自分が大事なの? なにが大事なの? | 朱鷺の“人生七転び八起き”

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価値観がわが命~のようにして
自分の価値観を貶めるような事態には
強く無謀に抵抗したりします。


「ワシを侮辱するのか!」となる。
のですけれどね。


「価値観」というのは、もともと適応するために
作られたものではありませんかね?
その環境で通用するルールみたいなもの。


我が家には、我が家のルール・価値観がある。
が、しかし、学校へ行ったら、
そのルールは通用しないこともある。

ということは、少しずつみな学んで
いるのでいるはずなのですけどね。
なぜか妙に固執する。


価値観は場によって変動する。
価値観には優先順位がある。

ですから、価値観・自分の価値観と、
価値観を持ち出すときは、
適応能力の問題にもなります。


適応能力が高い人は楽に生きられるし、
低い人は生きにくくなる。
この環境をどう生きるか・・・の問題。


どういう価値感が上等。正しい。
などということも、ありません。



しかし「自分はどうあるか」という
存在に関わる場合は、価値観は無関係でしょう。

人間は肉体を生かせば、それでいい。
というものではない。と私は感じます。


わたしたちは、みな、ひとりひとりが
聖なる存在です。それこそ平等。


そこが理解されないと見かけに騙されて、
あーのこーの適応していくことが重大だ
と思ってしまいますね。