佐藤泰志の「海炭市叙景」を読んだ! | とんとん・にっき

佐藤泰志の「海炭市叙景」を読んだ!

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今朝の朝日新聞朝刊の広告、切り取ってその画像を下に載せておきましたが、朝日新聞「売れてる本」で大紹介!7刷6万部突破!と大きな見出しが躍っています。続けて「函館出身の著者が描いた海に囲まれた小さな町で育まれる、ひとびとの絶望と希望。幻の傑作がよみがえる」とあります。そして映画「海炭市叙景は、「第12会シネマニラ国際映画祭グランプリ最終週杯優勝W受賞!」「第23回東京国際映画祭コンペティション正式出品作」、全国絶賛上映中!と続けています。


この映画については僕は去年末頃知り、すぐにでも観たいと思っていましたが、観たのは今年1月末になってからでした。購入してあった佐藤泰志の「海炭市叙景」(小学館文庫:2010年10月11日初版第1刷発行、2010年12月27日第5刷発行)は、映画を見終わってすぐに、一気に読みました。元々この本は、1991年12月に集英社から単行本として発行された作品を、たぶん映画の上映と合わせて、文庫として刊行したもののようです。文庫本の裏には、以下のようにあります。


海に囲まれた地方都市「海炭市」に生きる「普通のひとびと」達が織り成す18の人生。炭鉱を回顧された青年とその妹、首都から故郷に戻った若夫婦、家庭に問題を抱えるガス店の若社長、あと2年で定年を迎える路面電車運転手、職業訓練校に通う中年男、競馬にいれこむサラリーマン、妻との不和に悩むプラネタリウム職員、海炭市の別荘に滞在する青年・・・。季節は冬、春、夏。北国の行き、風、淡い光、海の匂いと共に淡々と綴られる、ひとびとの悩み、苦しみ、悲しみ、喜び、絶望、そして希望。才能を高く評価されながら自死を遂げた作家の幻の遺作が、耐乏の文庫化。


著者の佐藤泰志の略歴は、以下の通りです。小説家。1949年北海道函館市生まれ。國學院大學哲学科卒。81年「きみの鳥はうたえる」が第86回芥川賞候補作となる。以後、88回、89回、90回、93回の芥川賞候補作に選ばれる。90年10月10日自殺。享年41。著「きみの鳥はうたえる」「そこのみにて光り輝く」「黄金の服」「移動動物園」「大きなハードルと小さなハードル」「海炭市叙景」。


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単行本の解説で福間健二は、以下のように書いています。私たちが佐藤泰志から聞いていた「海炭市叙景」の構想では、ここの収めた2章をなす18の物語は、全体のちょうど半分にあたり、さらに2章が書かれて全部で36の物語からなる作品世界が形成されるはずであった。作品の中の季節でいえば、ここまでが冬と春であり、このあとに夏と秋が用意されていたのである。その後半部分は、それまでの断続的連載のゆっくりしたペースではなく、一気に書き上げようという計画だった。しかし、90年10月10日の作者の自殺によって、その計画は実現されずに終わった。


元々、海と炭鉱しかない街だ。それに造船所と国鉄だ。そのどれもが、将来性を失っているのは子供でも知っていた。いまでは国鉄はJRになってしまったし、造船所はボーナスの大幅カットと合理化を巡って長期のストライキに突入したままだ。・・・街は観光客のおこぼれに頼るしかない。・・・この街へ帰って来ても、ろくな仕事にありつけない。若い人間の生きにくい街になってしまった。炭鉱が潰れ、造船所は何百人と首切りをはじめた。職安もあてにならない。・・・停留所では人は降りるいっぽうになる。終点では彼ひとり、ということもたびたびある。


やはり衝撃的だったのは、この本の最初に出てくる「まだ若い廃墟」です。その出だしは、こうです。「待った。ただひたすら兄の下山を待ち続けた。まるでそれが、わたしの人生の唯一の目的であるように。今となっては、そう、いうべきだろう」。そして「むしろわたしは自分の心にあきれていた。俺は歩いて下山する。子供の時から歩きなれた道だ。1時間かそこらあれば会える。山頂の下りのロープウェイの前で、自信に満ちた声で兄はいった。それから何時間かたって、もしかしたら、とんでもない異変が起きたのではないかと気づいたのに、まだわたしは待っている。そのとても奇妙な心が自分でもわからなかった」。「まだ若い廃墟」は、わずか14ページの短編です。しかし読むものにはずしりと重くのしかかります。いや、それどころか後に続く「海炭市叙景」の全体に通底し、重くのしかかっています。


そんな寂れてゆく町でも35万人の人間が暮らしています。文庫本には川本三郎の「文庫版解説」が書かれています。「大都市一極集中、地方都市の疲弊といった現代日本の大きな問題を先取りし、しかも、それを大げさな社会問題としてではなくあくまでも町に生きる人々の日常の哀感に即して描いていること。地に足が着いている」と評しています。続けて、次のように書きます。「大江健三郎における四国、中上健次における熊野、あるいは立松和平における宇都宮近郊の農村。いずれも故郷である。いったん東京に出た作家が、故郷の重要性を思い知るようになる。自分の根っこを大事にしようと思う」。佐藤泰志にとって、その再発見された故郷が、かつては北海道を代表する都市だった「函館」でした。


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