ぬるま湯に浸かった状態

城巡りを中心にしたブログです。
『ぬるい』ので入られる方はご注意ください。

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初めてリブログ機能なるものを使ってブログを書いてみます。

 

 

先々月に、今年の年末の予定を書いたんですが…。

その行動予定を、ほぼほぼ決定させましたビックリマーク

  

 

まずは、初日、城巡りの遠征では必ずと言っていいほど使用している、始発の特急しおかぜに乗り、岡山から新幹線に乗り静岡へ。その日に向かうのは静岡市街に残る丸子城です。この城は丸馬出や技巧的な虎口、さらに横堀や竪堀が残る城のようです。山城なので午後の時間を丸々使うと思いますがもし時間が余っていたら、徳川家康の隠居城であった駿府城、もしくは、北条早雲こと伊勢盛時が駿府下向後に最初の居所となった石脇城、はたまた武田水軍の城であった持船城へ。

  

二日目以降は天候状況などで、どの日に何処に行くかは未決定ですが…。

戦国の開幕を告げた伊勢盛時(北条早雲)が、伊豆制圧後に本拠とした韮山城。ここも導線が面白いようですが、僕がガキの頃から知ってる城で憧れという意味合いが強いかもしれません。さらに、韮山城の周辺にある城砦群も行きたいなと。特に土手和田砦の障子堀は見てみたいと思ってます。さらに、北条水軍が武田水軍と対峙する為の城、長浜城。こじんまりとしているようですが、技巧的な城という感じですね。そして韮山と並んで、僕の中では憧れの城である、興国寺城。ここは伊勢盛時が今川の家督争いを収めた事により与えられた城で、大きな横堀や、天守台などが残っているそうです。この伊豆や東駿河方面に行く日にも時間が余れば、ちと遠いですが、蒲原城に行ければと思ってます。ここには石垣が残存していたり、櫓や逆茂木などが再現されているそうです。

 

遠江方面。これも必ず行きたい城目白押し。諏訪原城は、今回行きたい城の中でも間違いなく1番行きたい城です。言わずと知れた巨大丸馬出が残るなど丸馬出天国の城。さらに深い横堀などThe土の城と思わせます。武田と徳川の攻防戦の舞台だった高天神城。一城別郭の城で、自然地形を利用した東側と、攻城戦の激戦となった西側では全く別の顔をしているそうです。この高天神城の兵站基地となった八幡平の城。堀切が見事だそうですよ。丸い石を使った石垣が有名な横須賀城。この城は八幡平の城とは違い、高天神城を包囲する際の陣城として築かれたそうです。

 

ここまで来たならば行きたいのですが、凍結などの怖さがあるので微妙ですが、甲斐方面にも行きたいと思っております。その中でも筆頭はやはり新府城でしょう。僕と会った事がある方は、僕がこの城に憧れている事を知っている方もいらっしゃるでしょう。その新府城は武田氏が滅びる寸前に築かれた城で、武田氏の築城術の粋を集めているようです。武田氏全盛期の居城であった躑躅ヶ崎館の詰城、要害山城にも是非行きたいと思っております。この城は織豊系の大名によって改修されているようですが、それでも武田氏の遺構も多く残っているようですよ。そしてついでに躑躅ヶ崎館にも行きたいですね。もし時間配分が上手くいけば、蛇左衛悶氏絶賛の石積が残る城、獅子吼城にも行けれたらなと。

 

最終日には今川、徳川、そして武田と渡り歩いた天野氏の居城で、丸馬出などが残っている犬居城、徳川家康の嫡男、徳川信康最期の地で、石垣の城と改築されてある二俣城を目指そうと考えています。

 

 

かなり欲張りしすぎな感じですが、それでも、当初は絶対行きたかった下田城や、静岡の名瀑は諦める事にしました。前回、時間が合えばとコメントを頂いた方々、宜しければご一緒できたらと考えています。12月29日から1月2日まで廻る予定です。宿泊は焼津と考えています。

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吉川元春館から見えた史跡、松本屋敷にもついでに寄ってきました。

 

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現存物(移築含む)は青、再現物(模擬含む)は紫、跡地(櫓跡、門跡など)は緑、その他の見所(遺構)はピンクの其々太字にしています。

 

 

北広島町の史跡の説明によりますと、天正8年(1580)頃に、吉川元春の妻が住んでいたとされています。

 

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車を停める場所がなかったので、そそくさと廻りました。この松本屋敷も石垣が組まれています。勿論、吉川元春館同様の石組です。
松本屋敷 石垣

 遠目では前面のみがその技法と感じました。

 

 

中央付近には門跡でしょうか、窪んでいる箇所が見られました。
松本屋敷 門跡

 恐らく間違いなと思います。

 

 

石垣のズームアップをしてみましたが…吉川元春館ほど明瞭に竪石が見られませんでした。ただ、右側に見える竪石など、ところどころは確認できました。
松本屋敷

 人の気配はありませんでしたが、あまり長居は不可能なので撤収です。

 

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ついでによった松本屋敷。普通なら田んぼにある石垣という風にしかとらえられないかもしれませんが、明らかにそれらとは異質です。

 

吉川元春の嫁とりには色々と逸話があるようです。詳しくは調べて頂ければと思いますが、器量はあまりよくなかったそうです。しかし元春は側室を持たず、その妻との間に四男二女を授かったそうです。その中に、関ヶ原で内応した吉川広家がいます。元春夫婦が広家の事を諫める手紙が残っているそうですね。素晴らしい母親だったのでしょう。

 

 

車は吉川元春館にあった、戦国の庭歴史館に置いて、歩くことをお勧めします。歩いて数分の場所に松本屋敷 があります。お手洗いは駐車場のお手洗いをお勧めします。探訪時間は10分程度でした。

 

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これにて、芸北の城巡りレポ終了です。感想を言いますと、なかなか熱い城が多かったという事です。まず向かった五龍城 は、連郭式で徐々に登っていく訳ですが、エリアが判れており、それを高い切岸や堀切で隔てており、なかなか考えられてていましたし、なんといっても石積が各所に残り、非常に印象に残りました。吉田郡山城 はとにかくデカイビックリマーク そこまでしなくてもという感じで歩いていましたが、てっきり土の城と思ってましたが、石垣の痕跡も見れて、イメージを変える事ができました。特徴的な石垣があった吉川元春館 松本屋敷 。特に前者の石垣は非常に豪壮でしたね。吉川元春の威勢を感じずにはいられませんでした。

 

 

さぁ~て、次回のレポから一旦城を離れます。毎年恒例の季節外れの納涼祭を催します。でも、途中で祭りレポが入り可能性もありますが、ご了承下さい。また、新エディタで書く可能性もあるので、少々見難い部分が出てくるかもしれませんが、それも同時にご了承ください。

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吉川元春館レポ第2弾です。その1左矢印からリンクしています。

 

 

現存物(移築含む)は青、再現物(模擬含む)は紫、跡地(櫓跡、門跡など)は緑、その他の見所(遺構)はピンクの其々太字にしています。

 

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虎口を入ると、主殿舎跡が北側にあります。その掘立柱の跡は再現さえていました。ちなみに主殿舎なので、他より少しだけ高く、それを石積で補強していました。その石積が開いている場所がありますが、そこに門があったようです。

そしてその両脇には築地塀があったそうです。
吉川元春館 主殿舎

 吉川元春もここに住んでいたんでしょうか。

 
吉川元春館 主殿舎説明

 説明

 

 

主殿舎の北側には土塁が走っていました。
吉川元春館 土塁

 復元感は丸出しですが…。

 

 

主殿舎の東面には石塁が頭を出していました。ここに塀があったのかもしれませんね。
吉川元春館 石垣

 見えない部分があの特徴のある石垣です。

 

 

後ほど、足を延ばしましたが、吉川元春の妻が住んでいた松本屋敷が見えました。
吉川元春館 松本屋敷

 ここにもあの技法の石垣があるようです。

 

 

井戸跡です。ここまで五龍城、吉田郡山城と訪れましたが、いずこも井戸がありました。しかも曲輪の名にもなるほどでしたからね。
吉川元春館 井戸

 石組の井戸ですね。

 

 

こちら排水路ですね。あまり表に出る事がない重要な遺構ですよ。
吉川元春館 排水路

 排水の重要性は今でも変わりないですよね。

 

 

この館の見所の一つである庭園跡です。あまりこ庭園の美しさというのを判りませんが(というか興味ありませんが)、猛将で名を馳せた吉川元春にはそれが判っていた訳ですね。
吉川元春館 庭園

 修復されているにしろ、見事に残ってましたね。

 
吉川元春館 庭園説明

 説明

 

 

ここからは建物跡の写真の羅列となります。まずは普請小屋跡。
吉川元春館 普請小屋跡

 こじんまりとしている小屋だったようです。

 

 

馬小屋跡です。
吉川元春館 馬小屋跡

 馬小屋そこそこ大きいようです。

 

 

建物跡ではないですが、お便所の跡です。雪隠と呼ぶ方が戦国期っぽいような気もしますが。
吉川元春館 お便所跡

 かなり生々しい感じをうけました。

 
吉川元春館 お便所跡

 説明も生々しいあせる

 

 

付属屋跡です。やはり毛利氏で重きをなしていた吉川元春の隠居所だけに、色んな建物があったんですね。
吉川元春館 付属屋跡

 付属って何があったんでしょうかねはてなマーク

 

 

台所は再現されていました。このような建物なんかには興味のないsyunpatsuryoku1号でありますが、今回もあまり興味津々ではなく、他の観光客の方がジックリ内部も見ていたのですが、僕は早々に屋外に出ていましたあせる
吉川元春館 台所

 このように再現されるのはイイ事ですよね。

 
吉川元春館 台所説明

 説明

 

 

この台所の背後には、土塁に突っ込む暗渠が見られます。庭園から続いている排水路からの流れが暗渠を通じて、最終的に掘に流れる形になっていました。
吉川元春館 排水路

 水がかなり流れていますが…。

 
吉川元春館 暗渠

 暗渠前でその水が消えてしまっていました。

 
吉川元春館 暗渠説明

 説明

 

 

さぁ、そろそろ撤収しましょう。石塁を撮り。
吉川元春館 石塁

 やはりこの石塁(石垣)は豪壮でした。

 

 

最後に石切り場の残念石を見て、車を動かしました。そしてすぐ傍へ。
吉川元春館 石切り場

 ここにも残念石があるとは…。

 

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この吉川元春館の存在を知ったのは、100名城巡りで岩国城を訪れた際に、知らない方からこの館の石組が他とは違うのを聞いた2009年です。どのように違うかは、色んな方々のHPを拝見していたので知って今回訪れましたが、実際見てみると、やはりなかなか面白い石組でしたね。竪石を使用するというのは、この石組集団にとっては、これがベストだと思って組んでいたんでしょうね。ただ、この地域のみという事で、或る意味、門外不出感があるのがイイですね。それにしても隠居所ではありますがかなりデカイ、この吉川元春館。毛利元就の次男として、数々の戦いに出陣しているこの猛将の隠居所だと思うと、なかなか感じ入るところがありました。

 

 

車は戦国の庭歴史館の駐車場 の停めました。お手洗いは駐車場にもあったように思いますが、僕は歴史館でお借りしました。探訪時間は30分程度でした。

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