日記/書簡 フィッツジェラルドの手紙 その1 | ScrapBook

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岩波文庫から刊行されているドストエフスキーの「妻への手紙」の中には、ルーレットで有り金を失ってしまったドストエフスキーが出版元に原稿料の前借りをするために妻に宛てて書いた手紙がたびたび登場する。
彼の書簡を手に取った多くの読者は、ドストエフスキーの書簡に彼の作品に関する彼自身の考えを読みたいと思うだろう。が、妻へ宛てた書簡の多くが、ルーレットで失った金を補填するお願いであり、作品に関する言及はわずかである。

作家は職業柄、様々なイマジネーションをその胸中に蓄えている。日常生活を営むにあたり、膨張し過剰となったその幻たちが発露を求めて動き出す。それらが作品の創作へと向かう力となる場合もあれば、ときにギャンブル、酒、ときに反社会的行為へと作家を駆り立てる場合もあろう。ドストエフスキーの場合にはギャンブルに、フィッツジェラルドは妻のゼルダに焚き付けられるように、放恣な生活へと向かってしまった。

多くの作家の手紙に見られるように、フィッツジェラルドの編集者に宛てた書簡の中にも、原稿料の前借りを頼む内容のものがある。

「(略)やっとスクリブナーズ社との清算ができたのだから、この状態を続けたいと望んでいました。しかし、わたしは今や絶対絶命なのです。今回のお願いを、来年の七月にならなければ支払っていただけないクリスマス・セールの前金としではなく、新しい小説に対する前金という風に考えていただけないでしょうか。スクリブナーズ社が金を借りる場合と同じ利子で。(略)1920年12月31日マックスウェル・パーキンズ宛書簡」

どうやら、彼を担当している編集者であるマックスウェル・パーキンズに金の無心をする書簡を大晦日に送っているのであるが、この日の昼、彼れらは昼食をともにしており、その場で金を工面してくれと言い出せなかったようである。

この1920年という年は、3月に「楽園のこちら側」を出版。4月にはゼルダと結婚し、彼女との無軌道な浪費生活が開始されたのだった。さすがにそんな生活も長続きせず、乱痴気騒ぎを反省した彼らは、5月にコネティカット州ウェストポートに家を借りて、静かな生活をしようとしたのであるが、あえなく挫折してしまう。濫費の結果、印税を前渡ししてくれるように、出版元のスクリブナーズ社の社長に直接手紙を送付することになってしまう。
「今回もまた大変ありがとうございました。この秋、今までの前渡し分に最大限の利子をつけて決算するように会計係に命じてくだされば、わたしも、もっと金銭に関して几帳面になり、少しは浪費を控えるのではないかと思います(略)1920年8月12日スクリブナー宛書簡)」

9月には「フラッパーと哲学者」の出版、翌10月にニューヨーク市内にアパートを借りる。

この書簡だけを見ると、かなりだらしない人間のように思えるフィッツジェラルドであるが、処女作である「楽園のこちら側」のゲラの校正をはじめた彼は、1920年1月21日にマックスウェル・パーキンズに宛てた書簡に見られるように、著書に使われている活字の大きさや書体に対して、細かな注文を編集者につけるなど、細部に関するこだわりを見せる。

また、「美しく呪われた人々」の原稿に描かれた表現に関して、マックスウェル・パーキンズから考え直してはどうかという提案に対して、真っ向から自説を主張する。
「小説の中に聖書に関する挿話についてのお手紙を受け取りましたが、わたしは少々深いに思っております。(中略)その上、物語の中でのその場面の位置からいってもこれはモーリーのペシミズムが増大していくのを示すために必要なのです。(1921年12月12日マックスウェル・パーキンズ宛書簡)」

彼が編集者に注文をつけるのは、本文に使われる書体や活字の大きさは表現だけではない。表紙のデザインに関しても、事細かな注文をつけており、そのやりとりを読んでいると面白い。
「(略)昨夜、本のジャケットの色について電報を打ちましたが、少なくともわたしに送られてきたものは気分の悪くなるような黄色になっていました。以前送ってくださったジャケットは深みのある赤っぽいオレンジ色だったことを覚えていらっしゃると思いますが。ジャケットに描かれている絵について考えれば考えるほど、画家がどうしてあんな男性を描いたのか分からなくなります(略)1922年1月31日頃マックスウェル・パーキンズ宛書簡)」

著書に関する細かな注文の間には、かならず金の話が出てくる。
「(略)また、最後になりましたが、大切なことがあります。わたしはまだ印税の報告を受け取っていません。現在、大変困窮しています。わたしの取り分がまだ千ドルぐらいはあると推測いたします。(1922年8月11日頃マックスウェル・パーキンズ宛書簡)」
「こういう風にしていただけないでしょうか。全額の支払いが終わるまで、劇の最初の印税を担保に当てることはできないでしょうか。勿論、小説が遅れることによって生じる差がでたらその幾部分かを払うということです。(1923年11月7日頃マックスウェル・パーキンズ宛書簡)」

そして、1923年、彼は長編小説に取り組む。「偉大なるギャツビー」である。