過去のものは・・・なんと言うかねぇ。
歴史的な価値のみ。かもですね。
過去の遺産の上に打ち立てられていく理論。
なんてのも正当化でしょう。
過去があったから、重ねられるものがある
・・・なんてのは。
いま、こうであるのは、これこれがあって。
この結果、ああなって、だから、この呪縛が・・。
いつまで言い訳して逃げますか?
ってな感じもします。
「いや。言い訳じゃなくて、事実な訳で」
と言いたい気持ちは、わかる。
そう言う気持ちも、分かる。
「・・分かってくれーー」
分かって貰って・・・なんですか? なのですね。
だいたいが~
分かってもらえたら、スッキリしました。
って終わっちゃって。
それだけで、終わりのつもりになっちゃって。
人が言えること。
開示する、程度のことは。
・・・程度のことは。その程度。
まっ。。自分で記述したモノも、
言い切った瞬間にも
すでに打消したくなる。
書き換えて「なかったことにしたくなる」
ってことも・・・ありますが。
新しいモノが生まれるときは、
過去にあるものは打ち壊され。
なければならない。。
という気がするね。
そういう、思考活動の自己中心性の
ウスラ寒さを感じます。