またまた、真珠の耳飾りの少女 | 三太・ケンチク・日記

またまた、真珠の耳飾りの少女

また見ちゃいましたよ、映画「真珠の耳飾りの少女 」を、7月初めに見ましたから2回目なんですが。近所の映画館にといっても、ホント、場末のですが、来たので、それいけと。絵画みたいなシーンが随所に出てきます。「君を描こう」、少女は息をのみ、画家を見つめ返した。心の奥に秘めた想いを表面に出さずに。ん~、彼女の半開きの唇と瞳はなかなか官能的でした。最初見たときはあまり気がつかなかったんですが、今回はなぜか音楽もよく聞けて素晴らしかった!

1665年、オランダ。天才画家フェルメールの家に使用人としてやってきた少女グリート。下働きに追われる中、画家の手伝いをするうちに色彩における天賦の才を見出されたグリートは、やがて絵のモデルとなり、画家に創造力を与えるようになる。主人と使用人としての距離を保ちつつも、次第にお互いが本能で理解しあえる運命の相手だと気づく二人。許されぬ恋。触れ合うこともできぬまま、押しとどめていた想いは、しかし画家とモデルとして向き合うことでやがて、押さえきれぬものとなっていく。だが、そんな二人を嫉妬に身を焦がす画家の妻、好色で狡猾なパトロンが許すはずもなく、少女はその想いを犠牲に、敬愛する画家と芸術のためにその身を危険にさらしていく。

というストーリーなんですが、17世紀の画家ヨハネス・フェルメール の作品「真珠の耳飾りの女(青いターバンの少女)」をテーマにした小説が映画化されたものです。映画はそれほどドラマチックに進行するというわけではなく、地味といえば地味な作品です。少女の心の軌跡を繊細に演じるのは、スカーレット・ヨハンソン 。この映画でゴールデングローブ賞ドラマ部門主演女優賞ノミネートされ、アカデミー賞も目前の若き実力派女優だそうです。最初見たときは新人かと思ったほど初々しく、後で調べてみたら、どうしてどうして、なかなかな女優のようです。寡黙な天才画家フェルメールには、コリン・ファース 。「ブリジット・ジョーンズの日記」にも、ヒュー・グランドと出てるんですね。イギリスを代表する俳優のようです。僕は知りませんでした。が、寡黙でいい男です。って、役柄がそうだっただけかも?映画は期待通り、フェルメールの絵そのものの神秘的な光と影を完全に再現し、静謐な映像美を作り上げています。

僕が映画「真珠の耳飾りの少女」を最初に見たのが今年の7月の初めなんですが、ちょうど映画が公開された頃、東京都美術館 で「栄光のオランダ・フランドル絵画展 」というのが開催されていました。4月15日から7月4日まででした。僕はなぜか、見に行ってないのですが。フェルメールの「画家のアトリエ」が展覧会の目玉だったようです。

NHKの新日曜美術館で「画家のアトリエ 」を取り上げて、美術家の森村泰昌 に依頼して、大阪中之島の美術館にてアトリエも再現し、モデルも森村が女装して、写真を撮影したのを見ました。その時だったか、「カメラ・オブスキュラ 」を専門に研究している方が出て、フェルメールの画法を巡っての議論がされてました。映画にも「カメラ・オブスキュラ」を使っているところが出てきます。一枚の下描きもない、デッサンも残さないフェルメールは、やはり「カメラ・オブスキュラ」を使っただろうというのが定説になっているようです。

フェルメールは、30点余の作品しか描いていない寡作な画家です。その少ない絵を見たくて、世界各国の展覧会がある毎にフェルメールを「追っかけ」ている人も多数いるようです。

そうそう、この映画で重要な役として、フェルメールの奥さんのお母さん、奥さんはヒステリーばかり起こしているのですが、フェルメールの義母にあたるわけですが、あの魔女みたいなおバアさんが、しっかりとパトロン候補を家に食事に呼んで、絵を売り込むところが、当時の画家とパトロンの関係が彷彿され、なかなかおもしろかったですね。フェルメールにいい絵を描かせるために、奥さんに内緒で、奥さんの「真珠の耳飾り」を貸してやるところなんかも。映画とはちょっと違いますが、高階秀爾の「芸術のパトロン 」(岩波新書)には、フェルメールの父親が宿屋を経営しており、そこに売るための絵を飾っておいたとか、聖ルカ組合に美術商として登録しており、画商のようなことをしていたと書いてあります。フェルメールは15人(うち4人は早逝)もの子供を抱えて、生活も楽ではなかったようです。なにしろ画家は、寡黙に描くだけで、あれでは売れない、とても商売には向いていませんからね!