【2016年度版】シンボリックセラピーとの出会いを振り返ってその6 ふたり家族のうつ病介護生活。 | うつ病母の介護生活を経て、自分らしい人生へ

うつ病母の介護生活を経て、自分らしい人生へ

3年にわたる壮絶な介護と7年の施設と精神科の通院付き添いの後、親から卒業し、40代にして自分の人生を歩み始めた私が
幸せに生きるヒントをお届けします。

シンボリックセラピスト齋藤浩美です。
※シンボリックセラピーとの出会いのきっかけとなったうつ病介護の母との生活のお話を書いております。

2007年のお話で、今と少しギャップがありますことをご了承ください<m(__)m>。

●前回までのあらすじ

某百貨店勤続約40年。家事と仕事を両立し、職場や周りからも明るくて誰からも好かれた母。

そんな母が胃のポリープの発見をきっかけに会社を休み、床に臥(ふ)せるように。

食欲も落ち、人が変わったかのに何も話さなくなり、病院からは「うつ病です。」と診断。
母娘二人のうつ病介護生活が始まりました。

【2016年度版】シンボリックセラピーとの出会いを振り返って・その1
【2016年度版】シンボリックセラピーとの出会いを振り返って・その2 母の異変
【2016年度版】シンボリックセラピーとの出会いを振り返って・その3 母、うつ病と診断される

【2016年度版】シンボリックセラピーとの出会いを振り返ってその4うつ病家族になって
【2016年度版】シンボリックセラピーとの出会いを振り返ってその5 母の保護者になる。

 

ふたり家族のうつ病介護生活。

 母の保護者となり介護家族になった私視点の生活と気持ちです。

辛かったのは、

・母にどう接すればいいのか?が解らなかったこと。

・母に関する全ての事が、保護者になった私が決断と責任をすること。

でした。

頑張ってきたお母さん。だからこそ天使のように優しくありたい気持ちと人生を台無しにされた黒い気持ちが私の中で満載でした。

●母娘二人家族のうつ病介護生活。
一つ屋根の下に母と私が二人で住み、朝は『母は起きているか?』の確認で一日のスタートしていました。

一日中眠っている時もあれば、寝付けない時もあるようで、その話を聴きながら朝がはじまります。

 

調子がいい時は、体が動くときには、洗濯をしたり食器を洗ったりと手伝ってくれました。

「ひろみちゃん、もう治ったよニコニコ

とケロッということもありました。

病気になったことで、私への罪悪感があったようで、いつも『ごめんね』と謝っていた母。

その合間だけ、昔の母に戻ったかのようで嬉しかったのです。

 

後から知ったのですが、うつ病には『回復』『再燃』のサイクルがあるそうです。

体調の良い時は外に出たり人と話すこともできるそうですが、『再燃』になってしまうと力尽きたかのように一日中横になるそうです。

 

例外なく、母もこのサイクルでした。

 

こんな状態が続き、起きているか寝込んでいる姿を毎日見ていると、段々気持ちが凹んでいきました。

 

元気そうな母を見て、『ああ、よかったニコニコ』とホッとすれば、『ああ、無理しちゃったのね。私がもっと気遣っていれば…ガーン』と凹む気持ちの揺れ幅が大きくなり、疲れ果てていたからです。


よく言われる「頑張って」と言ってはいけない。と本などで言われていますが…

それ絶対ムリ!

だと今でも思います。

家族だって、ロボットではないのですし、うつ病にしたということで罪悪感があるのですから、我慢の限界がありますよね。


この生活が続き、買い出しに外に行っても『お母さん、生きているかな?変なことしていないとしていないと良いのだけど』と常に頭の中でエンドレス状態になり、無事を確認せずにはいられない…息を切らして家に帰ったものです。

 

『お母さんは私がいないと生きていけない』と言う思いと、離れたら『お母さん、生きているかな?大丈夫かな?』と心配で、たまらない思い。

 

母の生殺与奪の権利を私が持つことで、不安感満載の私が母に何かしそうな気持ち。

未来も一人で母を背負う気持ち…色々な私の黒い気持ちが消えては、現れるの繰り返しでした。

 

大好きだった家が、灰色の牢屋にいるように感じ、私はそこに軟禁された気持ちになりました。

 

『ひとりっこ』『母をうつ病にした』という思いからか、ネットで仲間を見つけようという気持ちにもなれず、質問しようにも母の状態を全て文字にすることができるか?の不安から、外に仲間を

見つけることができずにいました。

当時家族グループは、電車を乗り継いだ場所にあり、通えず。

時折、同じ境遇の家族の情報を見かけたこともありましたが、その家族は5人3人と多い人数でしたので、分担できていいなとしか思えなかったのです。

 

外には、人がいて気が休まる事があっても、家の中までは入ることができないのですから、また気持ちは元に戻ります。

 

私はうつ病の母にその不安をぶつけるしかなくて、母子初のケンカもしました。

『お母さんのせいで私の一生台無しよ!えーん

『私だって好きでこうなったんじゃないわよムキーむかっ

と泣き出したり、顔をお互いひっぱたき合ったり、取っ組み合ったり(笑)。

と、まさにヤマアラシのジレンマ状態の日々でした。

 

※ヤマアラシのジレンマ状態とは…

ある寒い日に二匹のヤマアラシがお互いに体を温め合おうとした。

ところがお互いの針が刺さり、痛くて思うようにならない。でも離れるとさむい。

そこから心理学では大切であるが故に、傷つけ合ってしまうことの例として、使われます。

 

●私を助けてくれた書籍

お母さんは疲れ切っているから、出来るだけ母の立場になって伝えよう。

声を荒げるのは病気のせいだ、お母さんのせいじゃない。

そう考えて、自分の気持ちを考えないようにしていました。

 

でもやっぱり

ムリゲッソリ

話すのもイヤだけど、言わないとダメだ。
私の気持ちも、少しはわかってくれ、お母さん。

でもハリネズミのお母さんに求めるのは、贅沢というものよねショック…。

言いたいことを喉まで出かかって収めていました。

 

自分の気持ちを伝えること、保護者ではなく協力者という考え方

ケンカを経てお互いの気持ちを伝えられない不器用さに気づき、どうしたものかな?悩んでいた時に一途の光を差し込んでくれた本。

 

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●『「家族力」がうつから救う!』
病の進行や治り方の方法論ではなくて、家族視点から見た内容でした。

うつ病の経過や家族視点から見た対処方法が事例をあげて書いてあり、私と母の間に程よい距離感の提案をしてくれたのです。

 

またうつ病の進行状態も図にしてあるので、それをコピーして病院の医師に今母はこの位置にいると教えてもらったりと助けてもらいました。

 

●『自分の気持ちをきちんと<伝える>技術』

『「家族力」がうつから救う!』からうつ病患者への言葉がけ、気持ちをつたえる方法を伝える書籍の紹介があり、見つけたのがこちらの本です。

相手を尊重しながら、自分の気持ちを伝える=アサーション

練習しながらですが、以前よりも気持ちを伝える事ができるようになりました。

その後、お仕事に就くことになるのですが、職場の人間関係にも解りやすいと好評でした。

 

少しずつではありますが、

母が話したいと思うまで、近づかない。

私に出来ることは、『食事と薬を見守ること』『病院に連れていくこと』をする。

と自分の中のルールを決めて母に接するようになりました。