動」が起こります。1968年頃です。先駆者は「妻籠」です。1974年に「全国町並み保存連盟」が発足。1975年「重要伝統的建造物群保存地区」が制定され、修復・復元費用の半分を国庫補助するようになりました。「妻籠」「小樽運河」「産寧坂(三年坂)」などが指定されます。近代建築の保存は1974年が転換点です。
その頃、都市的に建築を見るという視点で「都市住宅」という雑誌が発刊されます。1974年12月号の特集は「保存の経済性」でした。倉敷紡績の工場を改修したの「倉敷アイビースクエア」は、若い女性の観光のメッカで大人気です。1978年にできた三条通の「中京郵便局」 は「壁面保存」という手法によります。どちらも建築学会賞を受賞します。
また日本建築学会は「対象・昭和初期建築」の全国調査を行います。その成果として1980年に「日本近代建築総覧」が完成します。リストが作られたことが重要です。
また建築学会では藤森輝信主導で「ラブレター作戦」を開始、リストアップされた13000件のうち、特に重要と思われるもの2000件の所有者等に、「近代建築それぞれに価値があり、大事に使ってください」とお手紙を出したわけです。 日本の「文化財法」では、所有者が認めないと指定できない。調査に行くと、今でも「ラブレター」が額に入れて飾ってあったりします。大正・昭和の建築としては「旧山邑邸」「山形県庁舎」「明治生命館」などがあります。しかしプレモダン建築の様式は多様化していきます。「アール・デコ」「セセッション」「表現主義」「折衷主義」等々。そして鉄筋コンクリート造の建築が増えていきます。
國の文化財制度は、1897年制定の「古社寺保存法」がスタート。1950年に「文化財保護法による国宝、重文制度」が制定されます。2010年には建造物2374件4404棟(うち国宝216件264棟)が指定されています。 また「登録文化財制度」があり、これは規制が緩やかで、現状変更が1/4を超える場合にのみ届出が義務づけられます。総数7852件、うち住宅が3608件です。バラエティに富んでおり、多種多様な建築が指定されています。最近、「容積率移転」が話題になっています。「特定容積率適用地区制度」です。また「保存のための保存」として「壁面保存」があります。最初の例は「中京郵便局」(1978年)があります。研究者からは「かさぶた保存」「腰巻き保存」などと言われたりもします。「日本火災海上横浜ビル」や「東京銀行協会ビル」なども同様です。他に一部保存の「京都三井銀行ビル」(1984年)や「神戸地方裁判所」(1990年改築)があります。公共の立場として保存するということが債務である、という考え。うまくいった例として「大阪証券取引所」があります。どこまで残すか、検討委員会で検討した成果です。
「オーセンティシティ」という考え方があります。「Autherticity=真正」です。1960年ユネスコは「ヴェニス憲章」を制定します。1972年「世界遺産条約」が結ばれます。そして1994年ユネスコの奈良会議が開催され、これは「オーセンティシティに関する奈良ドキュメント」と呼ばれています。例えば辰野金吾の設計による「第一勧業銀行京都支店」(1906年)、これは「みずほ銀行京都中央支店」(2003年)ですが、1999年1月に解体作業が始まります。1997年に京都市三条通「界隈景観整備地区」となり、10m以上の建物の新築、改築に市の許可が必要となります。完成したのは「レプリカ保存」、景観は保存したが、「オーセンティシティ」はまったくなかった。表層だけでは、オーセンティシティは失われます。
「三菱一号館」の場合、これはこれで意味があります。つまり違う価値をつくり出しています。2回復元された近代建築があります。門司港レトロ地区にある「国際友好記念図書館」です。大連にあった建物は「東清鉄道期線会社」のもので、ロシア人街のシンボルでした。それも大連がまた復元して作りました。「大連芸術展覧会」という建物です。
保存の目的、根拠についてですが、保存する目的はなにか?、そしてなにを保存するのか?が問われます。
・建物の歴史的価値か(文化財)
・建物が作り出す景観か
・建物の記憶、記念性か
現在工事中の「東京駅」が復元されています。広島の「原爆ドーム」は非常に珍しい例ですが「負の記憶」、悲惨な戦争の思いを残しています。ヴィオレ・ル・デュク は中世の協会をたくさん修復している修復建築家ですが、一方では批判もあります。門司港レトロの「旧門司税関」は大野秀敏により1995年収服されていますが、修復の手を入れたということが分かるようにデザインされています。「台湾博物館土銀展示館」は1933年に建てられた「日本勧業銀行」ですが、「土地銀行」のネームプレートは外さずに、2010年に「国立台湾博物館分館」として開館しました。
一方、モダニズムの建築は保存が難しいと思います。DOCOMOMO(1988~)は、近代建築の記録と保存を目的とする国際学術組織です。坂倉準三の「旧上野市庁舎」(1964年、現伊賀市)は建て替えられようとしています。前川国男の「京都会館」(1960年)は50億円出すというスポンサーが付いたが、オペラができるように改築しようとしています。候都市はイメージを残せというが、建築学会は大反対です。丹下健三の「今治市庁舎」mぽ立て替えの話が出ています。
面白いのはヴォーリズ設計の「豊郷小学校」の例、外観はまったくの無装飾です。様式建築と違ってなにを残すのか? 町を挙げて反対運動が起こります。結果は小学校は別に建てて、保存することに決まりました。
保存デザインとはなにか。丸ビルやDNタワーはイメージの継承です。「京都・新風館」や、隈研吾の「COCONKARASUMA(古今烏丸)」は保存だけれども新しい建築です。
私は「アーキ・リソース、建築も資源です」と、大学教育の中で発信し続けています。


野村和宣「日本工業倶楽部会館の保存と再生」

日本工業倶楽部会館の再生に携わった三菱地所設計の野村和宣の解説で、参加者は会館内を見学した。


「武庫川女子大学東京センター」ホームページ


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とんとん・にっき-muko3 第2回「明治の近代建築」

日時:10月1日(土)13:00~
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第3回「大正の近代建築」

日時:12月3日(土)13:00~

場所:日本工業倶楽部会館