私的三韓以前の朝鮮の歴史 その2 | momongaの雄たけび・・・なんてね(*^-^*)

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気持ちは永遠の淑女・・。妻であり母でもあるmomongaが子育てに政治に思うところをぶつけてみるブログです。調べるほどに嫌いになる韓国に怒り爆発!!!ピグはちょっと無理よ・・。

前回の続きです。
「史記」などによると紀元前220年代の中国では以下のような
ことが起きていたわけなのよ。

(紀元前223年) 秦が最大の敵であった楚を滅ぼす
           ついで同じく江南にあった越も滅ぼす。
(紀元前222年) 秦が遼東を攻め、燕を滅ぼす。
(紀元前221年) 秦が斉を滅ぼし、ついに中国を統一。
           秦王・政は自ら皇帝を名乗る(いわゆる始皇帝)

秦の天下統一に向けた
一気呵成の攻勢が続いてますね。

そしてこのことが
朝鮮にとってはすべての始まり
だったっていうか・・。
天下統一はいいんだけど、
大量の難民流民を
生み出すことになっちゃいます。


通常は一時的に流民が生じても
統一国家が安定した政治を行えば
やがて事態は落ち着くもの・・。

なのにそうじゃなかったわよねえ・・。

秦の始皇帝ったら
土木工事がだ~~~~い好き

まだ国が安定もしてないのに大規模土木工事を
連発!!

(紀元前213年) 始皇帝、万里の長城を築かせる。

おそらく同時並行で始皇帝陵の建設工事もやってたハズ。
大変だったでしょうねえ。
どっちにしてもこの土木工事には大量の人民が動員されました。

特に万里の長城の建設には、
遠く離れた江南の

楚や越
住民たちが強制的に
遼東半島に移住させられて
工事に従事させられてた

みたいなの。

さてここまでの文献は主に「史記」に依ったもの。
あの有名な司馬遷が著者ですね。

ここで長城の建設に関係があるんだけど
はじめて「史記」以外からの引用をします。
「魏志韓伝」「魏略の逸文」より。

そのころ朝鮮半島北部には
箕子朝鮮という国家が
まだ続いていました。

前回記事参照↓
http://ameblo.jp/sunakake-beaver/entry-11949886774.html
戦国時代には燕に服属してたみたいなんだけど、
秦が天下統一して万里の長城を築くと、
その版図は遼東半島を超え、箕子朝鮮と
国境を接することになります。

その当時の
箕子朝鮮王・箕否は畏れて、
秦に服属することにしました。

その後、
箕否の後は箕準が継ぎます。


ところが秦の天下は長くは続きませんでした。
法律でぎゅうぎゅうしぼって窮屈な生活、
負担のかかる大規模な土木工事。
誰だって嫌になりますよね!!
そして

(紀元前210年) 始皇帝薨去。

まってましたとばかりに中国各地で
反乱がおきるのですよね。
(陳勝・呉光の乱)

始皇帝が死んで反乱が頻発すると、
中国の流民は朝鮮に向けて移動を始めます。

箕子朝鮮王・箕準
逃げてきた
燕・斉・趙の流民を
西方に居住
させます
(←「魏志韓伝」「魏略の逸文」より。)

たぶんね、前に「韓」の語源の話で
書いたんだけど、↓
http://ameblo.jp/sunakake-beaver/entry-11947192512.html
この時に
河北省に多くいた
周の時代の韓由来の
「韓」姓をもつ人々
も大勢
朝鮮北部に入り込んだ

と思うんですよね。

そしてさらに、
逃げたのは万里の長城の建設のために
強制的に遼東半島に連れて来られた
楚や越の人々も同じでした。


遼東半島の東に逃れた
楚の流民たちは


(紀元前207年) 濊建国(←史記より)

これ、結構重要なんです。
なんせ
濊から
扶余、高句麗、百済が派生していく
んですから・・。

さて、一方秦では章邯を将軍として討伐軍を送るのですが、
最後は項羽にやられちゃって

(紀元前206年) 秦の滅亡

ということになります。
このあたり司馬遼太郎さんが小説「項羽と劉邦」で
書いてます。
歴史ファンにとってはたまらない展開ですよね。

その後は、秦の次の中国の天下をめぐる
「項羽」と「劉邦」の戦いになり、
最終的には劉邦が垓下の戦いで
項羽を打ち破ったんでしたよね。

(紀元前202年) 
劉邦が項羽を破り、前漢を興す。


劉邦は盧綰という人をを燕王として、
大同江を朝鮮との国境としました。

そして漢の初期のころに
楚の流民が建国したと
いわれるあの濊国の王に

「濊王之印」
が授けられた

といわれているのです。

ところがその後、
燕王・盧綰が漢に反逆し、
匈奴に逃亡するという事件

が起きます。

これも司馬遼太郎さんの「項羽と劉邦」に書かれている
ことですが、盧綰って劉邦がまるで弟のように可愛がって
いた人なんですってね。

漢では最初、先の項羽との戦いで功績のあった
家来たちに広大な領地を与えていました。

でも国が安定すると、広大な領土を持つこの功臣たちの
ことが邪魔になり、難癖をつけては殺して領土を奪い、
劉邦の親族でこれらの土地を独占していくようになります。

さすがの盧綰も反逆をせざるを得ない
雰囲気だったのですかねー!!

そしてこのことが、
それまでは新盤とか辰国とか呼ばれて、
その存在すらあったかどうか分からなかった
人外の地・朝鮮南部

ついに歴史家の目が
そそがれることになるのです。


あーしんど。
続きは次回です。