2011-08-28 10:11:52
「個人」という概念の理解を深めようとして作ったメモランダム
テーマ:近現代史ネタ
人間は、そのひとりひとりが「個人」として尊ばれ、かつ自由な存在であるという観念は、キリスト教世界の枠を超えて、様々な形に変容しつつも世界各地に根を下ろした。あるいは、下しつつある。相変わらず「世間」が解体されないでいる日本という国でも、少なくとも建前としては、ある。この観念を肯定するのが「近代人」であって、だから日本人も「近代人」ではあるのだが、どうも「個人」という概念は、その名と形を移入しただけで、今ひとつ理解が足りないように思う。だから、たとえば「個人」という概念と不可分の関係にあるはずの人権意識も、日本ではどうも理解が進まないのだろう。
とまぁそんなことをつらつらと考えて、ならば19世紀における「個人」をめぐっての思想的潮流の上澄みに関するメモランダムを置いておけば、少しは益するかなぁと思って本稿をあげた次第。まぁ自分にとっては少し役立ったという程度のものに過ぎません。まぁ大学の般教で社会学をとったという人ならば、社会学という分野の発生に関係深いヨーロッパの保守主義について学ぶ過程でとうにご承知かもしれません……という程度のものですが。学びますよね、社会学と保守主義の関係について。
さて、以下本題。
人権を享有する主体たる「個人」は、単に「ひとりひとりの人間」といった意味ではなくて、国家とか社会とか諸集団を徹底的に解体し尽した地平に現れる、独立した最小単位としての一個の人間のことを言うのであって。
ただし、イデオロギーに絡め取られるが故の限界というものはあって、たとえば18世紀に女性の権利を主張したメアリ・ウルストンクラフト(*)の見識は、当時の男性知識人の容れるところとならなかった。「個人」といえば概ねヨーロッパの白人男性を指したわけで、これが「啓蒙の世紀」と呼ばれる時代における知的状況の限界。
まぁなんであれ西欧は、数百年にわたる中世の歴史の中で「個人」という概念を獲得していった。そして自由主義や急進主義による「個人」の解放を経て、二重革命(市民革命・産業革命)のもたらした混乱に直面し、「個人」の受容の仕方が変化していったというのは事実としてあるのだけれど。
19世紀は、市民革命と産業革命の結果たる矛盾が噴き出した時代。資本主義的生産様式は「諸個人」が資本家と労働者に分裂させられて階級対立を引き起こし、ローカルコミュニティはその存立基盤を失い、不均等発展や支配従属の関係が誰の目にも明らかになった。
要するに個人主義や合理主義が人々の生活圏にまで降りてきた結果、その理念自体を裏切る事態が起きたわけで、マルクスは疎外態としてこれを捉えた。個人的諸権利への献身を旨とする自由主義は、個への献身に働く限りにおいて制度や集団を認めるように変容していった。また保守主義による中世的価値の擁護は、コミュニティや家族、権威、宗教といった社会的集団の復権と影響力の強まりに寄与した。19世紀の保守主義、変容した自由主義、そして共産主義は異なるイデオロギーに見えるが、二重革命の混乱を社会的、制度的に克服する思想であるという一点において重なり合う。
ただ保守主義が自由主義や共産主義などと決定的に違うのは、社会の最小単位を「個人」ではなく「社会の小さな諸集団」と考えた点。彼らは社会を個人という単位にまで解体することが社会的無秩序につながり、ひいては国家統制を呼び起こすとして、個人主義に反対した。
「啓蒙の世紀」18世紀が「個人」による「契約」の時代だとすれば、19世紀は「社会(コミュニティ)」を再発見した時代。ただし、それ以降「個人」が蔑ろにされるようになったというのではなくて、より普遍的かつ現実的であることが目指されるようになった。社会権という概念の発見も、そう。
というわけで、以上大雑把ではありますが。
(*)メアリ・ウルストンクラフト(1759~97)はロンドン生まれの女性著述家。今日では、1792年に出版された『女性の権利の擁護(A Vindication of the Rights of Woman)』の著者として知られる。同書は当初、女子教育に関心を持つ進歩的知識人の間で好評を博したが、一方では旧来の女性観を拭えない穏健な知識人からは、女性を貶めるものとして見られた。また刊行された年後半以降のフランス革命の急進化と、および1793年に始まった対仏戦争に伴う国内政治情勢は、ウルストンクラフトに対する風当たりをより強いものとした。このあたりの事情は梅垣千尋「革命の時代の男女平等論――メアリ・ウルストンクラフトの革新性」河村貞枝・今村けい編『イギリス近現代女性史研究入門』(青木書店、2006年)を参照。
とまぁそんなことをつらつらと考えて、ならば19世紀における「個人」をめぐっての思想的潮流の上澄みに関するメモランダムを置いておけば、少しは益するかなぁと思って本稿をあげた次第。まぁ自分にとっては少し役立ったという程度のものに過ぎません。まぁ大学の般教で社会学をとったという人ならば、社会学という分野の発生に関係深いヨーロッパの保守主義について学ぶ過程でとうにご承知かもしれません……という程度のものですが。学びますよね、社会学と保守主義の関係について。
さて、以下本題。
人権を享有する主体たる「個人」は、単に「ひとりひとりの人間」といった意味ではなくて、国家とか社会とか諸集団を徹底的に解体し尽した地平に現れる、独立した最小単位としての一個の人間のことを言うのであって。
ただし、イデオロギーに絡め取られるが故の限界というものはあって、たとえば18世紀に女性の権利を主張したメアリ・ウルストンクラフト(*)の見識は、当時の男性知識人の容れるところとならなかった。「個人」といえば概ねヨーロッパの白人男性を指したわけで、これが「啓蒙の世紀」と呼ばれる時代における知的状況の限界。
まぁなんであれ西欧は、数百年にわたる中世の歴史の中で「個人」という概念を獲得していった。そして自由主義や急進主義による「個人」の解放を経て、二重革命(市民革命・産業革命)のもたらした混乱に直面し、「個人」の受容の仕方が変化していったというのは事実としてあるのだけれど。
19世紀は、市民革命と産業革命の結果たる矛盾が噴き出した時代。資本主義的生産様式は「諸個人」が資本家と労働者に分裂させられて階級対立を引き起こし、ローカルコミュニティはその存立基盤を失い、不均等発展や支配従属の関係が誰の目にも明らかになった。
要するに個人主義や合理主義が人々の生活圏にまで降りてきた結果、その理念自体を裏切る事態が起きたわけで、マルクスは疎外態としてこれを捉えた。個人的諸権利への献身を旨とする自由主義は、個への献身に働く限りにおいて制度や集団を認めるように変容していった。また保守主義による中世的価値の擁護は、コミュニティや家族、権威、宗教といった社会的集団の復権と影響力の強まりに寄与した。19世紀の保守主義、変容した自由主義、そして共産主義は異なるイデオロギーに見えるが、二重革命の混乱を社会的、制度的に克服する思想であるという一点において重なり合う。
ただ保守主義が自由主義や共産主義などと決定的に違うのは、社会の最小単位を「個人」ではなく「社会の小さな諸集団」と考えた点。彼らは社会を個人という単位にまで解体することが社会的無秩序につながり、ひいては国家統制を呼び起こすとして、個人主義に反対した。
「啓蒙の世紀」18世紀が「個人」による「契約」の時代だとすれば、19世紀は「社会(コミュニティ)」を再発見した時代。ただし、それ以降「個人」が蔑ろにされるようになったというのではなくて、より普遍的かつ現実的であることが目指されるようになった。社会権という概念の発見も、そう。
というわけで、以上大雑把ではありますが。
(*)メアリ・ウルストンクラフト(1759~97)はロンドン生まれの女性著述家。今日では、1792年に出版された『女性の権利の擁護(A Vindication of the Rights of Woman)』の著者として知られる。同書は当初、女子教育に関心を持つ進歩的知識人の間で好評を博したが、一方では旧来の女性観を拭えない穏健な知識人からは、女性を貶めるものとして見られた。また刊行された年後半以降のフランス革命の急進化と、および1793年に始まった対仏戦争に伴う国内政治情勢は、ウルストンクラフトに対する風当たりをより強いものとした。このあたりの事情は梅垣千尋「革命の時代の男女平等論――メアリ・ウルストンクラフトの革新性」河村貞枝・今村けい編『イギリス近現代女性史研究入門』(青木書店、2006年)を参照。





