猫は救世主だった!

 

コロナに入り、旦那の在宅が決定し、3、4カ月が経った頃、私もフルタイムで働いていた。旦那がずっと家に居る。。。廃人の様に毎日スマホを眺めていた。

 

私は仕事と家の往復でヘトヘトだった。なにか癒しが欲しいと、飼うに至った我が家の猫。今年で3歳になる。

 

我が家にワンコが居た時は、旦那は実家でもワンコを飼ってたので、扱いになれてた?それとも気にしてない?感じだった。

 

だが、猫を飼いだして、「餌無いよ!」「水ないよ!」「ウェット食べたいんじゃない?」と構う様になった。

 

散歩の必要が無く、家猫なので、室内で静かにしている我が家の猫。

 

 

私が飼いたくて一緒に暮らす事になったのだが、旦那はテレワーク。私は仕事。旦那の方が猫を一緒に居る時間が長い。

猫は、最初は私に懐いていたが、旦那にも良く懐いた。

 

猫に懐かれるのに旦那はなんか嬉しかったようで、私が仕事中でも、「猫と会議中だよ~」とテレワークに猫を見せていたりした話をラインしてくれた。

 

セラピードッグならぬ、セラピーキャットだったのだ。

 

我が家のワンコは遠慮していたが、にゃんこは違った。どんどん絡んでくる。

 

トイレも覚えて砂をかける。

 

毛が抜けるのが嫌だった私も、今や服が毛だらけでも気にならなくなっていた。不思議なもんんだ。コロコロも家に有る。ブラッシングもしている。

 

猫の毛で鼻が少々痛いが、想定の範囲内。

 

多分最初で最後のニャンコとなるが、長生きして欲しい。

 

今自分の部屋に居るが、ニャンコも傍に居る照れ飛び出すハート

 

キーボードを踏まれるのは困るが。。。

 

だが、未だに猫の砂難民では有る。私的には固まる砂が扱いやすい。砂になって下に落ちるタイプは、どうも慣れない。ニャンコも砂をかけたい願望が有る様で、固まるタイプの、やや小粒の砂を使っている。ウンチの絡みも良い。

 

旦那はトイレ掃除はしないが、餌は確認してくれる。

 

我が家のニャンコは滅多に鳴かない。ダラダラ食いなので、餌は絶えず置いてある。皿が空っぽになっても鳴かない。マンションにも向くニャンコだ(我が家は戸建て)。そして頭が凄く良い。

 

しかし、飼い主以外には懐かない。多頭飼いは向かないらしい。

 

家に業者が入って来る時はケージに入れる様にしている。

ニャンコも一人になりたい時にケージに入っている。

ホットマットが有るから。

 

給水機も悩みの一つだった。小型のニャンコなので、ケージの中で過ごせるのでフードや水もケージの中にセットしている。噴水の様な物は置けない。猫は流れる水が好きと聞いた事が有ったが、確かに私たちのトイレについて来るとトイレの水が流れるのを興味深々で見ている。

 

すまんのぉ。噴水型は置け無いのだよ。。。

 

我が家のニャンコは我儘では無いので、察してボウルから飲んでくれている。

 

先に述べた様にダラダラ食いなので、朝お腹すいて起こしに来る事も無い。

 

静かに夜中、一人で運動会をしている。

静かにと書いたが、電気スタンドを壊したり、時計を壊したりもしている。

 

私のバックからマスクを出してゴムを噛み切ったりもしている。

 

でも、私たち夫婦に「適当に構って欲しい」という生き物の存在が心地良かったりもするのだ。

 

まだまだ「猫」の暮らしの洗礼を受けていないから楽観視している。

 

我が家は軽量鉄骨なので、ネズミは居ない。多分Gも居ない。いつかニャンコは狩りをして来るのだろうか。。。

そして枕元に置いて行くのだろうか。。。あの小さい口で。。。びっくりはてなマーク

 

気が付くとニャンコは私の部屋からもう去って行ってしまった。飽きたのかな。私が2階の各部屋にニャンコが紛れ込まない様に、入ってくるなよオーラをだしているからだろうか。何度も気が付かず、ドアを閉めてしまってニャンコが静かに暴れているのを見ているので(鳴かない)、気を付けている。

 

なので私が2階に上がる時は、ついて来ない事が多い。旦那は無頓着なので、そう言う事を考えて行動しないので、旦那が2階に上がるとニャンコはついて行く。

 

ニャンコは雌である。やはり男性ホルモンの臭いを好んで居るのだろうか。

 

猫の知識が少なく、問題を起こさないので、今は何とかなっている。ずっと一緒に居るから、長期宿泊の時はどうしようかと悩む。ペットホテルは見つけたが、ニャンコの性格が変わらないか不安も有る。狭い箱にずっと入っているペットホテルでは無く、小部屋に入れてくれるホテルを見つけては居るのだけども。。。

 

一昨年、ペット同伴OKの都内のホテルに泊まった時、ルームサービスを利用する度に、猫が逃げない様に捕まえてケージに入れるのが大変だった。ベッドの下に潜ってしまう。追っかけ回し過ぎてニャンコが怒るしで、猫同伴の旅行は2回で終わったのだった。

 

それでも旦那は気にして無いようだ。

 

セラピーキャットになって居るのかもしれないキョロキョロ

 

 

 

次回:白内障とその後

 

 

 

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↓旦那の仕事中にキーボードに乗ってしまうので、カバーを購入しました。これは助かってます照れ

 

 

 

↓2段式ケージの中に置いている自動給水機とフードボール。コンパクトなので、ケージの中に納まります。給水ボールに蓋の様な物が有ったのですが、水をガブ飲みしたいらしいので、外しましたウインク

 

 

↓ペットショップで売っている首輪はどうも嫌がり、ベルト式でも外されてしまうので、柔らかい収縮性のゴムの首輪(鈴付き)。余裕を持ち過ぎると噛み着られるので、大人女性の指2本が入る程度の遊びを持たせて付けてあげるとOK飛び出すハート鈴が心地よく、何処に居るか分かります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

旦那のASD・ADHDとは

 

旦那はASD・ADHDの傾向があるグレーである。

でもやっぱりASD・ADHDなんだと思う事は多々ある。

 

・ところん集中する

・落ち着きがない

・人の気持ちが分からない

・相手が傷つく言葉を考えもせず直ぐ言う

・人とのコミュニケーションが苦手。

・自分の習慣を否定されると激昂する

・新しい環境に馴染めない

・興味ない事は全くやらない

・人に冷たい

・乱暴

 

が、IQが高かったので、良くも悪くも「ギフテッド」

だったと思う。

 

・勉強好き

・語学に強い

・物覚えが良い

・計算が早い

・分析力

・突破力

・人の真似が上手い

・仕事ではちゃんとしている

・専門職

 

 

なので、私はこの二つの狭間で振り回されていた。

仕事ではちゃんと話せるのに、配偶者とはちゃんと話せない。

 

会話をしっかりする様になったのはコロナに入って色々私との対話を重ねてからだった。挫折を味わったのも大きかった。

 

それまでロボットの様だっだ。

 

ただ、お金の管理が出来ない。

これは大問題である。

 

未だに財布は旦那が管理している。

 

有れば使ってしまう。

 

ASD特性の集中力はスロットにも発揮されていた。

期待値を計算して、今何回転してメダルが何枚でたから、後何回回せば幾ら手に入ると言う計算をしていた。

 

高校生の頃からスロットをやっていたので、もうギャンブル好き。

 

成績は良かったので、勉強し過ぎたらスロットに行く感じだったようだ。

 

私は因みに結婚前に「ギャンブルしないよね?」と確認したのだ。奴は嘘を付くのが、仕事上上手い。

 

スロットも必ず勝って帰ってくることが多かった。

そして投機も「期待値」を狙って、得意の分析力で結果をだしている。(私は詳しくは知らないが、借金はしないよう、口を酸っぱくするくらい言っている)

 

ADHDの特性で、なにかしら集中していないと気がすまない。のんびりする事が苦手。夕方仕事が終わるとソワソワしだす。本当に落ち着きが無い。今、薬を処方して貰っているから昔よりはマイルドにはなったけど。夜中に目が覚めてはコンビニに行ってしまう。

 

ASD・ADHDの特性は本当に厄介である。

本人が認めない限り、奇異な行動は治らないのだ。

いや、認めても治らないかもしれない。

ASD・ADHDは、怒ると一生覚えている。癇癪を起す。全てを大体容認しないと先にすすまない。しかし駄目だという時は子供の様にスマホやキーボードは取り上げる様にしている。

 

もっと早くからキーボードを取り上げれば良かったと後悔している。(投機につかうから)

 

スロットもシンプルな物が好きで、永遠に出来る。

なので、モニターをずっと見る事も苦痛では無いようだ。

特性の集中力と依存症である。

 

まだ会社でちゃんと仕事をしているから良いものの、これで仕事もしてなかったら我が家はとっくに自己破産だった。

 

仕事もフレックス、在宅、裁量労働制でなんとかこなしている。

 

ギフテッドという者は危ない。

一歩間違えれば人生終わる。

 

 

イライラしている時の車の運転も危険だし。

 

 

怒っている時は急発進、急ブレーキ。。。

 

 

かと思えば泣く。

 

そして突然、ウキウキになる。躁鬱の典型だ。

躁鬱激しいASD・ADHDは厄介だ。さらにパニック障害もある。

 

私も息子が産まれた時の写真を見ると、ゲッソリ痩せている。SSを着てたくらいだ。

 

ま、最近は残りの人生も短いので、だいぶ自分を振り返る様になった。今頃かよ。。。息子もまだ小さいし。。。

 

なんか息子と離れてからの6年は本当に不毛な期間でした。

我が家の空白の時間だったな。

 

でも今後も不安ですよ不安不安不安あせる

 

どちらかの健康寿命が尽きた時が本当に怖いです。。。ガーン

 

大人の発達障害(大人になってから気が付く)は最近では良く聞きますよね。

 

私が努力してきた事は、相手の精神年齢に合わせて会話をする事。笑い話にする事ですかね。

 

暗い話が続いてすみません悲しい悲しい悲しい

 

がんばりますプンプンびっくりマーク

 

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↓自分様に購入しました。

食器洗いをしてると、どうしてもパンツにも水がかかって

しまうので、長めのロングカフェエプロン。使いやすいです照れ

 

↓スマホっ首にならない様に、このクッションを3つ重ねてソファで横になってスマホを触ってます。座りながらだとどうしても首が落ちちゃうので、首を痛めてしまいますキョロキョロ

 

↓うちの子はもう大きいし男のだし!でもこれエプロンで着せれるらしい!超かわいいのでお勧めです!!私も子供の頃着たかったよ口笛

 

 

 

次回:猫は救世主だった!

 

 

 

 

 

息子との面会の時

 

コロナが流行る前までは、ほぼ毎週末息子に会いに行ってたが、コロナに突入して、面会がガラス越しの平日のみになった。それがまた曜日指定に変更さて、更に月1回となった。

 

旦那の体調も悪くなり、車の運転もままならない状態になった。

 

息子に会いに行くのもやっとだった。

 

だけど私は、息子を診てる時から旦那の異変に気が付いていたのだ。「いつか、この人は倒れる」と。。。

 

なんでも何かに囚われると、目が覚めない。

仕事が!仕事が!と顔を真っ赤にして働いていた。

 

息子が通院してる病院で医師に息子の状態を話す時の旦那の顔は鬱っぽく、顔色も良く無かった。

 

このままでは家族共倒れだ。。。

 

その時は旦那がASD・ADHDとは知らなかった。

なので、旦那が何に苦しんでるのか良く分からなかった。

今思えば「適応障害」だったのだろうか。。。

シングルタスクの旦那には、仕事と介護の両立は出来なかったんだと今思えば腑に落ちる。さらに「家庭」と言う「輪」にも馴染めて無かったんだなと感じる。

 

 

そんな状態で3人が同じベクトルに向かって生活出来るのかと私はその時何かを感じ、苦渋の決断をしたのだった。

 

しかし、私の感は的中し、息子を預けた直後から待ってましたとばかりに、旦那が崩壊して行ったのだった。

 

もっと早く、旦那がASD・ADHDだと分かって早期治療に向ってたら。。。と考える。

 

私は重度身体障碍の息子しか診て無かったので、脳の病気までの知識は無かった。お話する友達も身体障碍のお母さん達が多く、私はリハビリや療育の事だけ考えていた。息子が重度知的障害だった為、何か育児本の様な物も読まなかった。

 

私は白内障で車が運転出来ないので、旦那に運転を頼んでいたが、だんだん、息子の面会も行けなくなってきたのだった。行けなくなった期間は半年くらいだろうか。。。勿論、コロナで面会が禁止になった時もあった。

 

写真だけ、偶に病院から送って貰っていた。

息子は集団生活をして、そこから学校に通っていたが、コロナに入り、学校へも行けなくなった。新しい先生から年度末に貰うお便りが、もの悲しかった。

 

偶にリモートで最近は授業に参加しているとは聞いている。

 

 

旦那、パニック障害悪化

 

 

旦那がパニック障害を起こしてたので、高速を使えなかった。下道で長距離運転し、途中で休み休み進む。

赤信号で止められては悪態をついた。ノロノロ走っている車には、イライラして車内で怒鳴っていた。長距離を走っているとニコチンも切れて更にイライラ。急発進、急ブレーキを繰り返す。道を間違えると直ぐにパニックになった。

 

「物事を落ち着いて待てない」

 

これは精神病の一つだ。ADHDが起因しているのだろうか。

 

やっとこさ私たちが息子に会いに行くと、息子が絞められた自動ドアを開けようとする不安不安不安

 

「ごめんね、息子ちゃん。開けては駄目なんだって悲しい

 

抱っこしたいな。。。もう3年も触って無いよ!!不安不安不安

 

でも、最近「痙攣」が有ったらしく、幸い病院に寝泊まりしているので、すぐにお薬を処方さていた。コロナ禍で痙攣が有ったら、対応できる病院は自宅近所に無い驚きあせるやっぱり病院に居た方が安全なのかなとふと思った悲しい悲しい悲しい

 

不思議なのが、病院と提携している車いす業者が、なんとなくボッタくり。。。に思えてならない(失礼)。

息子の腰がちょっと大きくなったので、車いすを作り直す事になったが、背中を支える背もたれが息子の下半身分更に長い。王様の様な椅子だ。所謂。。。「無駄」な作りをしている。そのせいで、車に入らないという事にゲローゲローゲロー

 

しかも壊れやすい。どういう事なんだ。。。所謂、福祉機器の搾取だろうか。医療道具は高い!!粗雑に作られた物でも高い。私たちはその内の何割かしか払わないが、それを見越して見積書の金額を見ると毎回ビックリする。

 

そんなこんなで、コロナだから無理だけど、息子を公園に連れ出す事はもう出来なくなってしまった。。。

 

月に1度の息子との面会が、私たちの唯一の家族団らん?である。。。面会時間は15分間だけだけど。。。

 

 

 

次回:旦那のASD・ADHDとは

 

 

 

 

 

私の体調について

 

思えば出産後から私の体調は良く無かった。

産後鬱、PMS、低気圧からの頭痛。腰痛、副鼻腔炎。

 

それ以前に、私は不眠症でした。

眠れる薬を毎日飲んでいる状態。徹夜などしたら頭痛がして体調を崩してしまう。

 

母親との関係が悪く、今思えば母親もASDだったのでは無いかと思う。。。母親からの癇癪他害が酷かった。

 

逃げて一人暮らしを始めた時も、昼夜問わず電話がかかってきて、無言の留守電を何十件も残して行く人だった。

 

そして私は不眠症になったのだった。

 

 

当時「心療内科」など無く「精神科」しか無かった。

誰も踏み込みたく無い世界。暗い待合室。

 

その時の主治医は兄が高校3年の時に肺気胸を患った時にお世話になった当時出来立ての総合病院の院長だった。

 

その頃もう主治医は開業もしていた。それが「精神科」だったのだ。

 

母が真っ先に通った。母は私が小さい頃から「入院したい、死にたい」と呟いていいた。

 

母は有名女子大の英文科を出ているにも関わらず、情弱だった。人間観家も苦手で、いつも一人でオロオロしていた。

 

私と兄は、そんな母を見ながら、せっせと自分の将来の為に働いた。私も眠剤を飲みながら文句も言わず働いた。

 

そこから眠剤とは長い付き合いになったのだった。

もう寝て忘れる事が私のルーティンとなっていた。

 

結婚して引っ越した後も、電話診療でお薬を送って貰っていた。しかし、旦那と喧嘩すると心を切り裂かれ、旦那の言葉の暴力で薬が増えて行ったのだった。。。

 

お爺さんの主治医に産後に「PMSになりました」と伝えても

「またそんな横文字使い追って!ムキーそんなの無い!」と切り捨てられたのだ。

 

転居したエリアは私は地理が良く分からず、車社会なので病院を探しても「○○駅から徒歩〇分」と言う言葉は一切なかった。ただ住所が記載されてるだけだった。

 

転院したかったが、なかなか出来ずに居た。

 

私は騙し騙し生きている感じだったのだ。

 

 

PMSは改善されないまま月日が経ったのだった。辛かった。。。

 

産後当時まだスマホも無く、ガラケーのメールでママ友達と毎晩励まし合う夜が続いた。

 

PMSの薬をやっと貰ったのは、つい3年前の事。始まる1週間前から鬱っぽくなり、気分が落ち込み、どうしようもなかった。イライラもした。感情的にもなった。

 

旦那との喧嘩もだんだん対抗する様にもなった。

 

取っ組み合いの喧嘩もやった。。。

 

 

そんなこんなで、PMSからの突然の更年期突入となったのでした。

 

3年前にやっと貰ったピルで生理を止めてました。しかし半年たってから体に異変が。頭痛が止まらない。良く寝れない。食欲不振。そして最後にホットフラッシュが来て気が付きました。

 

直ぐに婦人科へ行き、検査したら。。。

 

「閉経です」

 

と告げられた。

 

長く生理をピルで止めてたので、なんか不思議な感じがした。

 

しかし更年期になるには早すぎる悲しい悲しい悲しい

 

40代後半に。。。

 

慌ててピルを辞めて、更年期の別のホルモン剤を飲む事になりました。漢方も併用して。

 

でも閉経の前後10年間を更年期の期間だと思えば、私の更年期は早く終わるのかな?という微かな希望も有った。

 

処方されたホルモン剤と漢方で、劇的に体調が良くなったので、今は目以外は体調が良い。命の〇〇は私には効かなかったですねびっくり

 

 

あ、「精神科」から「心療内科」に転院出来ました。4,5年前かな?良い医師に出会い、今は落ち着いてますお願い

 

 

 

 

次回:息子との面会

 

 

 

 

 

会ったことのある芸能人

 

会った事ある芸能人じゃなくて有名人を書こうと思う。

私が19歳の頃もう30年前。

誰も知らないと思うけど、

フランスのディズニーランドに行った時、

「ダスティン・ホフマン」

が私の目の前にSPと一緒に並んでいた。

知らずに友達と「私たちの写真を撮ってくれませんか?」

と尋ねた。

振り向いた時に気が付いた!

「ダスティン・ホフマン?!」

と叫んでしまいました。

彼らは微笑みながら列から抜けてしまいました。

悪い事をしたと思う。

 

 

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ピンチと逆転

 

私がコロナ前に必死で求職活動をし、企業に滑り込んだ時は

借財はだんだん膨れ上がっていた。

 

旦那は仕事を片付けると、スロットと投機に没頭していた。

 

私は毎日黙々と働いて生活費を入れていた。

 

旦那の躁鬱の激しさに目を逸らしたかった。

 

旦那は計算は早いが特性的に「見通し」をつけるのが昔から下手だった。先々を考えるのが苦手なのだ。

 

いつも行き当たりばったり。

 

私が年間稼いだお金を全て投機に投入して、どうしようも無かった。

 

 

呆れて、私は「いつか自立しよう」とさえ思った。

 

3年の間は本当にお金が無かった。私の貯金が減るばかり。

私の体調も凄く悪く最悪だった。前にも書いたが目も悪く、腰痛、首、肩がバキバキで、仕事帰りに旦那に整形外科へ2カ月通って、首、腰に痛み止めの注射を打って貰う日々。

 

また間が空いてまた整形外科に。

 

ボロボロだった。

 

病院に行っても支払いも自分で払っていた。

まぁ共稼ぎの方なら当たり前だが、私は息子と離れた時から鬱っぽくなってしまって、虚無感に襲われていた。その頃は旦那も部署を異動となり、毎日の愚痴メールリレーが始まったのだっだ。

 

私も働きに出るまで2、3年かかった。

最初は近所の中古自転車屋でネットショッピングの対応の仕事から始めた。1年半近く働いていたが、理不尽な事が有り辞めた。そして今度はWeb会社にパートで入った。

バナー制作の仕事である。が、そこも居心地が悪く、目も霞むし、眼鏡すると階段が歪み、とうとう私は階段から落ちてしまった。労災の決定だ。右足をひねって着地してしまったのだ。

 

会社が直ぐに対応してくれて、近所の整形病院に連れて行ってくれたが、骨が折れて無いだけで、医師は問題ないと言い張った。会社の近所のその病院は休職中通うのが遠すぎて、転院を申し出たら「出来ない」の一点張りだった。しかし調べると転院できると分かったので、無理やり家の近所の総合病院に転院した。しかし「労災」に訝しがる病院が殆どである。

「痛い真似をしている」のでは無いかと思う医師がおおい 。しかも転院も毎回の受診は所定の用紙を持って行かないと診察してもらえない。悲しい悲しい悲しい

 

MIR?を撮るにも総合病院は外部の機関を紹介してきた。足が痛いのに移動させるのか???

 

やっとこさ痛い足を引きずってMRIを撮って病院に戻ると、「折れてないですね」だけだった。。。医師は私の足を触る事も無く、画像だけで診断した最悪な医師だった。

 

違う、そうじゃない。。。悲しい悲しい悲しい

 

私はまたもや転院をした。

 

個人で分院を持つ整形外科に特化した病院に行った。

 

「骨挫傷でしょう。健を痛めているかもしれません」

 

やっとまともな回答を得られた・・・ここまで半年かかった。。。悲しい悲しい悲しい

 

これらの通院の時、旦那に車で通院して貰ったが、付き添いは一切無かった。旦那は常に車の中で待っていた。

 

肩を貸してくれる事は一度も無かった。

 

私は痛めた右足が、本当に回復するのか不安で仕方が無かった。あの時ほど心細い事はなかった。不安不安不安あせる

 

 

私は暫く、何も出来なくなった。仕事に関しては。

 

家の家事は旦那は何もしないので、家事炊事はせねばならなかった。痛い足を引きずって家の事をした。

 

旦那はずっと横になってスマホをずっと見ているだけだった。

 

その前後に薬品会社のロジスティクスでパートをしたが、腰をやられて直ぐやめました。

 

そんな事ばかりで、私はもう自分の人生を呪う事ばかりだった。

 

 

猫が唯一の癒しだった。

が、この3、4年の間、私は旦那を突き放し、何もしない事を決め、自分の事は自分でやってやりこしていた。ゴミを長く捨てなかった時も有った。服も部屋に散らかって。ハエが沸いた。(ハエは猫が居ない時です)

 

ここ最近で有る。突き放した旦那が過去の自分がしてきた事を謝罪してきたのは。。。

 

私が居なければ投機に没頭できなかった。ストレスを発散できなかったと。

 

3年間負け続けた投機が、上手く行き始めたのだ。

スロットも旦那は台が、今何回転して負けが何回続いたか計算して打つので、必ず勝って帰宅していた。プロパチンカーとでも言うのか。特性の分析力と粘り強さ、計算力でギャンブルも借財返済の一つの手段となっていた。

 

投機も私の年収分負けていたが、特性の分析力で勝ちが続いたのだった。

 

昨年は、親族から100万をかりて、その返済も残業しないと稼げない額だった。躁鬱で残業が出来なくなり、旦那はノイローゼにもなった。

 

昨年末、無事に歳を越せるか分からなかった。

「家を売って、ママのボロ実家に住まわして欲しい」

とも言って来たくらいだ。「でないと自己破産だ」と切羽つまっていた。

 

 

が、年末年始くらいは、落ち着いて凄そうと話し合い歳をこした。私のパートも順調だった。旦那の躁鬱も有ったが、薬を変えたり増やしたりして落ち着かせていた。

 

そしてこの春、長年負け続けた旦那の投機が上手く行き、生活が結婚した時と同じレベルまで上がったのだ。

 

旦那の執念である。

 

旦那のビッグマウスは無くなり、無難にコツコツと毎月ちょっと稼ぐ程度だが、残業をしなくて良くなり、体調も良くなって来たのであった。仕事も嫌な上司と何度も衝突してましたが、この春に自分の得意分野に戻れる事になり、仕事も辞めたいと毎日言ってましたが、なんとか辞めなくて良さそうです。

 

 

再出発の開始の兆しである。。。

息子から離れてからの6年間は色々ありました。

生きた心地がしませんでした。

 

 

次回;私の体調について

 

 

 

 

 

 

私の再就職・パートが決まる

 

前の会社を辞めてから、職安に通うようになった。毎月3社以上の求人をしなくてはならない。毎月そんなに個人情報をだすのは本当に苦痛だった。

 

毎日毎日求人サイトを見ては、履歴書をプリントアウトして応募。電車通勤も覚悟で応募した物もあった。

 

その間、失業保険で食いつないでいた。

 

旦那はずっとスマホばかり見ていた。仕事も自分の能力に有って無い業務で愚痴ばかり言っていた。体調も悪く、ちょっと働いては寝て。。。悲しい

 

家にお金を入れてくれる気配なし。。。

 

私は、毎月面接に行く度、撃沈して帰宅していた。

 

5月から仕事探しを始め、10月に一個仕事が決まった。長かった。。。こればかりは運とタイミング煽りあせる

ホワイトな勧誘と言ったら良いだろうか。地図を渡され、徒歩で歩き周り、かたっぱしにピンポンしていく。不在だったらポスティングの仕事だった。

 

失業保険を貰っているので、週20時間以内に収めた。

 

毎日歩いた。ヘトヘトになった悲しい悲しい悲しい

 

確か10時開始の5時上がりだったと思う。いや違うか。。。もっと早い上がりだったかなアセアセはてなマーク

(記憶に霞みが。。。)

 

お弁当を作って行った。

 

人と話す事やインターフォンを押す事には抵抗は無かったが、自粛中で体力が落ち、歩くのが本当に辛かった。

本当に運動不足びっくりあせる(わかってます。。。運動しないといけない事は不安不安不安

 

寒くても暑くても歩くのかぁ。。。と目が遠くなった。

今までの自分は嫌な仕事でもダラダラしちゃう時が有ったけど、もうそんな事はない。私はまた求人サイトを毎日見始めた。

 

1カ月経った所で、たまたま家の近所で仕事が見つかった。

時給も同じだった。移動しないし、厚さ寒さもしのげるし、急な休みにも対応してくれる良い所が見つかったビックリマーク

 

私は急いで、その時の上司に辞める電話をした。同じ頃に入った同期も実は私の二日後に辞表をだしていたのだった。

 

そして、私は転職して、家の近所で働く事になりました。

 

コンプライアンスの関係上、これ以上は書けないので、すみません悲しい悲しい悲しい

 

その昨年5月から年末にかけて、旦那と度々話し合いました。旦那の発達障害(ASD・ADHD)の事、なんでも依存(酒・タバコ・ギャンブル)してしまう事。シングルタスクな事。出来ないもんは出来ないって事。お金の事びっくりびっくりびっくり

 

あ~これ全部理解しないと駄目なのか~滝汗

 

発達障害については、もう色々情報が有りすぎてこまりました。。。ゲロー

 

付き合っていた頃は、「タバコもギャンブルも、やらないよね?」と聞いて「うん!照れ」って言ってたんですよびっくり!!

 

これが、どんどん化けの皮がはがれて。。。と言うよりも、私との対話を通して、日常会話を会得した感じだったのだ。

 

それまで、10年以上、上っ面で会話してた感じだったのだ滝汗滝汗滝汗

 

年末から年始にかけて、まともに徐々に会話ができ始めていたのだった。

そりゃコロナの自粛中ずっと家に居るから、嫌でも会話するよね。(別に嫌じゃ無いけどさ)

猫の存在も大きかったです!!

 

 

次回:ピンチと逆転

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PMSと更年期

 

コロナが始まる前に就職した会社で働いていた頃、体調不良が続いた。イライラが止まらない。感情的になる。

今思うとPMSじゃなかったのかな。。。半年過ぎて会社を体調不良で一週間休んだ。

後頭部も剥げていた。

 

半年近く働いた所で、婦人科へ行く事にした。迷わずピルを貰った。会社の健康保険組合や、常駐の看護師さん、部長さんたちに

かこまれて「PMSでした。。。」と答えるのは恥ずかしかった。暫くピルを飲み続けた。生理も来なくなった。

楽になった気がした。でも体調不良は続く。鬱っぽくなったり、頭痛、腰痛になったり、倦怠感が続いた。

特に鬱が特にひどかった。小さい事でズドンと気持ちに来て、眠れるお薬を飲まないと寝れない。。。

 

ある日、心臓が痛くなって、旦那不在の時に救急車を呼んだ。循環器科に運ばれたが、何も無かった。

 

近所の内科へは点滴に通った。でも食欲が無いのに、凄い空腹感に襲われ気持ち悪かった。

胃カメラも飲んだ。あらゆる検査もした。

内科医は私にメンタル的な問題を指摘した。が、旦那は自分が鬱だったので医師の話は聞いて無かった。。。

 

 

ある日あまりに体調が悪いので、整理もピルで止めてたし、ホットフラッシュが出てきて

こてはもしや更年期はてなマークはてなマークはてなマーク

と、慌てて婦人科へ行った。検査の結果、閉経と言われた。

まだ40代後半で有る。。。

もうとにもかくにも、更年期のホルモン剤をゲットした。

早くから貰っておけば。。。

更年期は閉経前後の10年間を言う。

当たっていた。

そして、漢方ももらった。

低気圧での頭痛が酷いので、気休めで飲んでる驚き

季節の変わり目の雨や台風で、頭痛がする。

寝込む位痛い。

 

ホルモン剤を飲む様になってから、体の調子がすこぶる良くなったお願い

目以外は。。。

実は、数年前に若年性白内障になっており、その手術の数年後に

「後発白内障」という症状が二人に一人の確立で出るのだ。

でも簡単なレーザー治療で治るらしいので、近々受けてきます目がハート

 

そんなこんなで、旦那の絶不調と私のPMS、更年期は重なっており、

ホントにこの3年間地獄の様でした悲しい悲しい悲しい

 

でも、ホルモン剤を飲んでる限り、私の後年期は多少軽いと思われるが、

体力的には落ちて、毎日倦怠感がある。

 

 

次回:私の再就職・パートが始まる

 

 

 

 

 

 

 

旦那、自分が大人の発達障害だと言いだす!

 

自粛中、旦那の奇行が目立ち、病院にいった。以前は、進めても以降としなかった。が、今回はもう重大びっくり

 

やっと結婚して10年以上が過ぎて、医師に相談をすることに。

結果はASD・ADHAと自閉症がみられると。。。悲しい悲しい悲しい

 

道理で、長い間話がかみ合わないと思ったよ。。。不安不安不安

子育て出来ないと思った!!!

 

症状

・説明が上手く出来ない

・地図や図形が読めない

・簡単な事を難しく考える

・記憶力が半端ない

・メンヘラ

・リトミックスさえできない。

・自分の興味ある事しか覚えない

・無くし物が多い

・アンガーコントロールが出来ない

・嘘をつく

・仕事では話せるのに配偶者との対話が出来ない・長い時間、待ってられない。座っていられない。

・電車や、車の運転中にパニックになる。

・人が嫌い(社交性は何故か有る)

・「相手の心情を表情や言葉のニュアンスから察することが苦手」「場の雰囲気を読むことが難しい」

・癇癪他害

・多分アスペルガー

・IQ120

(電車・車に乗るとパニックに)

 

上げて行ったらキリが無い。。。悲しい悲しい悲しい

 

最後の

・「相手の心情を表情や言葉のニュアンスから察することが苦手」「場の雰囲気を読むことが難しい」

・癇癪他害

 

は酷かったチーン

 

DVに発展してましたゲロー

 

 

良く爆発してました。。。ガーン

息子を預けてから、幾度も殴り合いの喧嘩や口論が絶えませんでした。

完全にストレスのはけ口でした。勿論育児中もDVがありました。

仕事の人間関係も大きかったです。仕事での悩みも最大限ありました。

テレワーク中でも愚痴が止まらない。躁鬱も有り、とにかくアップダウンが激しかったです。

 

 

俺、発達障害かも。。。

 

 

が、急に旦那のメンタルが休職によってやられて、出世競争にも漏れ、自暴自棄になり、落ち込んだ時に

旦那はスマホでメンヘラの動画を見る様になってから「自分も発達障害ではないか?」と疑う様になった。

 

「俺、発達障害かも。。。俺、変だよ。。。思い返せば小学校から。。。」

 

えーーー!!!!という驚きと、やっぱりそうか。。。という気持ちで一杯でした。

 

「俺も変だから息子もそうなるかなとは思った。。。」

 

なんていう無責任。。。悲しい悲しい悲しい

 

 

医師には、やはり「その傾向が強い」と薬を処方された。

 

 

入院中もパニックになってましたからね。。。ガーン そりゃそーだ、、、。借金地獄だったもの悲しい悲しい悲しい

 

 

でも勤めてる企業が大手だったこともあり福利厚生や、旦那が自覚してくれる様になってから、ちょっと旦那の私にせっする態度が変わったのだった。。。キョロキョロ

 

でも去年まで経済DVは受けてました。

 

長い時間がかかりました。結婚して15年目です・・・

 

 

 

 

次回:PMSと更年期