窪島誠一郎の「明大前」物語を読む! | とんとん・にっき

窪島誠一郎の「明大前」物語を読む!

meidai


長野県上田市の「無言館」へは、残念ながら僕はまだ行く機会がありません。去年の夏、NHK新日曜美術館で「無言館」が取り上げられて、「戦後60年 いのちの証 無言館遺された絵画展」の巡回展も催されていました。その時にこのブログで、「無言館ノオト――戦没画学生へのレクイエム」という本を紹介した記事を書きました。著者は1941年東京生まれの窪島誠一郎。略歴を見ると、信濃デッサン館、無言館館主。作家。印刷工、酒場経営などを経て、65年東京世田谷に「キッド・アイラック・アート・ホール」を設立。また79年長野県上田市に美術館「信濃デッサン館」を、87年ニューヨーク州に「野田英夫記念美術館」を、97年「無言館」を設立した。著書に、実父水上勉との再会を綴った「父への手紙」(筑摩書房)、「信濃デッサン館20年─夭折画家を追って」(平凡社)、「信州の美術館めぐり」新潮社)など。とあります。


東京世田谷に「キッド・アイラック・アート・ホール」を設立、とありますが、その実体はどういうものなのか、「明大前」物語を読むまでは、よく判りませんでした。いまヤフーの地図を開いてみたら、「キッド・アイラック・ホール」の名が、甲州街道沿いにありました。この名は「喜怒哀楽」をもじって付けたそうです。また、実父水上勉との再会を綴った「父への手紙」、とあります。是非読んでみたいと思い、折に触れこの本を探しているのですが、未だに手に入らず、読んでいません。窪島誠一郎は、最初の自伝的小説「父への手紙」と同じ出版社から、「あの続きを書いてごらんになりませんか」とすすめられ、「父への手紙はもう書けませんが明大前への手紙なら」と引き受けたのがこの本、「明大前」物語、を書く動機だったと、あとがきに書いています。


ここでは、「明大前」物語、の読後感を書いておくことにします。なぜか、明大前に「」がしてあるタイトルです。「明大前」とはどこか?杉並区永福に「明治大学和泉校舎」というのがあります。文科系6学部の1・2年生が通います。甲州街道をまたいでその前にある駅だから「明大前」。新宿から出ている「京王線」と、渋谷から出ている「京王井の頭線」の交差しているところに「明大前」の駅があります。「京王線」に沿って、甲州街道が西へ延びています。甲州街道の南側は世田谷区松原です。つまり、「明大前」は世田谷区にありながら、杉並区に接する微妙な位置にあります。ちなみに「明大前」駅は、大正2年の開業当時は付近に陸軍の火薬庫があったので「火薬庫前」という駅名だったそうです。大正6年に、地名の「松原」に改名され、さらに昭和10年明大予科の創設を受けて現在の駅名に改称されました。


mugon

甲州街道といえば、東京オリンピックのマラソンコース、エチオピアのアベベが独走した道路です。その後、道路に覆い被さるように高速道路が出来て、「永福」の出入り口が出来ました。東京オリンピックを機に高度経済成長が始まり、町の様相は一変しました。しかし「どんなに町が変貌しても、思い出の建物がなくなっても、明大前であの時代をおくった人間にとっては、この町は永遠に自分だけが知ってる『明大前』なのではないかという気がしてくるのである。」と、著者はあとがきに書いています。


戦争が終わって、疎開先の宮城県石巻から、一面焼け野が原になっていた明大前に親子三人が帰ってきたところから、この物語は始まります。荒涼とした風景の向こうには、甲州街道を挟んで明治大学和泉校舎が堂々として立派に見え、ジイジイというアブラ蝉の声が聞こえてきたという。よく嘘をつき「嘘つきセイ坊」と呼ばれた幼少時代から、「5円玉と包茎」、「さらば童貞、ようこそ初恋」等々、同時代を生きたものには興味深い話が次々と出てきます。幾つかの職業を渡り歩き、その後レストラン「塔」を開店。昭和39年の東京オリンピック、日本という国が「物の怪」に憑かれたみたいな不思議な活力がみなぎっていた時代です。


「私はマラソンの当日、沿道の見物人に自転車でオニギリを売った。何しろこの日、競技場から飛田給までの沿道を埋めつくした見物人は20万人とも30万人ともいわれていた。」。また「商売がらみ」で、女子バレーの決勝戦に合わせて「金メダル定職」なる新メニューをつくり、大当たりを取ったエピソードも紹介されています。「塔」には風変わりな常連客が付き、女の子を引き連れ、真っ赤なマイカーを乗り回し女好きの本領を発揮します。そして念願の家を「成城」のはずれに建てるまでになります。昭和49年末に、約11年続けたレストラン「塔」を閉店し、「キッド・アイラック・アート・ホール」に改装し直します。それがその後、富士銀行松原市店の支援で、長野県上田市に、戦没画学生の作品を集めた異色の美術館「無言館」を開設する足がかりになります。


この本、最初の章から、誤解されそうですが、ちょっとしたミステリー仕立て、「私はときどき、あのときあんなに両親が優しかったのは、やはり私が他家から貰われてきた特別な子であり、親たちがけっして粗末にしてはならない子だったからではないかと思うことがある。」と、アイスキャンデーを買ってくれたのは育ての父母であり、本当の父母は他にいるのではということをほのめかして始まります。このような箇所は何度も出てきます。戦時中の昭和16年、無名作家時代の水上勉の子として生まれたが、貧困のために養父母に引き取られたのでした。読む僕たちには水上勉の実子であることが判って読んでいるのですが、「あなたの本当のご両親は他にいるんですよ」と出生の秘密を知る人から知らされたことが出てくるのは、やっと最終章です。


文章は飾り気がなく、淡々と描かれていますが、いつ出るかという気持ちを延ばし延ばしにするという、見事な構成としかいいようがありません。窪島は自分でも言っている通り、家族に対する感慨が薄い分、土地に対する思いが人並み以上に強い。「明大前」の町を思い、熱い郷愁がみなぎった、素晴らしい「自伝」を、自分に引きつけて読み、充分に堪能しました。


過去の関連記事:
「無言館ノオト――戦没画学生へのレクイエム」