柏駅から70チェーン -5ページ目

これ読んでから『資本論』に挑戦するのもあり、かな?~『羽月莉音の帝国4』

羽月莉音の帝国 4 (ガガガ文庫)/至道 流星
¥660
Amazon.co.jp
予定されている5巻も含めると、3巻以降一ヶ月おきに刊行されるというハイペースのシリーズである。世の中の仕組みを変え、世界から貧困をはじめとするあらゆる不条理をなくそうとする「革命部」という部活動が、それには金だというわけで企業活動に邁進する。これがまた高校生にしては桁違いの億だ兆だという金額を右から左に動かす物語で、これだけ書くと突拍子もないというか「ありえないだろ」という設定なのだが、経済とか企業経営をわかっている作者(というか、作者は会社経営者なんだそうだ)が書いているから、細部にやたらリアリティーがある。資産の総額や企業活動として動かす金額は大きいけれど、自分たちで手にして自由に使える現金はきわめて限られているというあたりの描写もあり、この点で、たとえばヒロインの実家をナントカ財閥として現金が無尽蔵に使える(もしくは、使えた)とするような設定の作品とは一線を画している。

で、この度出た4巻だが、資金繰りの必要から、いよいよ主人公たちは自分たちの銀行の確保に乗り出す。その際のやり取りが、ツボ。信用創造(「架空資本の創造」ともいう)の話が端折った形ながら出てくるのであるが、春日恒太というイタイ登場人物によるその説明が面白い。以下引用。

>①沙織が春日銀行に一〇〇円を預ける。(★銀行預金量一〇〇円)
>②春日銀行が革命部に九〇円を貸し出す。(★銀行預金量一〇〇円、貸付金九〇円)
>③革命部が沙織に給料九〇円を支払う。(★銀行預金量一〇〇円、貸付金九〇円)
>④沙織が九〇円を春日銀行に預ける。(★銀行預金量一九〇円、貸付金九〇円)

面白いと思ったのは、③から④による銀行預金量の増加の箇所で、再生産過程において貨幣形態にある資本を例とするのではなく、労働者が企業から受け取った賃金を預金することを例えとしている点である。そのことで、預金の源泉が遊休貨幣資本のみならず社会の各階層の個人的消費の基金にまで広げられ、それによってあまねく一時的遊休貨幣が銀行の手によって貸付資本に転化させられているさまをよく表すことができていると思う。

それにしても、である。1巻での起業段階では、登場人物はヒィヒィいいながら絶対的剰余価値の生産にいそしんでいたのだが、あっという間に資本を投下する立場に転じた。当たり前の話だが、剰余価値にしか目の行かない登場人物たちばかりだったら、こういう展開にはならなかっただろう。だがそれは、資本の再生産過程に登場人物たちが否応なく組み込まれてしまったことに他ならない。果たして、これで目指す世界作りは上手くいくのだろうか。オジサンはつくづく若い子達が心配になるw

ところで最新刊である4巻には、実にタイムリーなネタが仕込まれている。主人公たちは自前の銀行を持とうと買収に動くのだが、目をつけたのは、日本振興銀行をモデルとした破綻寸前の銀行。リアルな世界ではペイオフ発動にまで至ったが、物語では金融庁とも連携し、主人公たちが再建に乗り出すという筋。竹中平蔵や木村剛と思しき人物も出てきて(性格は全然違うようだけれど)……いや、これは美味しい。ちなみに物語の中では、いわゆる政権交代は起きていないらしい。だから竹中をモデルとした人物は、現役の内閣府特命担当大臣(金融)として出てくる。そうそう、児玉誉士夫を髣髴とさせる来歴の人物も出てきて物語に深く絡むのだが……これ本当にラノベか?

斎藤美奈子『それってどうなの主義』

それってどうなの主義 (文春文庫)/斎藤 美奈子
¥700
Amazon.co.jp
手っ取り早くいうならば、ここ10年ほどの間の諸々の社会的事象に対し、小声で「それってどうなの?」とつぶやき、考えたコラムをまとめた本。ちなみにこの10年間はいわゆる右傾化に拍車がかかった時期だから、とどのつまりは「右傾化ってどうなの?」という本に……なるかと思いきや、そこは毒舌で鳴らした斎藤美奈子のこと、そう単純にはいかない。その舌鋒の鋭さは、多数派による世の中の空気に対してはもちろんのこと、仲間にしか届かない言葉しか持ち得なかった左翼に対しても向けられる。以下引用。

……各法の成立と前後して発表された反対陣営による論文のあれこれを、この機に読んでみてガックリきた。なにかこう、二十年前と同じなのだ、用語というか論法が。国家主義的傾向、皇国ナショナリズムの復活、国民管理のシステム、戦争国家への準備……そういう単語で何かを喚起されるサヨク体質の人はいいけどさあ、という感じである。(「それってなんすか?」)

うーん、ごめんなさい。と謝る他ない。いやホント。
だって、自分でも思うもん。いろんな機関紙とか政党の新聞とか見ていると。

けれど斎藤の鋭さがもっとも発揮されるのは、多数派による世の中の空気に対してである。

……(人々が嬉々として総力戦体制づくりにいそしんだ当時に触れて)戦中の人々にとっての「総力戦体制」は、現代の「地球環境保護」同様、是非を検討する余地もないほどの大前提、絶対的な社会正義として君臨していた。何も考えていなくても、いや考えていないからこそ、前提には誰も疑いの目をむけず、総論不在のまま各論としての倹約や贅沢廃止運動や勤労奉仕が自己目的化し、一人歩きしはじめたのではなかったか。(「総力戦とエコロジー」)

実はここ、2年前に『戦う広告』を上梓した者として、読んでて嬉しくなる箇所である。というか、本来なら単純に喜んではいられないことなのだが。
ともあれ、このあたり、女性知識人やマルクス主義に近い立場の人々による戦争協力について、彼らの思考と総動員体制や革新運動との近似性を言い立てるだけの研究よりはよほど腑に落ちる。なぜって、婦人運動家や女性作家などの個々のイニシアチブなど、全体から見れば多寡がしれていたからだ。とはいえ、やはり得手に帆をあげたというか、流れに掉さしたことには変りないし、翼賛体制を正義として女性の社会参加を促がした彼女たちに対する斎藤の視線は厳しいが。

「総力戦とエコロジー」には、次の言葉もある。

「国じゅうが同じお題目を唱える構図が、まさに総力戦」
「環境と人権が対立するような事態が生じた場合、環境保護の名のもとに人権の剥奪が進まないという保証もない」

この文が書かれたのは2000年。ご存知かどうかは知らないが、実は斎藤の危惧は現実のものとなりつつある。メキシコ南部のチャパス州では、環境保護区から先住民を含めた住民の排除が連邦政府および州政府による行われているというのだ。こういうことが他の国や地域でおこらないとは、誰が断言できようか。

……「右翼/左翼」は現役だといったけれども、それもじつは「ウヨ/サヨ」という茶化しに転じている。みんな自分は「中立」だと思いたいんでしょーね。そういえば「保守/革新」と同様に聞かなくなったのは「体制派/反体制派」である。言葉が消えると意識も消える。小泉純一郎や石原慎太郎が大きな顔でのさばっていられるはずだよ。(「保守と革新」)

……(イラク邦人人質事件を振り返って)彼らのいう「自己責任」とは「自業自得」とほぼ同義である。そういうことを、親戚のオジオバならともかく、一国の官僚や政治家が口にするか?こんなときこそ彼らは父性を発揮して、国民のオジオバ根性を叩きつぶすべきではなかったのか。
「批判はいろいろありましょうが、政府には国民を保護する義務がある。責任はわれわれが負うから、ここは少し黙ってお任せいただきたい」
それがなによ。「無用の負担をかけている」だ?政府は国の帳簿係かい。
(中略)
 もしも日本でスペインの列車爆破テロ級の事件がおこったらどうなるのだろう。やっぱり自業自得=自己責任だろうな。アラブの反米グループは、現に日本をテロの標的に名指ししているのだ。さっさと国外に退避しなかったあんたの責任、といわれても仕方がない。そもそもこんな政府を選んだこと自体、自業自得=自己責任なんだから、死んでも文句はいえないでしょ。(「自業自得と自己責任」)

いやほんと。実にごもっとも、まったくもってその通りである。
大勢に流されずにひとまず立ち止まり、「それってどうなの」とつぶやく勇気。そこから見えてくる本質がある。流れが変わることもある。

菅談話をめぐるあれこれにつらつら思ったこと

菅直人首相の、朝鮮半島に対する植民地支配に関する談話をめぐって、色々と意見がネット上に飛び交っている。
「色々な」ではなくて「色々と」と書かざるを得ないのは、その多くがどこかで目にしたような類型的反応ばかりだからで、言及する人が多い割にどうしてこうも多様性に欠くのかと嘆じざるを得ない。と同時に、歴史意識(歴史的事実を捉え、主体的に関わろうとする意識)を欠いた人々の多さに唖然とするばかりである。

断っておくが、私は菅談話を一部を除いて積極的に評価するものではない。細川発言、村山談話と比べても、菅首相の談話は、本質的に何か目新しいことを言ったわけではない。ただし文化財返還に言及したことについては愛書家として高く評価しよう。だがその程度の談話にも、それがまるで国難であるかのように目くじらを立てる方々がいらっしゃる。それも、保守的な立場と思える人々の間に。考えるまでもなく相手は「反共の盟友」だった国じゃないか。なんで保守的な立場の人たちが怒るのか、私には不思議でしょうがない。

いわゆる謝罪外交が気に入らないという意見がある。だが私にいわせれば、少なくとも脱植民地化が是とされる今日では、帝国の宗主国であった国々は多かれ少なかれ何らかの責任を負うことは避けられないし、また避けるべきでもない。付け加えれば、過去の負債の清算を迫られているのは、なにも日本ばかりでもない。たかだかこの程度の談話如きで、国士様ともあろう方々(笑)が何をオタオタしているのか。

それから、謝罪の是非はともかく、それを繰り返すのが気に入らないという人もいる。もしそれが本意であるのなら、その怒りは謝罪を無にするような反動的立場をとってきた人々に向けるべきだろう。国際社会における日本の体面というものがもしあるとするならば、それに泥を塗るようなことをしてきた連中はむしろ右派勢力の中にこそ多かったのではなかったか。

仙石官房長官による個人補償の可能性への言及は、ある意味で注目すべきかもしれない。個人補償の問題については、日韓基本条約の際の請求権放棄で解決済みだとするブロガーも多いが、国家間の取り決めによる請求権放棄は、別に道義的もしくは政策的立場からの個人補償までをも否定するものではない。もっとも私は、この件については韓国政府側にも責任があると考えている。開発途上国という苦しい条件があったとはいえ、大韓民国は被害者の属する国家として、有効かつ確実な救済を日本と共に何らかの形でおこなうよう努力すべきではなかったか。さらに付け加えれば大韓民国は、ベトナム人民の戦争被害を個人レベルで補償すべきだと思うよ。まぁ何にせよ、「請求権放棄」を金科玉条とする思考は、個人の戦争被害からの実際的な救済を考える上で「クソの役にも立たない」硬直した考え方にすぎないということは言っておきたい。

……と、ここまで書いて、なんだか菅直人擁護みたいな内容になってきたのが業腹だ。民主党も菅直人も嫌いなのにw

ところで菅談話を否定的に捉えるブロガーの中には、菅内閣をして「極左」と言う人までいる。これには笑止。一体、中道から保守にウイングを伸ばして政権をとった奴のどこが「極左」なのか。朝まで問い詰めたい。百万遍問い詰めたい。 だいたい奴は反共じゃないか。

斎藤貴男『消費税のカラクリ』をお薦めするワケ

もうお分かりの方もいらっしゃるかと思うが、昨日のエントリーは、斎藤貴男『消費税のカラクリ』(講談社現代新書)をふまえてのものでもある。ちなみに付け加えると、稚拙な感が否めないのは、ひとえに小生の筆が及ばなかっただけの話である。

消費税のカラクリ (講談社現代新書)/斎藤 貴男
¥756
Amazon.co.jp
消費税導入が日本の社会や経済にどのような弊害をもたらしたか。中小零細事業者がこうむった打撃、大資本に対する事実上の輸出補助金と化している輸出戻し税、低所得者層の負担増大。こうした実態はこれまでにも各種のメディアを通じて幾分かは知らされてきたはずなのだが、一方で圧倒的な影響力を有する放送や新聞がほとんど取り上げなかったことから大多数の国民の知るところとはならず、したがって、依然として消費税論議の俎上にのることは少ない。

本書の値打ちは、そうした弊害に正面から切り込んでいったところにある。大資本にとって消費税が旨味に転じるカラクリ。消費税が非正規雇用を増やすカラクリ。共に消費税に苦しんでいる消費者と中小零細事業者が分断され、本来であれば政府・与党や徴税当局に向けられるべき批判が小売商店などに向けられるカラクリ。斎藤は、そうした消費税をめぐるあざとく汚いやり口を、数字も含めた具体的事実をもとに次々と明らかにしていく。怒りをエネルギーに転じて書いたのではないかとすら思える調子は最後まで一貫しており、そのことが消費税が構造的に有する不条理をより一層際立たせている。

本書の中でも、なにより大多数の読者にとって最も目から鱗が落ちる思いがするのは、「事業者にとって消費税は消費者からの預かり金」という、多数の消費者が信じて疑わないであろう理屈が、ありていにいって嘘、百歩譲っても「ものの喩え話」にしか過ぎない言葉であることを暴いたところではないだろうか。法的にも納税義務は消費者に課されておらず、事業者にも徴税義務は課されていない。消費者が払っていると思っている(思わされている)「消費税」は、実は物価の一部に過ぎない。仕入れ時に転嫁された消費税分や事業者として納めなければならない消費税を価格に転嫁できるか否かは、商取引の力関係次第。かくして価格支配力を少しでも有する事業者が価格に消費税分を転嫁できる一方で、力のない中小零細事業者は消費税分を転嫁された仕入れ価格を言われたとおりに支払い、あるいは下請け事業者であれば消費税分転嫁以上の値引きを親会社から強要され、そのうえで消費税を納める義務を課せられ、青色吐息で何とか納め、それでもちょっと滞納してしまうといきなり差し押さえをくらい、従業員への給料支払いに支障を来たすという現実。挙句、事業の実情を無視した苛烈な徴収は、自殺者まで生み出してきた。

もし悪質な事業者が消費税を滞納しているというのであれば、所得税や法人税でも一様にそうした状況が見られるはずである。しかし現実には、新規発生滞納額のうち半分を消費税が占めている。他の税目を圧倒しているのだ。これはもはや、個々の納税義務者の心持ちの問題ではなく、消費税の構造的欠陥に由来するものと考えるより他にない。

税制が、高望みをしない堅実な人を生かさないという現実。しかも大多数の国民が、意識的にせよ無意識のうちにせよ、そうした現実から目をそらし続けてきたという残酷さ。

ならば、どのような税制が日本にとってふさわしいのか。その点についてはぜひ本書をお読みいただくとして、ここでは、斎藤による結びの言葉だけを紹介したい。なぜならばこの言葉は、税制論議にとどまらない、日本社会における普遍的価値観として共有されるべきだと考えると同時に、本来ならば共同体を重んじるはずの保守層から発せられるべき言葉ではないかとも思うからだ。

「一人ひとりの人間が、みんな、互いに迷惑をかけ合いながら、けれども共に、支え合って生きている。誰もが共感し合える税制を目指そうではないか」

消費税増税論者の見え透いた嘘とデタラメ

ネット上を徘徊していて、こんな記事を見つけました。

【週刊・中田宏】(31)堂々としろ!ブレ菅に喝 (2/5ページ)

この記事によれば、「消費税を引き上げる代わりに法人税、所得税を引き下げ、国際競争力を高めて雇用を確保する必要がある」というのが、横浜市長だった中田宏氏の持論なんだそうです。その理由は次の通り。

「日本の法人税は他国と比べて高い。これでは企業は日本に進出しようと思わないし、国内からも海外へ流出する。『産業の空洞化』は『税制による空洞化』にもなりつつある。これでは経済全体も伸びゆかないし雇用も確保できない」

……これ、氏の持論というより、消費税率アップを推し進める人たちがかねてから言っている理屈と同じですね。つまり、中田氏のオリジナルではないわけです。こういうのも今の日本語では御大層に「持論」というんですか。でもまぁ、それはいいです。それよりも注目すべきは、そこに消費税率アップを目指す人たちの本音が明け透けに語られているところにあります。というわけで、以下反駁。

>消費税を引き上げる代わりに法人税、所得税を引き下げ

つまり、法人税率ならびに所得税率の代替として消費税率アップということですね。要は穴埋めとして消費税を利用しようというわけです。所得税率もこれまで、低い方はあまり変わりないのに、高い方はホント税率が低くなりました。それをさらに下げるということですね。

>国際競争力を高めて雇用を確保する必要がある

これは、「内需なんかどうでもよい」ということ。それと消費税率アップでは、逆に雇用確保は難しいでしょう。なぜなら、直接雇用の社員に支払われる給料は消費税の課税対象です。対して派遣の料金は、消費税課税の対象になりません。つまり、企業は自社の支払う消費税を減らすために直接雇用を取りやめ、派遣に切り替える。こういう動きがより加速する恐れがあるということです。雇用はいままで以上に流動化し、しかも労働市場は消費税率アップによって廃業した中小零細企業の経営者、家族、およびそこで雇われていた人たちが流れ込むことで失業率が上昇するでしょう。

>日本の法人税は他国と比べて高い。

そもそも最高税率でフルに支払っている企業なんてあります?個々の企業が実際に払っている税額は、西欧とどれだけ違うというのか?この種の寝言をいいたいのならば、西欧に比べてかなり低い社会保険料等の企業負担を、それこそ西欧並みに引き上げた後にしてください。

企業負担のうち安くしてもらっている分野を無視する論法はどうかと思いますよ。


>これでは企業は日本に進出しようと思わないし

現に進出している企業の存在は?
というか法人税率だけが企業のモチベーションを決定する因子なわけないでしょうが。
こんな言説を信じるなんて、アホですか?

>国内からも海外へ流出する。

ウソおっしゃい。多国籍企業だなんだといったところで、やはり本国に拠点を構えるのが企業にとって一番都合いいんですよ。
だいいち、法人税率がもっと高かった時代、流出した企業なんてあったでしょうか。丸紅は?三井物産は?三菱銀行は?日産は一時期満洲国に行っていたけれど、あれは法人税率とは関係ない。というか、税率一つで日本から出るという企業がもしあるというなら、そんなのは日本社会にとってむしろ厄介な存在でしょうから、どうぞ出て行ってください。いてくださらなくて結構です。

>『産業の空洞化』は『税制による空洞化』にもなりつつある。

なにをいいたいのかよくわかりませんが、消費税のために税制上の大問題が発生していることはスルーですか。
国税庁が取りまとめた平成21年度租税滞納状況によれば、新規発生滞納額7,478億円のうち、消費税が3,742億円と、全体の50%を占めています。悪質な業者が滞納しているなどというレベルじゃなくて、払いたくても払えないという状況が当たり前になっている数字です。

>これでは経済全体も伸びゆかないし

法人税率と所得税率を下げるだけで経済が伸びるなら、そんな楽な話はない。
というか、資本主義はそんなに甘くない。

>雇用も確保できない

法人税率を下げて消費税率を上げたら、なおのこと雇用は確保されません(理由は先述)。ちなみに日本では、法人税率は1987(昭和62)年度以降下がり続けていますが、その間にどれだけの雇用が確保されましたか?失業率が年を追うごとに減っていったなんてこと、ありましたか?

あーなんというか、こんな言説で国民をたぶらかそうとする中田宏も困ったもんですが、それを御大層に取り上げるメディアも問題ですね。でも一番困るのは、こんな程度の主張を真に受ける連中かも。


というか、こんな粗雑な論を主張され、あるいは記事として紹介されるというあたり、日本の大衆もなめられたもんです。