「もんじゅ」を運営する原研の理事長さえ、「ナトリウム漏れ起きないという方がおかしい」という
欠陥原子炉「もんじゅ」
※ 「ナトリウム漏れ起きないという方がおかしい」?原研理事長が狂った本音!

 20年前、起こるべくして起きたナトリウム漏れ事故」、その真相隠蔽のため?
不審な自殺?で命を落とした西村総務部次長。

動燃が隠そうとしたもんじゅナトリウム漏れ直後のビデオ

 彼の死で、「マスコミの厳しい追及が死者を出した-というムードが生まれ、情報隠し問題は収束に」
※ 機密ファイル「K」の驚愕 原子力ムラ不実の裏工作を暴く

 そして、妖怪「もんじゅ」は20年後の今も、一日5000万円の無駄飯を喰らいながら生き永らえている。
※ すぐれた技術 確かな安全 世界に示す?? 妖怪「もんじゅ」
  今後「もんじゅ」の研究開発に必要な事業費(予算額)はいくらか?- 日本原子力研究開発機構

 「もんじゅ」視察の際、「脱原発だから乗せられません」と乗車拒否された自民党・秋本衆院議員は、
日本には、米国の核弾頭(に使われている量)よりも多いプルトニウム(約45トン)が存在する。」と暴露。
※  自民新人議員、「核燃料サイクルは破綻」
   核燃料サイクル なぜこだわり続ける・・その答えはプルトニウム

 日本が、米国にも匹敵する核大国に成り得るプルトニウム保有を、国際社会に認めていただくために?既に破綻している「核燃料サイクル」を堅持する必要があると・・
※ 日本初の原発=東海発電所:発電は従、プルトニウム生産が主目的だった!?
  日本は潜在的核大国だった!?長崎型原爆5万発分のプルトニウムを保有。

 安倍・原子力ムラ内閣に取り込まれた?自民党の異端児・河野太郎大臣も、
閉鎖された?河野太郎公式ブログ ごまめの歯ぎしりの中で、「高速増殖炉が実現せず、プルサーマルも進展しない中・・使用目的のないプルトニウムの抽出については国際的な理解を得られません」と・・
※ 河野太郎 自民党衆院議員、元法務副大臣 なぜ核燃料サイクルはできないのか
   自民党の“異端児”=河野「脱原発」大臣を、産経新聞が高評価? 

 西村さんらを生け贄に生き延びた、「もんじゅ」「核燃料サイクル」・・原子力ムラの闇は深い。
※ 原発の闇*関係者の不審な死と、冤罪?逮捕事件

関連記事 原子力ムラが抗議した、「NHKスペシャル 調査報告 プルトニウム大国・日本」
       NHK時論公論 「延命は必要か 高速増殖炉もんじゅ」
       経産省 核燃サイクル足抜け警戒、日本原燃の形態見直し検討
       下着ドロボー?高木大臣の父=元敦賀市長の「原発のすすめ」
       
 東京新聞より
ムラは ずっとごまかし 職員の死 妻が問う「なぜ」 
【 高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)で一九九五年十二月、ナトリウム漏れ事故が起きてから八日で二十年を迎える。この事故では一人の職員を死に追いやった。

「夫はどうして死ななければならなかったのか」。東京都足立区の主婦西村トシ子さん(69)はこの二十年、ずっと問い続けてきたが今も分からない。事故で明らかになったもんじゅの、日本の核燃料サイクルを取り巻く“ムラ”の本質は「変わらない」とトシ子さんには思える。(中崎裕)
 事故から一カ月ほどすぎた九六年一月十三日、土曜日の朝だった。目覚めても夫の成生(しげお)さんの姿がなかった。

 もんじゅを運営していた動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の総務部次長として、情報隠し問題の内部調査に奔走していた。事故以来、仕事が終わらず職場に泊まり込むのはしょっちゅう。だが、そんなときも心配しないよう必ず連絡があったのに…。間もなく、夫の上司から「病院に運ばれた」と電話があり、慌てて駆け付けた。きのうの朝、いつものようにコーヒーを流し込んで出掛けていった夫が、霊安室で冷たく横たわっていた。

 夫は亡くなる前日の記者会見で動燃に有利に働くうその情報を発表したのを苦にホテルから飛び降り自殺したとされた。動燃が取り仕切った葬儀には理事長や国会議員、官房長官など千五百人が参列。マスコミの厳しい追及が死者を出した-というムードが生まれ、情報隠し問題は収束に向かうことになる。

 「何か、おかしい」。トシ子さんは納得できなかった。直前の正月、長男が年内に結婚を考えていることを報告していた。亡くなった翌日は次男の成人式。家族宛ての遺書はそれらに、ひと言も触れていなかった。

 何より、あれだけの葬儀をしてくれた動燃が、夫の生前の様子や勤務状況、仕事の内容の説明を求めても応じてくれない。夫とは職場結婚だった。かつての同僚に様子を尋ねたが、「分かっていても話せない」と言われた。動燃から一応の説明があったのは、死から九カ月ほどたった十月末。労災申請をするために頼んで出てきた勤務記録は、なぜか、亡くなる直前の三日分が空白だった。

 組織改編を繰り返し、現在、もんじゅを運営する日本原子力研究開発機構も「失格」の烙印(らくいん)を押された。「点検漏れなどの話を聞いていると、組織を優先し、ずっとごまかしで(運営を)やってきたとしか思えない」。トシ子さんは仏壇に飾られた夫の遺影に目を落とした。
 核燃サイクル政策を揺るがせた事故だが、国民の信頼を失ったのは高速増殖炉の危険性が明らかになったから、だけではない。「事故ではなく(その後の)対応が二十年の停滞を招いた」。事故当時、動燃の広報マンだった男性はそう述懐する。】一部抜粋