有吉玉青の「恋するフェルメール」を読む! | とんとん・にっき

有吉玉青の「恋するフェルメール」を読む!


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フェルメール作といわれている作品は現在、世界に37点。そのうち何点かは真作かそうでないかの議論がいまだにつづいている。かつて非真作と断定された作品が、真作として新たに認定し直されたりすることもあったし、権威による真作のお墨付きを得られたはずが、実は贋作だったこともある。その希少価値から盗難にあった作品もあり、ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館に所蔵されていた「合奏」は、いまだ行方知れずである。神話が神話をよび、伝説が伝説をつくる。フェルメール・フリークたちは、全点制覇を夢見て世界の所蔵美術館に出かけて行くが、しかし、どうしても見ることのできない作品もある。


著者が最初に意識して見ようとした作品は、ボストンに留学中の、まさに盗難直後の「合奏」だった。本書は不在の絵から始まった、フェルメールの作品を訪ねる旅の物語である。絵は見るものというより見に行くもの、という熱い思いを胸に、フェルメールという恋人に会うため、世界各地へ足をのばす。やっと会えた絵もあれば、再会したものもある。そして美術館や町や友人などを細やかに描きながら、1作品ずつ、36作品をみごとな筆致で鑑賞していく。読者は軽い嫉妬と同志的な歓びを同時に抱きながら、フェルメールの世界へと引きこまれていくにちがいない。ファン必読の一冊。(出版社からのコメント)


「出版社からのコメント」を、上に載せておきます。「恋するフェルメール 36作品への旅」、2007年7月30日発行。著者は有吉玉青、1963年東京都生まれ、早稲田大学哲学科、東京大学美学芸術学科卒、ニューヨーク大学大学院演劇学科終了、とお堅い経歴を書くより、有吉佐和子の娘、と言った方が分かり易い。主要著書に「身がわり 母・有吉佐和子との日々」があります。その有島玉青がフェルメールに魅了されて、各国に現存する30数点の作品を訪ね歩いた16年間を振り返って書かれたものです。


「恋するフェルメール」の表紙は「真珠の耳飾りの少女」、青いターバンを巻いて、口を半開きにして、潤んだ目でじっとこちらを見ている、フェルメールの絵の中ではもっとも有名な絵です。最近のフェルメール・ブームの要因の一つに、イギリスに住むアメリカ人小説家トレイシー・シュヴァリエが書いた小説「真珠の耳飾りの少女」が、1999年に刊行されてベストセラーになったことがあげられます。フェルメール家で働く若い女中が、画家に望まれて「真珠の耳飾りの少女」のモデルになったというものです。そして、それを原作としてスカーレット・ヨハンソンが主演した2002年のイギリス映画「真珠の耳飾りの少女」が、世界的に大ヒットしたことがあげられます。日本では2004年に公開され、少女役のスカーレット・ヨハンソンは、日本でも一躍有名になりました。正直言って、僕もその映画を観るまでは、ほとんどフェルメールのことは知りませんでした。


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1990年秋、有吉は結婚相手の留学先であるボストンで結婚式をあげます。アメリカでしばらく暮らすならば、いろいろなところに行ってみたい、美術館も訪ねてみたいと思います。27歳の多感な時です。まず始めに行ったイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館という個人美術館、お目当てのフェルメールの「合奏」は、半年前に盗まれてありませんでした。「見られなかった『合奏』――これが私のファースト・フェルメールだ。私のフェルメールを訪ねる旅は、『不在』から始まった」と、このエッセイは始まります。

それにしてもアメリカの国力の底力は凄い、オドロキです。メトロポリタン美術館に5点、フィリック・コレクションが3点、プリンストンに1点、ナショナルギャラリーに4点、盗難中のボストンの1点を加えるとアメリカ全体でフェルメールの作品は14点も持っていることになります。フェルメール全作品36点のほぼ40%を持っているという。そうそう、フェルメールの全作品の数ですが、有吉玉青は36作品としていますが、「フェルメール全点踏破の旅」を書いた朽木ゆり子の方は全37点としています。こちらの本は2006年9月20日発行です。新書版ですが、写真も多く、分かり易く書かれており、フェルメールの理解には大いに役立ちました。この「全点踏破」は、ある出版社の企画で、わずか3週間余りで33枚のフェルメールを見て歩いたというものです。朽木は、「盗まれたフェルメール」や「謎解きフェルメール」等、フェルメールに関する著作が多いジャーナリストです。

最初は有吉玉青は、自分がフェルメールに見せられた理由がはっきりとはわかりませんでした。しかし、アムステルダムで「牛乳を注ぐ女」と対面したときに、恋心に似た感情を抱いたことを一気に悟ります。「次の部屋にフェルメールがあると思ったとき、とたんに私の歩みは遅くなった。一刻も早く会いたいのに・・・、ちょっと、こわい。これは、まるで恋人に会いに行く気分ではないか?私はそのとき始めて、フェルメールに恋をしているのだ、と思った」。「思いきって部屋に入ると、まず、『牛乳を注ぐ女』が目に飛び込んできた。わ。印象派、それだけだ。その絵は、固く焼き締まっているように見えたが、あとはよく見る間もなく、その塊に、ガツンとやられた感じである」と記しています。


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この「牛乳を注ぐ女」は、「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展、として9月26日から、国立新美術館で公開されます。日本初公開だそうです。「風俗画」というところがちょっと気になりますが、何らかの理由があってのことでしょう。有吉も「物語画を描いていて、あれこれ悩み、試行錯誤のうちに徐々に風俗画に移行していったのかもしれない。けれども、あるとき突然、まるで生まれ変わったように風俗画を描き始めた、ということもあると思うのだ」としながらも、「彼の絵を風俗などという俗な言葉で括ってしまっていいのだろうか」と疑問を呈しています。「台所の片隅で家事労働にいそしむ使用人の女性が、堂々たる存在感と永遠性を持って描き出されたこの作品は、30数点しか現存しないフェルメールの作品の中でも、とりわけ高く評価されてきました」と、チラシの裏に書いてありました。


有吉の、大学院をやめた挫折感や、人間関係で落ち込んでいるなど、そうした想像できる個所も、この本から読みとることができます。「人は迷ったとき、旅に出たくなる。そこへ行けば、答えが見つかるとも限らないのに」。そしてフェルメールの前に答えはありました。「人間関係は、互いに向き合って築くものではなく、横並びで築けるのではないか」と。そして、母親を亡くした後、25年ぶりの父親との再会も。有吉玉青の父親は、丼・コサック合唱団やボリショイサーカスを日本に招聘した「呼び屋」の「神彰」です。「昭和の怪物」と呼ばれた父親を「親父」と呼ぶようになります。


有吉は、ものを捨てられない性分でチラシやパンフレットのたぐいは捨てないでとってあるという。フェルメールに関しては見たときには絵はがきを買い、感想をメモしておくという。そしてこのエッセイを書くのに役立ったのは当時の日記だという。それ以上に、フェルメールは恋人なのだから、会いに行ったときのことは自分でも意外なほど憶えているという。1990年10月のボストンから、2006年12月のドレスデンまで、35点を見るに至りますが、見たなあ、行ったなあという静かな感慨があるが、不思議とそれは達成感とは違うようだ、と言います。「絵には思い出が染み込むのではないか。そしてそれが、自分にとっての絵なのではないだろうか。絵は見るものというよりも見に行くものなのかもしれないと、この本を書きながら思った」と。訪れた町の様子や人々との交流も細やかに描かれ、旅行記としても楽しめる一冊です。


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