◎西国三十三所第28番札所
●所在地・・・京都府宮津市成相寺
●山号・・・成相山
●宗派・・・真言宗単立
●御本尊・・・聖観音菩薩
●創建年・・・伝:704年(慶雲元年)
●開基・・・伝:真応
704年(慶雲元年)文武天皇の勅願で真応上人の開基と伝えられていますが、はっきりしません。
成相寺は成相山の中腹にあり、日本三景の天橋立を眼下に望む景勝地にあります。天橋立の北側です。
【成相寺縁起】・・・今昔物語
ひとりの僧が雪深い山の草庵に篭って修業中、深雪のため、里人の来住もなく食料が尽き、餓死寸前になりました。死を予感した僧は、観音様に食料を乞いました。するとお堂の外に鹿が倒れていることに気づき、僧として肉食の禁を破ることに悩みましたが、命に代えられず、決心して鹿の腿をそいで鍋に入れて煮て食べ、飢えをしのぎ、命拾いしました。やがて、春になり雪が消え、里人達が登ってきて堂内を見ると、本尊の腿が切り取られ、鍋の中に木屑が散っていました。それを知らされた僧は観音様が身代わりになって助けてくれたことを悟り、木屑を拾って腿に付けると元通りになりました。これにより願い事が成りあう寺として成相寺と名付けました。御本尊聖観音菩薩は『身代わり観音』として信仰を集めるようになりました。
【美人観音】
御本尊は、御伽草子に登場する美しく心の優しいといわれる梵天国王の姫君が姿を変えられた観音様と言われており、小野小町も信仰した、拝む人は美人になるという美人観音としても有名です。
■撞かずの鐘
寺に新たな梵鐘を造ることになり、鋳造の日、多くの見物人の中で、ある女性が銅湯の入ったルツボの中に乳飲み子を落としてしまいました。鐘は見事に出来上がりましたが、撞いてみると、乳飲み子の悲しい鳴き声が聞こえてくるので、人々は乳飲み子の成仏を願い、この鐘を撞くのをやめました。以後『撞かずの鐘』と呼ばれるようになりました。
唯一お願い事を一言でお願いすれば、どんなことでも叶えてくれるというお地蔵さん。約650年前に作られた古いお地蔵さん。
■本堂
1774年(安永3年)の再建。入母屋造り。
本堂に上がらせていただきます。仏様を目の前で拝することができます。
●聖観音菩薩秘仏
御開帳は33年に1度。前回は2005年。
●聖観音菩薩(お前立)
御本尊の聖観音さんは秘仏のためお厨子の中ですが、お前立さんはすぐ目の前で拝することができます。お前立と言っても何と平安時代の観音さんなのです。本当にすぐ目の前なので、ありがたい気分になりました。
●地蔵菩薩【重文】
御本尊の右脇侍
●千手観音菩薩
御本尊の左脇侍
●多聞天
●広目天
●持国天
●増長天
須弥壇に四天王が整然と並んでいます。
真向きの龍
左甚五郎作と伝わる作品。雨乞いのために成相寺に奉納されたとされています。正面を向いていて、右から見ても左から見ても自分の方を見ているように見えることから、「真向きの龍」と言われています。
本堂内は撮影禁止ですが、これだけは撮影OKになっています。
■五重塔
1998年(平成10年)に完成した新しい塔ですが、鎌倉時代の建築様式を再現しています。
■成相山展望台
成相寺境内の成相山展望台から天橋立を望む。
素晴らしい眺めです。
本当の股のぞきとは、この成相山展望台から見る天橋立と言われているそうです。
早速、覗いてみました。身体が固い!
本堂内にいる時、私の頭というか心というか、観音さんのお告げが降りてきました。突然、西国三十三所を新たにしっかり巡礼しようと気持ちになったのです。いったいどうして急にそういう感覚になったのか自分でも理解できません。今まで既に西国三十三所は、10ヵ所以上参拝し御朱印もいただいていますが、特に意識したことはありませんでした。前月、第22番総持寺を参拝しており、今回の旅でも初日に13番石山寺、しかもここ成相寺に来る前には第29番松尾寺に参拝しているのです。それでも、全く意識していなかったのに、突然開眼しました。
ということで、新たに西国三十三所専用の御朱印帳を購入し、新たな気持ちで巡礼することにしました。ここ成相寺が私の中で大事なお寺のひとつとなりました。
★御朱印【西国三十三所第28番札所】・・・成相寺
ここ成相寺に来る前、西国三十三所第29番札所松尾寺に参拝していましたが、新たに西国三十三所用の御朱印帳に御朱印を頂くため、引き返しました。
★御朱印【西国三十三所第29番札所】・・・松尾寺
→ 『松尾寺』・・・滋賀・福井・京都、仏様を拝する旅【仏旅】2016初夏-21