米軍はサイパン占領宣言 その後の日本兵 | 太平洋戦争の傷痕 次世代への橋渡し

米軍はサイパン占領宣言 その後の日本兵

バンザイ突撃後、米軍は2日間で最北のマッピ岬までの掃討作戦を行った

地獄谷周辺には多くの日本兵が潜伏しており、執拗に抵抗を続けていた
米軍は洞窟の一つ一つを撃破していくしかなかった
破壊するには火炎放射器や手榴弾または爆薬を仕掛けて、片っ端から焼き払いながら前進した

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これはマッピ山頂
草木に隠れて洞窟が沢山ある


日本兵はマッピ岬方向に後退する

長く群れが続いた

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マッピ岬への道


バンザイ突撃の日本兵の恐ろしさが記憶に新しいためか、この次期に見つかった日本兵は皆殺しにされた
地獄谷からマッピ岬へ通じる道は死体の列で埋まった

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マッピ山頂付近

7月8日
生存者はパナデル飛行場周辺に追い詰められていた
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パナデル飛行場:
スーサイドクリフの断崖絶壁の崖とバンザイクリフの中間に位置し、南雲中将が建設を指示し、建設途中に米軍の上陸作戦が始まったため、Yの字の滑走路が残されている未使用の飛行場のことです
計画によるとスーサイドクリフの壁に横穴を掘り、ここに飛行機を格納し、その格納庫から滑走路を走り、そのまま飛び立てるという大掛かりな計画を進めていた
結局使用されなかったため、大勢の工兵をここでの作業に従事させたことが悔やまれる
また、戦後の遺骨収集で見つかった遺骨はこの滑走路で盛大に焼骨され、丁寧に箱に収納し、日本に帰ることができました
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この2枚の写真は遺骨収集で掘り出された遺骨が
遺骨収集団によって、ものものしく焼骨されるところです



尚も逃げる生き残りの日本兵と民間人はバナデル飛行場を境にマッピ山に向うものと、バンザイクリフに向うものにわかれていった


7月9日
米軍司令官ターナー提督はサイパン島の占領を宣言した


最北マッピの断崖絶壁の山と海に追い詰められた日本兵と民間人は、

米軍兵士にはとても信じられない行動に出た