ピンチと逆転

 

私がコロナ前に必死で求職活動をし、企業に滑り込んだ時は

借財はだんだん膨れ上がっていた。

 

旦那は仕事を片付けると、スロットと投機に没頭していた。

 

私は毎日黙々と働いて生活費を入れていた。

 

旦那の躁鬱の激しさに目を逸らしたかった。

 

旦那は計算は早いが特性的に「見通し」をつけるのが昔から下手だった。先々を考えるのが苦手なのだ。

 

いつも行き当たりばったり。

 

私が年間稼いだお金を全て投機に投入して、どうしようも無かった。

 

 

呆れて、私は「いつか自立しよう」とさえ思った。

 

3年の間は本当にお金が無かった。私の貯金が減るばかり。

私の体調も凄く悪く最悪だった。前にも書いたが目も悪く、腰痛、首、肩がバキバキで、仕事帰りに旦那に整形外科へ2カ月通って、首、腰に痛み止めの注射を打って貰う日々。

 

また間が空いてまた整形外科に。

 

ボロボロだった。

 

病院に行っても支払いも自分で払っていた。

まぁ共稼ぎの方なら当たり前だが、私は息子と離れた時から鬱っぽくなってしまって、虚無感に襲われていた。その頃は旦那も部署を異動となり、毎日の愚痴メールリレーが始まったのだっだ。

 

私も働きに出るまで2、3年かかった。

最初は近所の中古自転車屋でネットショッピングの対応の仕事から始めた。1年半近く働いていたが、理不尽な事が有り辞めた。そして今度はWeb会社にパートで入った。

バナー制作の仕事である。が、そこも居心地が悪く、目も霞むし、眼鏡すると階段が歪み、とうとう私は階段から落ちてしまった。労災の決定だ。右足をひねって着地してしまったのだ。

 

会社が直ぐに対応してくれて、近所の整形病院に連れて行ってくれたが、骨が折れて無いだけで、医師は問題ないと言い張った。会社の近所のその病院は休職中通うのが遠すぎて、転院を申し出たら「出来ない」の一点張りだった。しかし調べると転院できると分かったので、無理やり家の近所の総合病院に転院した。しかし「労災」に訝しがる病院が殆どである。

「痛い真似をしている」のでは無いかと思う医師がおおい 。しかも転院も毎回の受診は所定の用紙を持って行かないと診察してもらえない。悲しい悲しい悲しい

 

MIR?を撮るにも総合病院は外部の機関を紹介してきた。足が痛いのに移動させるのか???

 

やっとこさ痛い足を引きずってMRIを撮って病院に戻ると、「折れてないですね」だけだった。。。医師は私の足を触る事も無く、画像だけで診断した最悪な医師だった。

 

違う、そうじゃない。。。悲しい悲しい悲しい

 

私はまたもや転院をした。

 

個人で分院を持つ整形外科に特化した病院に行った。

 

「骨挫傷でしょう。健を痛めているかもしれません」

 

やっとまともな回答を得られた・・・ここまで半年かかった。。。悲しい悲しい悲しい

 

これらの通院の時、旦那に車で通院して貰ったが、付き添いは一切無かった。旦那は常に車の中で待っていた。

 

肩を貸してくれる事は一度も無かった。

 

私は痛めた右足が、本当に回復するのか不安で仕方が無かった。あの時ほど心細い事はなかった。不安不安不安あせる

 

 

私は暫く、何も出来なくなった。仕事に関しては。

 

家の家事は旦那は何もしないので、家事炊事はせねばならなかった。痛い足を引きずって家の事をした。

 

旦那はずっと横になってスマホをずっと見ているだけだった。

 

その前後に薬品会社のロジスティクスでパートをしたが、腰をやられて直ぐやめました。

 

そんな事ばかりで、私はもう自分の人生を呪う事ばかりだった。

 

 

猫が唯一の癒しだった。

が、この3、4年の間、私は旦那を突き放し、何もしない事を決め、自分の事は自分でやってやりこしていた。ゴミを長く捨てなかった時も有った。服も部屋に散らかって。ハエが沸いた。(ハエは猫が居ない時です)

 

ここ最近で有る。突き放した旦那が過去の自分がしてきた事を謝罪してきたのは。。。

 

私が居なければ投機に没頭できなかった。ストレスを発散できなかったと。

 

3年間負け続けた投機が、上手く行き始めたのだ。

スロットも旦那は台が、今何回転して負けが何回続いたか計算して打つので、必ず勝って帰宅していた。プロパチンカーとでも言うのか。特性の分析力と粘り強さ、計算力でギャンブルも借財返済の一つの手段となっていた。

 

投機も私の年収分負けていたが、特性の分析力で勝ちが続いたのだった。

 

昨年は、親族から100万をかりて、その返済も残業しないと稼げない額だった。躁鬱で残業が出来なくなり、旦那はノイローゼにもなった。

 

昨年末、無事に歳を越せるか分からなかった。

「家を売って、ママのボロ実家に住まわして欲しい」

とも言って来たくらいだ。「でないと自己破産だ」と切羽つまっていた。

 

 

が、年末年始くらいは、落ち着いて凄そうと話し合い歳をこした。私のパートも順調だった。旦那の躁鬱も有ったが、薬を変えたり増やしたりして落ち着かせていた。

 

そしてこの春、長年負け続けた旦那の投機が上手く行き、生活が結婚した時と同じレベルまで上がったのだ。

 

旦那の執念である。

 

旦那のビッグマウスは無くなり、無難にコツコツと毎月ちょっと稼ぐ程度だが、残業をしなくて良くなり、体調も良くなって来たのであった。仕事も嫌な上司と何度も衝突してましたが、この春に自分の得意分野に戻れる事になり、仕事も辞めたいと毎日言ってましたが、なんとか辞めなくて良さそうです。

 

 

再出発の開始の兆しである。。。

息子から離れてからの6年間は色々ありました。

生きた心地がしませんでした。

 

 

次回;私の体調について