佐藤泰志の「きみの鳥はうたえる」を読んだ! | とんとん・にっき

佐藤泰志の「きみの鳥はうたえる」を読んだ!

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佐藤泰志の「きみの鳥はうたえる」(河出文庫:2011年5月20日初版発行)を読みました。この本を買ったのは、たしか昨年の5月、文庫本が出た時に買っておいたものです。もう1年近くになるのに、やっと読むことができました。この本は「きみの鳥はうたえる」と「草の響き」の2作からなっています。ここでは「きみの鳥はうたえる」だけを取り上げます。


著者の佐藤泰志の略歴は、以下の通りです。1949年、北海道・函館生まれ。國學院大學哲学科卒。高校時代より小説を書き始める。81年、「きみの鳥はうたえる」で芥川賞候補となり、以降3度、同賞候補に。89年、「そこのみにて光り輝く」で三島賞候補となる。90年、自ら死を選ぶ。他の著書に「海炭市叙景」「黄金の服」「移動動物園」「大きなハードルと小さなハードル」などがある。


本の裏表紙には、以下のようにあります。

郊外の書店で働く「僕」といっしょに住む静雄。そして佐知子の悲しい痛みにみちた夏の終わり・・・世界に押しつぶされないために真摯に生きる若者たちを描く青春小説の名作。読者の支持によって復活した作家・佐藤泰志の本格的な文壇デビュー作であり、芥川賞の候補となった初期の代表作。珠玉の名品「草の響き」併録。


芥川賞候補作になった表題作「きみの鳥はうたえる」について、丸谷才一は「芥川賞選評」で以下のように述べています。

これは青春の哀れさと馬鹿ばかしさといふ、もうすつかり陳腐なものになってしまった主題、いや、文学永遠の主題の一つをあつかつたもので、かなり読ませる。特にいいのは若者たちに寄り添ひながら、しかしいつも距離を取つてゐることである。そのせゐでわれわれは彼らのいい気な生き方をわりあひ客観的に眺めることができる。(丸谷才一:第86階芥川賞選評より)


本屋に勤める前に僕は2年間、アイスクリーム会社の冷凍倉庫で働いていました。そのとき、スポーツ新聞の求人広告を見てやってきたのが静雄でした。その夏が終わったときに僕は、共同生活をしないか、とあいつに持ちかけます。静雄はふたつ返事で承知します。すぐに引っ越してきた静雄、持ち物はレコードが何枚かと蒲団だけでした。そのレコードは全部ビートルズのレコードで、それは静雄が失業してから古レコード屋に売り払ってしまいます。プレーヤーがありませんので僕が歌います、と静雄が歌ったのが「アンド・ユア・バード・キャン・シング」でした。ジョン・レノンの作詞・作曲によるもので、その中の歌詞の一部がこの本の題名「きみの鳥はきこえる」になったようです。


文庫本の「解説」は井坂洋子が書いています。

それにしても「きみの鳥はうたえる」という作品は不思議だ。・・・なぜ主人公は友人の「静雄」に、恋人の「佐知子」を譲ったのだろう。・・・「佐知子」が最初に主人公に誘いをかける。主人公は彼女に魅かれるのに、約束をすっぽかすのも不思議だ。自分のエゴ、もっと簡単にいえば欲望に忠実ではなく一拍置くのである。作者はその他、彼の謎めいた行動にメスを入れない。


「静雄」は芥川の小説「蜘蛛の糸」のカンダタのようだとからかわれたりします。「佐知子」の傘に、「佐知子」を間にして主人公と「静雄」が入って、3人で歩いていくシーンで、「そのうち、佐知子のむこうに、彼女を通して新しく静雄を感じるだろう」という文章がある。そして小説の終わり近くで、もう一度、その時の思いが繰り返される。「そのうち僕は佐知子をとおして新しく静雄を感じるだろう、と思ったことは本当だった。・・・今度は僕は、あいつをとおしてもっと新しく佐知子を感じることができるかもしれない」。「すると、僕は率直な気持ちのいい、空気のような男になれそうな気がした」と、主人公の僕は思います。


小雨の中を立ち止まって今週のライン・アップを眺めると、ふたりとも前に別々に見たことのある映画でした。「母親とまだ僕がふたりでアパートにいた頃に見た。それからしばらくたって、母親は叔母のところへいったんだ」と、映画館の隣のソーダ・ファンテインに入った時に静雄は言います。静雄が母親をすてた、ある日一方的に別々に暮らすことにきめて、母親には何も知らせずにそのアパートを出た、という話は僕も知っていました。・・・なぜそんなことになったのか、静雄はお袋は身体が弱っている、といっただけでした。


ある日突然、静雄の兄が訪れて、「母親はこのあいだ、病院に入院しました。それを弟に知らせようと思って」という。静雄にきていた叔母からの手紙を渡すと、そこには「あんたのお母さんは入院しました。精神病院です。わたしたちはそうする以外、方法がありませんでした。・・・なんといっても、あんたのお母さんは、齢を鳥、疲れすぎています」と、書いてありましたありました。静雄の兄は、「弟と病院に行こうと思っています」と言いました。帰ってきた静雄に「兄さんは明日、病院までお袋さんを見舞いに行くそうだ」と言うと、佐知子も「あんたも行かなくちゃならないわ」と言う。静雄は今、怒り狂いそうになっているんだ、と僕は感じます。


静雄は電話をかけるために部屋を出ておきます。あんたに話したいことがあるの、と佐知子が言います。「本当は静雄は明日、この部屋をでるつもりだったのよ。それを今夜、あんたにいうつもりだったの。聞いて。あたしたち、一緒に暮らすことにしたの」。僕は「そうだと思っていたよ。前々からそんな気がしていた」と言いました。


4日目に静雄からの葉書が速達で届きます。お袋のことは3行だけ書いてあります。「衰弱しきっている。この頃は、ひどく暴れるようになったので、注射で眠らせるときは手足をベッドにしばりつけている。暴れるときは病気の年寄りだとも思えない」。そして「もう一度お袋に会って返るつもりだ。佐知子によろしく」と結んでいました。次の朝、バスが停留所に着くと佐知子が目の前に立っていました。彼女は新聞の切り抜きを出しました。静雄に関する記事でした。


「解説」のなかで井坂洋子は、作者の佐藤泰志も精神を病んでいた時期があった、と書いています。そして最後に、次のように書いています。寡作な作家という印象だが、彼が書き残したものは朽ちずに、現実に押しつぶされそうな者たちの漂流版のような拠りどころとなって、今後も読み手とともに流れ続けていくだろう。それが作者の一縷の望みだったと思える。


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