ゴールデンウイークの人出と気温は尋常ではなかった(-_-; | ぬるま湯に浸かった状態

ぬるま湯に浸かった状態

城巡りを中心にしたブログです。
『ぬるい』ので入られる方はご注意ください。

またまためっちゃ久しぶりのブログ投稿になってしまったアセアセ

やはり祭りの記事を書くのは、難しい…という言い訳アセアセ

さて、ゴールデンウイークも終わり、すでに通常業務の日々が

始まってしまっていますが、憂鬱な日常が戻っていますムキー

ほんまどうにかならんのか…。

 

 

では本題に。

5月3日から3日間、美濃飛騨の城巡りに行って

まいりました。

ただ美濃と言っても、東濃(厳密ではないかもしれんが)の

城ですが。

ちなみに、岐阜県の城って、以前あったグルっぽ(懐かしい)

のツアーで松尾山城に行って以来ですね。

そして、あの時もどうやら、GW時期だったようです。

 

そんなゴールデンウイークに実感したのが、人出の多さと

地球の沸騰化。

『沸騰』は言い過ぎですが、とにかく暑かったアセアセ

山城を巡るには、この時期が最後という暗黙の了解…否

マイルールがあるのですが、今年はギリギリでしたね。

下草も結構伸びている箇所もあったし、熊蜂がブンブンと

羽を鳴らしてたし、とにかく日向や昼間は暑いタラー

そして、観光地の人の多さを実感しましたね。

建物のない城跡が、観光地化している実態も判りました。

円安で、インバウンドが増えたのと、海外に行けない

日本人がコロナ禍明けという事も相まって、日帰りなどの

観光に出たんだと思うんですが…でも多いよガーン

 

今回の城巡り、上にも書きましたが、グルっぽで知り合った

方々とその縁で知り合った方と一緒に巡りました。

そして、夜なども一緒にご飯を食べさせて頂きました。

改めてになりますが、本当に有難うございました。

知り合った頃や、一緒に城巡りをした時間をふわっと思い出し

なかなか感慨深い城巡りでありました。

機会があれば、また一緒に城に行きましょうと同時に

お酒を酌み交わしましょう。

 

 

では、今回もチラ見レポと行きたいと思います。

本編は何時書けるか…自分自身もあまり期待してませんが

書きたいなぁ~。

でも、その頃には『ここどこやねん』と言いながらパソコンと

睨めっこしてそうだわアセアセ

 

 

夜中に高速を約500㎞爆走(実際は休憩をしていますが)して

最初に到着したのが 岩村城

ここで、旧知のブロガーさん夫婦と合流します。

で、向かった、100名城、岩村城でありますが…。

終始、よぉ~判らん城でした。

見所の六段壁も、積み直しの石垣を見てもと思ってしまいましたし

また縄張的にも?がつく場所が多く、残念感は強かったです。

ただ『武田の猛牛』と謳われた、秋山信友(虎繁)が城代であった

城を訪れたという意味では、良かったなと思います。

けど残念すぎたなぁ~ショボーン

 

 

 

 

 

この後に向かったのが、苗木城

ところが、到着したら、駐車場への誘導がいてるなどして

同行したブロガーさんと、車を停める場所が別々に。

車を降りて、城域に向かう(と言っても直ぐだけど)と

恐ろしい程の人が歩ているじゃないですかガーン

もう、これは画の中に人が入る事は覚悟せねばと思った次第です。

しかし、肝心の城はというと、なかなかの見応え。

従来あった岩盤を上手く利用しながら、さらに石垣を

積んでいるのは圧巻の一言ですね。

そして一番面白かったのは、曲輪造成の為に、堀切を埋めて

さらに、石垣で固めている箇所。

なかなか見る事ができない遺構だと思うので、感動モノでした。

 

 

 

 

この日の晩は、岐阜市内で酒飲み。

そこの女将さんがスゴイ人の末裔だったし、親戚がスゴイ方

だったという事が非常に印象に残りました。

それより食事もお酒も美味しかったですし、話しも弾みました爆  笑

本当に有難うございましたニコニコ

 

 

翌日は、飛騨へ。

一昨年の年末以来にお会いする、元ブロガーさんと共に。

当初の予定では行こうと思っていた城付近も通り過ぎ、

向かった先は広瀬城

飛騨を統一した、三木自綱(姉小路頼綱)の隠居城だった

そうですがとにかく、この城は畝状竪堀は見応えが

あり過ぎました。

幾条もの竪堀は深く見応えがありましたし、

畝も滅茶苦茶良好に残っている。

さらに、突端には横堀も走ると言う、なんとも素晴らしい

景色(ではない)がそこには残っていました。

さらには、尾根や曲輪間を断ち切る堀切の深さもスゴイびっくりマーク

今回の城巡りの中で、一番、手応えを感じた城でした。

 

 

 

 

 

三木氏に滅ぼされた江馬氏の城を次に訪れました。

城の名は高原諏訪城

信長の野望創造ではモブ的な城なのですが、そこに行くと

その評価は覆りました。

決して大きくはないのですが、なかなかデカイ堀切で

尾根を断ち切りさらには、土塁囲みの堡塁の様な曲輪もあり

なかなか技巧的。

しかし、主郭より奥は未整備。

非常に危険な箇所も多く、同行した元ブロガーさんが

少々(どころではない)危ない状況に。

しかし、そこを超えると石積なども見られ

さらには竪堀の突端を土塁で塞ぐ

面白いモノも見られましたし、ここもまた見応えが

ありました。

 

 

 

 

 

巻き気味で高原諏訪城を降りた(と言ってもドライブスルー的)

ので予備で考えていた松倉城に向かいました。

三木氏が築いたのを、その三木氏を滅ぼした金森長近の

改修が加わり織豊系城郭に変貌させたそうですが

確かに後者の色合いが強く、三木氏関連の

遺構は僅かに堀切程度のみ。

ただ金森氏の手による野面積の石垣は迫力がありました。

さらに、主郭から見た景色は最高でしたね。

そして、同行者さんが、今迄見た事のない部分の石垣も

見れましたし、正直、舐めてかかっていた城だったんですが

低評価(失礼)を見事に覆す、素晴らしい城でした。

 

 

 

 

この晩は酒飲みはなかったですが、晩御飯を頂戴しました。

うどんを主食(ではない)にしている私なので

ラーメンを美味しく頂けるのは感慨無量(言い過ぎ)でした。

店員さんが少々いただけませんでしたが…。

ごちそうさまでした。

 

 

最後の日は、初日に同行して頂いたブロガーさん夫婦さんと

再び一緒に東濃を廻っていきました。

まずは、明知城

実は初日に行こうと思っていたのですが、その日にお祭りがあると

いう事を聞いて、最終日に向かう事に。

東濃エリアでしたがこの城は、初日及び、この後に行った城とは

一線を画す城でしたね。

何と言っても畝状竪堀+横堀を持つのは特筆でしたね。

広瀬城のそれとは形状が違いますが、なかなか見事でした。

この辺りは、武田の造作かなと思いましたが、どうなんでしょう。

 

 

 

 

 

この旅の計画段階初期には見過ごしていた妻木城

ただ、縄張図を見て、行きたい欲が強くなった城にこの日の

二番手として訪れました。

兎に角、この城が岩盤の印象が強すぎました。

そこら中に岩、岩、岩。

岩が、割れているのが、巨大な石垣に見えるのは圧巻でした。

とはいえ、城としての機能も十分。

中心部付近を横堀-堀切で囲い、防衛ラインを形成していたり

主郭付近は枡形虎口もあり、こじんまりとしている中でも

なかなか良い城でした。

 

 

 

 

 

この旅、最後に向かったのは鬼武蔵と呼ばれた森長可の居城

美濃金山城

破城の痕跡が多々あり、石垣が綺麗な状態で残るのは

僅かでしたが、残骸などが各所に残り石垣で固められた

いたんだなと実感させられました。

初日に訪れた城も石で固められていましたが、この城は

その石を使って、技巧的な縄張りにしている感が強かったです。

特に、枡形虎口や横矢が掛かる導線などは歩いていて

楽しかったです。

ただ、森長可は猛将のイメージが強かっただけに

テクニカルな城を築いたのは少々意外だった…まぁそんな武将

結構いてますが。

 

 

 

 

 

無事、チラ見レポも終了です。

これを書くのも、集中力が…。

ほんま本編まで辿り着けるのだろうか…。