労働生産性が低いというのはどういうことか、そしてそれは何にとってどのように都合が悪いのかという話 | 柏駅から70チェーン

労働生産性が低いというのはどういうことか、そしてそれは何にとってどのように都合が悪いのかという話

日本は労働生産性が高くないらしい。そこで自称経済評論家あたりから「高くしろ」という声が聞こえたりする。なるほど、生産性が低いと聞けば良くなさそうな印象も受けるが、実はそう簡単な話ではない。

まず本題に入る前に、前提となる話を大雑把に。労働者が自分の賃金一日分の価値を作り出すのに3時間の労働で十分だとする。これが必要労働時間といわれるもの。すると8時間労働のうち残り5時間という労働時間は、早い話が「タダ働き」の時間となる。これが剰余労働時間。その「ただ働き(剰余労働時間)」で生み出された価値(剰余価値)が利潤で、つまり資本の儲けとなる。これが搾取。

で、労働生産性というのは、投下された労働量(労働時間、労働者数)に対する、それによって生み出された付加価値の割合。

もし付加価値の量が同じであれば、労働時間や労働者数が多くなればなるほど、労働生産性は低いということになる。逆に労働生産性を高めるということは、同じ労働者数、同じ労働時間で生み出される付加価値を増やす、つまり剰余価値を増大させるということであり、搾取がそれだけ強化されるということである。これは早い話が、1日の労働時間におけるタダ働きの率を相対的に高めるということでもある。

ところで労働生産性という概念の他に、資本生産性という概念もある。こちらは投下された資本に対する、それによって生み出された付加価値の割合。付加価値の量が同じであれば、投下された資本が多ければ多いほど、資本生産性は低くなる。

資本生産性と労働生産性は概ねシーソーの関係にある。他方が上がれば他方が下がる。どういうことかというと、遊休資本が発生しないように労働者数なり労働時間を増やせば、それだけ資本生産性が高くなる代わりに労働生産性が低くなる。逆に資本をどんどん投下して労働者数なり労働時間なりを減らせば、労働生産性が高まる一方で、資本生産性は低くなる。

言い換えれば労働生産性が低いということはそれだけ資本生産性が高いということでもあって、つまり資本(土地や設備など)に金をかけていないと言うことでもある。だから、投下資本の量に対して必然的に労働投入量が多いサービス業は、それだけ労働生産性が低くなる。また大手製造業の労働生産性が低ければ、資本をあまり投下していないんじゃないかという、その企業にとっていささか恥ずかしい話にもなりかねない。

また労働生産性は、好況の時は高くなり、不況の時は低くなる傾向がある。また平均労働時間が長くなれば下がる。人数が増えれば下がる。しかし賃金の多寡はカウントされない。したがって、「不況だから非正規雇用に置き換えました。労働時間は長くなりましたが、コストは下がっていますよ」という状況だと、確実に労働生産性は下がる。

で以下は、ならばどうすればいいかと言う話。

一つは、労働生産性にまったく囚われない生き方。生産性を高めた分だけ搾取が酷くなるのは確実だが、賃金がそれに純比例して上がると言う保障はどこにもないし、資本の運動に労働者が積極的に協力しなければならないわけでもない。下手に機械設備の更新などによって資本生産性を下げたところで労働者数が減る(解雇)というのは問題であり、また生産の拡大は有限な資源を浪費するだろうし、長い目で見てそれが人類のため、他の生物のためになるのかどうか。

もう一つは、我々が生きていくための指標の一つとして参考にする考え。現在は労働生産性の低さそのものよりも雇用の伸び悩みと低賃金の横行こそが問題で、雇用確保、賃金の引き上げ、残業も含めた労働時間の短縮をおこなえば消費も上向きになり、生産も拡大され、結果として労働生産性も向上する。それに、忙しい思いをしないで済む方が生産性が高いともいえるわけで、過重労働を避ける目安にもなるだろう。

さらにもう一つ。カネをひとたび固定資本にでもしたら、すぐに金には変えられんし減価はするし、いいことない。一方カネ(日本円)は、デフレと円高のおかげで持っているだけで価値が上がり続けている。つまり事実上の金利がついているのと同じ状態にある。だから今は資本を投下すること(=資本生産性を下げる)ことは考えずに、また低賃金長時間労働もそのままに低い労働生産性に甘んじて、より一層の資本への隷従を強いたほうが良い。

私なら、1番か2番を選ぶが、そもそも生産性なんて資本の運動に都合のよい財務指標に他ならないわけで、労働生産性それだけに右往左往させられることが間違っていることだけは断言できる。3番の選択肢は論外だが、ただ現実には、否応無くそのような生き方を強いられている労働者が極めて多いし、また資本は、そのような状況に甘んじて大した改善努力もしないばかりか、公共セクターによる社会保障部門の企業負担を減らし、さらには消費税増税と法人税減税をバーターしろという要求まで突きつけてくる始末。言うまでも無くこれは、実質的な賃金引下げを政策によって引き起こさせることに他ならない。

ところで、日本の必要労働時間(=労働者が自分の賃金一日分の価値を作り出すのに必要な時間)は2時間ほどという試算もある。もしそうなら、我々は随分と資本を儲けさせてやっているわけ。そもそも「誰が食わしてやっているのか」と言う話をしたら、分があるのは株主ではなく、労働者の側。いくら資本があっても労働者が働きかけてやらなければ、それは単なる「カネとモノ」にすぎないのだ。そろそろ総資本に対する全面的な攻勢を、総労働という枠組みで考えてもよい頃だとは思うけれどね。