ぬるま湯に浸かった状態

城巡りを中心にしたブログです。
『ぬるい』ので入られる方はご注意ください。

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遂に本格的梅雨シーズン到来ですね。

先日から、我が地域も時より強い雨も降っています。

ただ、我が地方のダムも取水制限などが始まっており、恵みの雨ではありますね。

しかも田植えを終えてばかりで、農業用水も必要ですので。

 

 

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そんな梅雨時期ではありますが、今年はここまで滝を津山でしか見れていません。

四国内の滝は、時間もないですし、少雨であまり期待できないので行っていません。

という事で、お盆は城巡り などの他の楽しみを見つけようかと思っています。

など…という含みを持たせているのは城以外でも行ってみたい箇所があるもんで。

しかし、行きたい場所が多くて困るアセアセ

まだ絞り切れていませんが、ここで候補地を挙げてみたいと思います。

 

① 数年前以来の彦根城や湖東、湖北の平城、居館。

② 僕にとっては珍しいかもしれませんが出雲大社。

③ 案外名瀑の宝庫であった岡山の滝。

④ 久々松山城ガッツリ。

⑤ 秘境駅と言われる坪尻駅。

 

この5つの中から選びたいなと考えています。

で、①から順にお金もかかりますが、その分行きたい順でもあります。

 

 

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① 数年前以来の彦根城や湖東、湖北の平城、居館。

 以前、僕のグルっぽ発足前に、数人の方と彦根城 に行きました。

 あの時も暑い日でしたし、色んな伝説(僕の中で)が作られたり、出来事が起きた面白い1日でした。

 そんな彦根城にもう一度行きたいという衝動に急にかられています。

 ついでといっちゃなんですが、最寄りの居館や平城にも寄りたいなと。

 

 

② 僕にとっては珍しいかもしれませんが出雲大社。

 あまり神社仏閣に興味のない人間syunpatsuryoku1号。

 しかし、春頃から何故か出雲大社 だけは気になり始めています。

 こちらは少々遠いのですが、行きたいなと。

 ついでに(こちらも)、山陰の名瀑にも寄ってみたいなぁ~。

 

 

③ 案外名瀑の宝庫であった岡山の滝。

 晴れの国と呼ばれる岡山県ですが、山中には案外名瀑 が多いんですよね。

 こないだの津山の布滝にも負けず劣らずの滝が。

 そんな滝巡りをしてみたいなと。

 

 

④ 久々松山城ガッツリ。

⑤ 秘境駅と言われる坪尻駅。

 こちらは両者、四国内。

 松山城 は久々に行っていたいですな~。

 今行くと感想も変わってそうですし。

 坪尻駅 は以前から山の上の道は通ってましたが、実際、列車に乗って行きたいなと。

 ただし、本数が少ないのがネックなんですが。

 

 

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候補地が多いのですが、今のところ①の確立がかなり高いと思います。

宿の事もあるので、できれば来週までには決めておこうかなと思っています。

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徳倉城 レポ第2弾です。

その1押左矢印に貼っています。

 

 

 

見所となる遺構 (土塁など)はブルー、名前のある場所 (本丸など)はパープル

現存建築物 (移築建築物含む)はピンク、再現建築物 (模擬建築物含む)はオレンジ

そして跡地 (櫓跡など)はグリーンで表記します。

 

 

 

 鳥瞰図

 

 

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本丸前にやってきたのですが、眼前に突如、石垣 が表れてかなり驚きました。

 

 !!!!!!!!!!

 

 

 

打込接の乱積の石垣

しかも整然と積まれている。

そんな石垣がいきなり登場するとういうのは、なかなかない光景です。

 

 いやぁ~素晴らしい爆  笑

 

 

 

1枚目の写真の石垣の奥には、本丸大手虎口 があります。

坂虎口 になっており、本丸からの横矢をバンバン受ける形になっています。

 

 こういう形の虎口もなかなかイイですね。

 

 

 

虎口の石垣 には、大きな石も使用されています。

これこそ、権力の誇示を表しているモノと言えるでしょうね。

 

 訪れた人も驚いたハズです。

 

 

 

横矢 が掛かった部分。

以前から横矢好きですが、今でも横矢への情熱は変わりません。

 

 石垣の写真を撮る時には、かなり確立で横矢を撮っています。

 

 

 

ただ本丸周囲もヤブになっている箇所があり、立入する事が不可能の場所があるのが残念ショボーン

でも、何とか写真には素晴らしい石垣 を治める事ができました。

 

 この石垣が一番高そうでした。

 

 

 坂虎口から見ると、横っ腹しか見えませんでしたもやもや

 

 

 

本丸に登って虎口を。

坂を登りながら横矢を受けるのは、非常に厳しいのではと想像してしまいます。

 

 こういう絵というのも珍しい。

 

 

 

本丸 です。

かなり広い曲輪です。

 

 桜の木が植わってますね。

 

 

 

本丸の中心に、妙見社というお宮が鎮座しています。

そこに石列 が見られました。

鳥瞰図に天守跡となっていましたが…石列の範囲はそこそこ広かったので、もしかしたらあったのかも

と妄想してしまいました。

 

 小さな祠には似つかわしくない、広さでした。

 

 

 

本丸の北側には獣除けみたいなモノがあります。

この先は尾根になっており段郭が続いていましたが…見に行く勇気はありませんでしたアセアセ

 

 友人と一緒でしたから余計にね。

 

 

 

木々の間から眺望が効く場所はありました。

城の西側を見ているのですが、この小平野を進んでいくと、旭川にぶち当たります。

本当は、その合流点付近にある城に行きたかったのですが、これはまたの機会ですな。

 

 ここだけ木が切られているのかな?

 

 

 

この場所の傍、本丸の南側には石塁 が残っていました。

虎口周辺の石垣を見た時もそうでしたが、この石塁にも狂喜乱舞していました爆  笑

 

 多聞櫓が乗るには幅がなさすぎましたけど…。

 

 

 塀があったのかもしれませんね。

 

 

 

石塁に登る雁木 は少々崩れかけていましたが、残ってましたよ!

 

 いやぁ~楽しいわぁ~爆  笑

 

 

 

隅部は、算木積にはなっていませんでした。

 

 この隅部は下まで落ちていました。

 

 

 

石塁上から南下を覗くと、鈍角で曲がっている箇所があります。

しのぎ積 で積まれているようです。

 

 こういう絵はなかなか撮らないですねぇ~。

 

 

 

本丸から搦手である南側を降りていきます。

三の丸に到達すると、ここにも打込接の本丸石垣 が見られました。

 

 しかしですねぇ~。

 

 

 

三の丸 は壮絶なヤブ。

 

 立入する事すら困難な状況です。

 

 

 

しかし、そこは城の為には危険をいとわないsyunpatsuryoku1号(ガケとかには弱い。

侵入してみると三の丸の縁には土塁 が見られました。

 

 凸部判りますか?

 

 

 

この三の丸から本丸石垣 を撮ろうとチャレンジしてみましたが…訳の判らん写真になっとるアセアセ

 

 崩れている箇所もあるようです。

 

 

 先程のしのぎ積ですが…判らんわなぁ~もやもや

 

 

 

三の丸の南下にも曲輪 が見られましたが、大手とは違い、この曲輪で終了です。

搦手は敵への備えが手薄。

という事で、本丸の石塁や三の丸に土塁があるのかもしれませんね。

 

 狭い曲輪でした。

 

 

 

最後に、尾根を断ち切る堀切 …と言ってもかなり浅いですが、それを見て山を降りました。

 

 堀切っちゃ堀切だけどね。

 

 

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訪れる前は正直侮ってました。

その侮ったイメージは、二の丸まででした。

本丸の石垣を見た時に、そのイメージは崩れ去りました。

立派な打込接の石垣が急に眼前に広がった時の驚きは、数多くの城を巡っていますが、なかなか

やってこない衝撃度合でした。

本丸周辺のみ、改修して石垣造りにしたのでしょうね。

それは、織田、豊臣政権と近かった宇喜多氏時代のモノでしょうね。

宇喜多氏の実力というのを見た思いでした。

その他の部分は、段郭で固め、堀切も少なく、初歩的な山城という雰囲気でした。

 

 

車は最寄りの公民館押に停めさせて頂きました。

この辺りに鳥瞰図の案内板押があり、そこから登りました。

お手洗いは最寄りにありません。

探訪時間は1時間半弱だったと思います。

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本日より、数回、岡山に行った際のレポを書いてまいります。

この日は、友人が用事で岡山に行くという事で、それならばついでに僕も…という形で、ちゃっかり

同乗させて頂きました。

最終的には僕がメインだったのでは?と思ってしまうほどでしたが。

そんな岡山行き、まずは岡山空港の近くにある徳倉城 を目指しました。

 

 

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今回からカラーを変更+追加します。

 

見所となる遺構 (土塁など)はブルー、名前のある場所 (本丸など)はパープル

現存建築物 (移築建築物含む)はピンク、再現建築物 (模擬建築物含む)はオレンジ

そして跡地 (櫓跡など)はグリーンで表記します。

 

 

 

 説明&鳥瞰図

 

 

 

日本城郭大系によりますと…。

 

史料上最も古く現れているのは『太平記』で、康安2年(1362)に、備中守護高師秀山名勢に

攻められ、備前徳倉城に退いたとされています。

ただこの件については信憑性に欠けているそうです。

 

史料の信憑性に欠けますが『松田氏系図』におりますと、備前松田氏の家運を再興した、松田元隆

の三男である松田親秀(四男松田元資の説もあり)が文明8年(1476)に居城したと書かれています。

この記事の正否は別として、応仁の乱に際して備前西半を掌握し、実質的守護代にまで台頭した

松田元隆が、松田氏の当時の本拠地であった金川城から富山城に至る経路の抑えにこの城を構え

一族の者を城代にした可能性は非常に高いようです。

元隆の子で、松田家中興の祖と言われる、松田元成の代に、金川城が小戦国大名の居城に整備

された段階で、この城も周辺を固める出城にされ、一族の者が城主を務めたと考えられます。

 

その後、松田氏の重臣で城の谷水田を含めて、宇垣の小平野を掌握していた国人と考えられる

宇垣氏が代々居城としたと考えられます。

天文年間(1532~1555)から永禄5年(1562)頃には、宇垣市郎兵衛が城主でした。

宇垣市郎兵衛は、松田氏政略を画策する、宇喜多直家による弟の暗殺と、主家との離反工作にあい

永禄10年(1567)頃には退去しています。

 

永禄11年(1568)に松田氏を滅ぼし、宇喜多直家が備前西半を支配すると、直家の寵臣

遠藤河内守が徳倉城主になります。

遠藤河内守は『浮田家分限帳』には4,500石を領していたとあります。

宇喜多氏の備前平定=戦国大名としての支配体制を確立に伴って安定期に入ると、岡山城の形成が

始まり、天正末年(1592)には遠藤河内守はこの城に城番を置いて岡山に移住しました。

慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦で宇喜多氏が没落し、小早川秀秋が備前国主となると

この城は廃城となります。

 

 

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鳥瞰図の大手登山道から登城開始。

で、しばらくすると削平地が登場しました。

ここが出丸 なのか?

 

 しかしですねぇ~。

 

 

 

この近くに切岸 があり、その上は尾根となっています。

セオリー通りならこの尾根上が曲輪のハズだが…まぁ登らなくてイイでしょ口笛

 

 登る気はサラサラありませんでしたが口笛

 

 

 

でも結局この削平地を進んでいくと、尾根上に出てきました。

確かに削平地 になっていましたが…狭いんですよね。

 

 この後、苦難の道が…。

 

 

 

背の低い木々やシダなどで、道が判然としません。

ただ、尾根上だという事は判っていたので、そのまま進んでいきます。

 

 マシな所で写真を一枚。

 

 

 

痩せ尾根を進んで行くと、堀切 に出くわしました。

ただ、堀切?って感じでしたけどね。

 

 横から見ると、堀切に見えんもやもや

 

 

 上から見た方が、堀切チックだわ。

 

 

 

堀切を超え、さらに痩せ尾根を歩いていきます。

 

 削平地かと思って撮ってるパターンですなアセアセ

 

 

 

出丸郭 にやってまいりました。

でも、出丸があって出丸郭もある。

ややこしくないかもやもや

 

 案内板には出丸長郭となってましたけどね。

 

 

 

またもや堀切 の登場ですが…これは自然地形のように見えましたけどねぇ~。

 

 堀切チックという事でニヤリ

 

 

 

石積 を発見しました!!

ここから階郭が尾根に沿って展開していきます。

 

 忘れていましたが…。

 

 

 

この石積の間は炭焼き窯跡となっていました。

 でも石積の目が行ってしまいました。

 

 

 

この石積がある場所から付近の尾根下には堀切 が見られました。

ただ、降りる勇気はありませんでしたアセアセ

 

 真下に堀切があるの判りますよね。

 

 

 

大手曲輪 と呼ばれる段郭 が始まりました。

尾根を伝って、段々に曲輪が展開していく。

中世山城ではよく見かけられますね。

 

 段郭という事は…。

 

 

 

段郭になっているという事は切岸 も勿論あるという事。

しかも比高があるので、切岸がかなり高い!

 

 切岸マニアの方も喜んでもらえると思います…って見難いけどアセアセ

 

 

 

猫の額程度の広さ(言い過ぎ)の曲輪 もあります。

 

 

 

 こんな曲輪も意味があるハズです。

 

 

 

切岸 も下から撮れない箇所もあります。

 

 城に行けば日常茶飯事ですけどね。

 

 

 

二の丸切岸 下までやってきました。

登山道を進んで行くと何となくではありますが、虎口 っぽくなっている箇所を通過しようとすると…。

 

 少しだけ見えますが…。

 

 

 

石積 が登場しました!

しかも、なかなか良好な状態で!

これには正直、感動しました。

 

 もっと感動するシーンが登場しますが。

 

 

 

周辺にも石積 の残骸が見てとれました。

虎口付近に石積。

権力の誇示などという意味合いでしょうね。

 

 

 

 宇喜多氏時代のモノでしょうね。

 

 

 

二の丸 に到達しました。

ただ、広さは木々が生い茂っているので判りませんガーン

 

 登山道のある場所のみしか…。

 

 

 

二の丸の奥に井戸 がありました。

ただ井戸というか、滴って来る水が溜まる場所なのかもしれません。

 

 綺麗ではありませんが、水が溜まってました。

 

 

 

その1はここまで。

その2に続きますm(_ _)m

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