サイパン総集編 供養に行こう 二日目 | 太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し

サイパン総集編 供養に行こう 二日目

さあ二日目の供養に行きましょう


朝食はしっかり食べておきましょう


サイパンの霊たちはまだまだ供養が足りません


そして戦死する直前まで飢えていたのです


供養に行くものが空腹であっては


すぐに餓鬼霊にやられてしまいます


特にご飯(米)をしっかり食べておいた方が良いのです


そして供養の準備ですね


お供物、お酒、線香・・・・・


今日も靴を履いていったほうがいいですよ





⑨極楽谷
太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し border=
険しい山道を登ると行き止まりです

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そこの右側あたりから山道がかすかにわかります

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30mほど登っていくと口を開けた洞窟があります

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この洞窟が極楽谷と呼ばれました
地獄谷とは背中合わせです
敗走兵が地獄谷に集結をするころ
長野の牛山隊や工兵隊、自動車部隊などはここで米兵の北上を阻止していた
そして全滅したところです
供養碑や千羽鶴が洞窟内にありました






⑩地獄谷
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バンザイ突撃の際に集結した場所でもあり、
沢山の民間人が水を求めて集まったところに
爆撃を集中され多くの死者を出した場所
地獄谷からの水が貯まる麓です

太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し border=
サワに沿って登って行くと
凄く険しい洞窟があります
まだそれを更に登り迂回すると
想像も出来ないような洞窟が姿を現します
ここが最終司令塔です
ここで斉藤師団長と参謀長、南雲中将と参謀長の4人が自決した場所です
ここでは飯盒でご飯を炊き、酒を酌み交わして乾杯し
線香を沢山焚き、お経を唱えて、供養させていただきます

ここまでの道中の様子は後日特集を組みます
また、自決に関しての史実は4パターンほどあり
どれが真実かわからない状態です
それを解明する特集も後日組みます







⑪タナパグ集団埋葬地
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このプールサイドはアクアリゾートホテルです
このホテルの端あたりから南にかけて突撃したと思われます

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タナパグのビーチです
このあたりは日本兵の死体の山ができた場所です

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タナパグから港を見た写真です
この向きにバンザイ突撃をしたのです
4311人の死体があった場所です
そして全部をブルドーザーで穴を掘り埋めた場所です
今もまだ半数は埋まったままです

太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し border=
我々はここから地獄谷に向って供養をします

太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し border=
4311名に祈りを捧げます
お酒を供え、ご飯を供え、心からお経を唱えます






⑫スーサイドクリフ
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空の青さと海の青さの美しさに酔います
この断崖絶壁を覗き込むと恐ろしさも感じます
次々と飛び込んでいった人達を想うととても悲しいです
太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し border=
美しさと恐ろしさと悲しみに、ご飯とお酒を供えました





⑬バナデル飛行場跡地
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このあたりのジャングルでは、米軍に撃たれたり、集団自決も多かった
しかし、なかなか遺骨収集が難しく
今でもそのままになっている可能性が高いと思われる
入口がわかりずらくバスは入れません





⑭ラストコマンドポスト
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慰霊碑が建ち並んでますが、トーチカで爆撃の威力を見ます
そして岩肌の爆撃の跡も見ておきましょう
この後ろの岩山はスーサイドクリフの絶壁です
岩に沿って北に行くほど飛び降りた死体が山となっていたところです
一番端が日本政府の慰霊碑です
太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し border=





⑮バンザイクリフ
太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し border=
ここで平和の祈りと犠牲になった民間人の悲しみを偲びます
一番日本に近い場所でお線香とお経で供養いたします





これで一通り供養をさせて頂けたと思います
しかし、まだまだ供養をしなければならないところが必ずあるはずです
もっともっと調べるように努力します


沢山の方々が日本からわざわざ供養するためにサイパンに行くことが
供養される人達にとっては、この上なく嬉しいのです
みんなで供養に行きましょう