ぼうけんのしょ

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L□∨Ε...φ( ̄▽ ̄*)ポッ

もうちょっと知的で充実した生活にしたいなーと思いつつ、
そーでもない(笑)日常の記録です。
Amebaでブログを始めよう!

随分長いこと、このブログを放置しちゃいましたが、元気にやっております。


以前書いてから、色々ありましたが、


ようやく、母ちゃんの取説を理解し

平和にやれてます🕊


鬱や妄想的になりやすい

精神的問題があり、

プラス 認知症軽症。


だから、いつ、どう厳しくするか、悩みどころでしたが。


結局、自分を変えないで、貫くスタンス。

善意と正義を、独善的でなく貫く。



ま、よーするに、ガチンコバトルを冷静に真剣に前向きにし続けたカンジ?



前にマティアスと破局したときに、あきらめたことを、諦めずに続け、

ついに安らかな関係になれた🥹


ささやかな、人生の成功を書いておきたくなりました😉


ま。ほかには大して書くこともないから😝また放置してしまうかも。





 

続きです。

 

私の疑問というのは、大きくまとめると、

「ゲイの人がどうしてカミングアウトしなければならないんだろう。」

というところですが。

 

まず、したくでもできない状況というのは、あるとわかってます。法律的にも社会的にも、ゲイの人の存在や立場を認める法律などが存在しないためです。

 

 

その状況がある以上、カミングアウトしたくてもできない、という悩みは理解しています。

 

ですが、「職場でどうしてもカミングアウトしなければならない。」というのは、直接その問題に関与していないと思ってるわけです。

 

つまり。ゲイの方の権利や立場を尊重する法律を作る方向へ働くべきであって、それを、カミングアウトしたくでもできないことの鬱憤とを、混同してしまうと、うまくいかないだろうと思ってるんですよね。

 

ただ、戦い方にけちをつけたいわけではなく、戦い方を考えなければ、より多くの疑問を、ゲイ以外の人にも抱かせるだろう、というところです。

 

職場で、私は、他人がゲイであるかどうかに、全く関心はありませんし、そもそも結婚や彼氏彼女ステータスをこちらから聞くことが、すでにセクハラになる可能性がありますんで、聞きません。

 

そういう私ですんで、私のことを理解していないゲイの日本人の方は、非常に私と話をして、怒り狂ったんでした。

 

ドイツ人との会話の続き。

 

私:

「たとえばね、私はゲイなんです、と職場で表明することというのは、『私はSM好きです』と表明するのと、近い感じがする。なぜなら、どちらも、性的マイノリティだから、という意味でね。そしてそれを言ってしまったんだよね、そのまま。そうしたら相手は非常に怒って、『ゲイを変態性癖と一緒にするなんてひどい!それこそが差別的な見方だ』と怒っちゃったの。」

 

ドイツ:

「SM好きが変態的だという発想は、あるよね。でも、だからといって、それを変態的だと決め付けることも、ドイツではないかな。普通に会話されるわけではないけれども。

でも、ゲイ=SM好き、ということでは、もちろんないし、典型的な理解力の不足した会話だね。

 

ゲイかどうかという会話もまた、いまだにセンシティブなところもある。けれど、僕は普通に、ゲイであることを友人や、君にもためらいなく話せた。それは、経験的に、君が宗教的な人間ではないし、差別的ではないと推察できたからなんだ。

明らかに、差別的宗教的なタイプの人に、自分からゲイだと話すことは、ないよ。そして、それが理解できない場では、慎重になることはなるよ。」

 

私:

「私にとってみたら、SM好きなのは、変態の範疇に入らないんだよね。私が言いたかったのは、単なるひとつの性癖、性的マイノリティだということであって、ゲイが変態的という意味では言っていなかったんだよ。

どちらかというと、SM好き=変態という発想のほうが、性的マイノリティを差別していると思う。私にとって見たら、SM好きは、単なる好みの問題であって、男が好きだろうと女が好きだろうと、それと違いがないんだよ。全て変態ということじゃなく、それぞれの好みの問題。」

 

ドイツ:

「相手にしてみたら、君がそういう考え方であることを理解していないので、君の言葉を誤解したんだろうね。しかし、性的マイノリティ同士が差別をしあうことも、当然ある。SM好きなんかと一緒にしないでくれ、というのは、SM好きを軽蔑しているからだろう。でも、君自身が、非常にラディカルだということもいえる。君のラディカルさが、相手に理解されていたら、普通に会話は終わったんだろう。」

 

私:

「でもね、それもまた、悲しいことに、冷静に会話することもできないという状況に、彼がいるということが問題なんだよね。あなたとはこれを、自由に会話することができるし、私があなたを異常に気をつかって、尊重しての会話をしなくても済む。しかし、日本のゲイの人とは、異常に気を使わないと、話ができないという部分もあるんだよね。だから、ゲイの人のカミングアウトのしづらさは、結局、自分だちでも作り出しているということもいえる。」

 

ドイツ:

「ゲイの権利をまず確保したのだったら、もう少し冷静に会話ができるんだろうね。」

 

 

 

 

ドイツのゲイの方と、なーがながと討論してきましたぃ。

 

はい、介護の合間に、こういうのがないと、ストレスがたまりまくります。

英語やドイツ語を使ってないと、なんとなく「物足りない」というか、脳が要求しますんで。

 

中身としては、以前、私が日本のゲイの方を怒らせたことがあり、その状況と、その意味を、話し合ってました。

 

「前にね、日本人のゲイの人が、どうしても職場でカミングアウトしたいのにできないのが、おかしい、と主張している人がいてね、私は、素朴に疑問だったの。なんでカミングアウトをどうしてもしたいのかな、と。

で、私は言ったの。「なんで、他人の性生活を、私が知る必要があるんだろう?」って。「あなたが知らせたい以上に、相手が知りたくないのであれば、知らせなければならない、と苦しむこともおかしいんじゃないの?」って。

たとえば、ドイツで職場で、結婚ステータスを聞かれた場合、答える、とか答えないとかは、個人の勝手な話でしょう?

だから、ドイツのゲイの人が、職場でカミングアウトしたくでもできない、という状況ってありえるのかなと。」

 

「まぁ、ないことはないね。基本的にゲイを差別するようなことは、全く起こらないだろうとは思う。ただし、宗教的に厳しい考え方の多い人の職場では、わざわざ自分から口に出したいと思わないだろうし、そもそも、そんな職場を選びたくないだろうね。」

 

「多分ね、日本全体の状況としては、カミングアウトしたくてもできない、そしてそれはアイデンティティを見せることも許されない苦しみ、なんだろうと思う。

だけどね、日本人がそれほどゲイに対して嫌悪感を持っているのかどうか、という意味で、疑問なんだよね。

たしかに、ゲイであることをオープンにして生きている人というのは、かなり特殊な職業、つまりは、有名タレントとか、ショーパブとか、そういった場に限られているのが日本の実用だと思うし、通常、男性の俳優などがゲイであることを表明しないようになっているね。だけど、それは、激しいゲイ差別が存在するから、ではなくて、存在すると思い込んでいるから、とも、いえる気がする。」

 

「実際に、そういった差別を受けたり、差別的な言葉を言われたから、それは全ての人が差別的であるはずだ、とは限らないね。ただし、一度でもそういう経験があれば、カミングアウトはしづらいのは当然だよ。」

 

「私の疑問ってね、カミングアウトすることがおかしくない、という状況になってくれれば、彼のためにいいなと思うんだけれども、そもそも、なぜ、カミングアウトしなければいけないのか?というのが疑問なんだよ。

あなたはカミングアウトをしなければならない、と感じることがある?」

 

「自分は犬を飼ってる。二人で暮らしている。その相手のことを、「彼が」と普通に話すことはあるけれども、誰かに向かって、「自分がゲイである、そこを理解しろ」という必要は、ドイツでは、ないといっていいね。すでに、社会的にも、受け入れられているから。両親とか兄弟はまた、別の話になるかもしれない。だけど、それほど苦労せずに、自分は伝えることができたよ。」

 

 

ゲイの方のカミングアウトをするべきかしないべきか。そんな話をしています。

つづきはまた。

 

 

 

母が、少しずつですが、悪い方に変化してきています。

原因は、もしかしたら認知症かな、という点もありますが、

●現実認識が怪しくなる。


これ、書くと意味が分かりづらいんですが。

要するに、現実逃避を無意識にやりまくる。

こんな感じです。


原因は、認知症以外には。


●役立たずであることが辛い。

●でも、努力したり考えたりする気持ちがない。
●ちやほやされたい。
●甘えて保護されたい。

●無茶な要求をして、当たり前の顔というか。


前は、助けられている自分を認識し、感謝したり、すまながったり、遠慮したり、がありましたが、なくなり。

逆に、やたらに注目を集めたがる幼児のように、しりもしないことを知っていると主張する、
やたらと参加したがる、しかし無責任な態度、



こういうのは、甘やかすべきでないと思っている私と、やたら世話好きな親戚達の中で甘やかされるイライラ、もあり。

要するに、永遠に母の面倒を見てくれるつもりなら、幾らでも甘やかしてくださいませ、なんですが、
そのつもりはない場合、てか、多分、自分が死ぬまでの事しか考えていないですし、そのあとは自動で私になるわけだし、


という、イライラがたまり。


働きに行きたい、しかしまだまだ手がかかる、さらに叔母に全面的に甘えたくない
↑悪いから、もあるし、後々こっちが困るから、もあり。


結局、手術した箇所は改善されてますが、別の箇所の手術がさらに必要なんです。
それがもう、何年も私が言って来ているのに、
拒否したり、それも馬鹿にしてるようなあざけるような言い方で拒否。



ぶち切れました、内心にね。

オモテに出したのは、ちょいと今日は外出してきます。あとはヨロシク。


叔母に任せて出かけて来ました(⌒-⌒; )



こういう幼児化的なのは、精神的不安定な時期の母らしいものですが、今は精神的に安心して甘えている時なんで、不安定、ではないんですね。


ですが、甘えた精神で手術を拒否し続けてしまうと、結局、やった手術もムダになるわけなんす。


やれやれと。笑い泣き



何か、努力する気持ちがなくなり、妄執的に依存されている部分も多少は出て来ていて、


その辺で、わたしは、たぶん、悲しみつつ、

この人、長生きは無理だな、とあきらめてしまうというか。


前向きさをどんどん失った、というか。


精神的張りがない、緩んだ状況で、努力もしないと、寝たきりも近い。。
今んところ、約2名のヨーロッパ人とこの話題で盛り上がり中。

ひとりは、例のハンブルクのドイツ人、実はゲイだと疑ってたらやはりゲイ。

もうひとりはノルウェーの人。

どちらも、ワタシと似たようなレベルの英語、そして、ワタシも多少はドイツ語でも話せる。




例によって、アニメの誤解を解く。

●かなりのヨーロッパ男子が誤解をしてるのは、オタク的アニメ、まんがが、日本人男性にメインで読まれて、AKB48みたいなロリコンの売春的文化が盛ん、だから、日本人女子が可愛そうだ、ロリコンの甘やかされた変態しかいないなんて。
などなど。


一応、名誉のために、

●それらは西洋で紹介されまくってるけど、決して日本では主流じゃない。日本人男性はロリコンの甘やかされた変態じゃない。

という反論をしつつ。


彼らの言うことも、ある意味、的を射ている。

●西洋女子と日本男子は似ている、自分から積極的に相手に働きかけもせずに、不満ばかりを持ってる。だから、手に負えない。


いわく、西洋女子は、かなりフェミニズムを盾に、やりたい放題、言いたい放題のタイプが多いし、エッチなジョークを言うなんて男は殺される。でも、日本人女子はおおらかに振る舞い、さらに、何事も期待しすぎて、文句を言うような態度がない、だから西洋男子と似ていて、一緒に過ごしやすい。



それはある意味当たってる。


しかし、日本女子も苦労して、すでに自分から動かなくなった男子の注意を引くために、涙ぐましい努力もしてるし、

男子の方は、既に人生諦め切ってるタイプも多い。
実はこの、諦めきった男子もまた、なかなか乙で、可愛いてへぺろ



西洋男子もまた、かなり苦労してんだねー。

ある意味、日本人女子の辛抱強さと、たしかに共通するけど、


あまりにも日本人女子を買いかぶってもこまるからニヤリ

一応こんなことも言っておいた。

日本人女子は、考え過ぎなところがあって、一人で勝手に悩み、一人で勝手にネガティブな結論に陥り、他人の賞賛を素直に受け入れられない。

そう言うタイプも多いけど、積極的に海外に行くタイプには、少ないかな(๑˃̵ᴗ˂̵)

元キャリアウーマン、定年まで大企業で勤め上げ、いまだに人事部長やらの相談相手になっていたりする。

 

冗談が好きで、四六時中くだらない冗談をいいまくる。

 

 

あのね、私も同じタイプの人間なんでこんなことをいっちゃうけど爆  笑

ジョークや冗談好きの人間は、たいてい、攻撃型の人間なんである。

 

ジョークというのは、たいてい、何かをこき下ろす。

 

ネタは人が傷つかないこともあるし、

その場にいる人間は全員傷つかない、というネタであるように、私もなるべく気を使う。

 

けど、ネタになる標的を攻撃することには、あまり違いがないんだなーグラサングラサン

 

だから、冗談好きで世話好きの楽しいお友達がいたら、一歩踏み込んだときに、その人の攻撃性にビックラすることもあるでしょうね。

 

 

そんな叔母宅に居候中のワタシ、理由は、母が東京での手術を望んだから。

介護人員として、雇われ中なんである。

 

理由があって、実家の近くでの入院生活は、無理だと結論したし、なにより叔母宅から近い病院、かなり先生の対応に、信頼が持てた。

 

 

この、医者の質の違い、なんだけど、たとえば名古屋で母が言われたこと、東京で母が言われたことには、結構大きな違いがあったりする。

 

 

 

名古屋でも母の足腰の問題を相談する、人の良いいい医師がいたわけなんだけど、

その人は母の手術については、「今やるのは、まだもったいない。もう少し不自由さが増えてから、いよいよ生活が厳しくなってからやる方が、ダメージ的にもいいだろう。」

 

 

東京で言われたことは、

「生活の不自由さが出てきたことも深刻なことでしょうが、それよりも、このまま進んだ場合のリスクが高いです。

神経へのダメージが持続したままだと、マヒ状態の箇所が増えて、手術後にも再起できなくなる箇所がありえる。だから今すぐ手術をしなさい、とは私からは言えませんし、今手術しても麻痺の箇所が残る可能性もあるが、後々の機能障害がでやすくなる可能性を考えて、近いうちの手術について検討して下さい。」

 

※そのものズバリの表現を避けてますので、わかりにくくてゴメンなさい。

でも大体、伝わるかな、というところでウインク

 

 

ワタシはそれぞれの医師の言ってたことの意味を、こう感じた。

 

名古屋(約1年まえ):患者のQOLを、勝手に低く見積もり、勝手な価値判断を押し付けている。

東京:状況を事実と推察とを含めて正確に伝えた後、手術でのリスクも伝えた後、未来予測の展望が患者に理解できる伝え方をした。

 

 

こういうところなんですよね、多分。母が東京での手術に踏み切った理由。

 

名古屋の医師がダメだ、とか言いたいわけじゃないけれど、親切ないい人であるし、価値判断を医師に委ねるような問い方を母がしているわけなので、それも含めても。

 

「手術を今やるのが、もったいない」という価値判断は、どうしたって医師側の判断ではなく、患者側の判断をするべき問題。

現に、生前、ガンの前に同じ症状を抱えたときのウチの父は、とっとと自分で判断して2週間ぐらいで手術に踏み切った。

 

そして入院を嫌がる母の気持ちも、医師にとっての障害でしたネ。

 

そういう心理的な障壁、なども、クリアにするためには、やはり勝手な価値判断を交えた伝え方をするんでなく、事実をより正確に、患者の未来がきちんとイメージできることを、恣意的でなく伝えた伝え方の勝利、だったかなーと。

 

 

というわけで、その辺のコミュニケーションの細かな部分で、ワタシから見ての名古屋の医師の判断に、腹を立ててますムキー

なぜなら、そのときに手術していたら、間に合った筋機能改善がたくさんあるし、一つの不具合をカバーするためにおきたほかの箇所の不具合が起きずに済んだし、年齢的にももう限界に近い、手術に軽やかに対応できる体力も、そろそろない次期にあるわけで。

 

 

あの時点で手術していたら、もっと軽い入院で済んだはず。

 

その辺の、カルチャーの問題になるかなー、医師の地域差という。それを感じた。

勝手な価値判断をして患者をミスリードしない、というカルチャーを、ちゃんとした医師は持ってる。

 

 

それをわかっていながらも、私自身がそれを母に説得するに足るような言葉を発せていなかったのが悔やまれる、口をすっぱくしていいまくったんすけどね、半年ぐらい。

とはいっても、医師の診断部分なんて、ワタシにはムリだしねー。

 

 

何はともあれ、ワタシも不自由な居候生活をしながらの、介護生活、タイヘンだけど、ストレスはなく、実はかなりエンジョイしてます。

同じタイプのワルガキ仕切りやの叔母ちゃんとも、我慢せずにいいコミュニケーションがとれているかな。

 

 

先日の、腹を立てたささいな事件も、実は後から、オバは察していてお願い

 

ワタシは気晴らしもあり、有楽町まで出て母の体によさそうな食べ物などを見繕って楽しんで帰り、美味しいものをオバにも買って帰り、何事もなかったように朗らかに対応したウインク

 

しかし、オバちゃんは、ちゃんとワタシが、いかにも無視しましたという様子でケーキを持っていかなかったことで、何をワタシが怒っていたのか、までを察した。

そしてそれを、さりげなく、すまなさそうなオーラで「自分はモノを知らないからねー」と言ってきた。

この辺、この人も人事やっていた時代を彷彿とさせる、結構スゴイ人なんす。

 

しかーし、相変わらず、アタシや母を標的にしたジョークを連発したりして、こちらも負けじとジョークでこき下ろしあい、エスカレートすると首をしめたり、プロレス化、そしてたまには、

「オバちゃんみたいな人がいれば、あのときの実家での争いが起きなかったかもね」

 

などと、相手の健闘をたたえていたりもしますニヤリ

 

 

 

 

平和に介護生活をしてますが、ちょいとしたケンカもある。

私のお世話になってる親戚は、母の姉、
大変親切な、冗談を言いまくる、元キャリアウーマン。

母の姉の世代で、仕事をし続けてきた女性、というのは、わりかし革命的で、スゴイ人なんす。


しかし。


その分、命令的、支配的になりやすいし、その命令や支配が、良いときは良いけど、ダメで間違えたりもする。お茶目さんなガミガミばあさん。



病院までは、叔母の家からは、歩いて10分。


朝、ドリップ珈琲を飲むのが習慣だった母、可愛そうに、と、朝食に間に合うように、7時過ぎにスタバでコーヒーを買ってケーキとともに持って行く。

母は、何よりも嬉しい、と感激しまくり。



で、それを母から聞いた叔母、私に命令的にこういう。

『明日も持って行ってあげなさい、ワタシがケーキを買ってやるから。どうせ朝早く目が覚めて暇でしょ。それぐらい、お母さんのために、やりなさい。』




わかるかなー、自主的に母を喜ばすためにワタシが考えて買いに行ってやったことを、まるで義務のように事細かに仕切られる不快感。



はい、今朝も行きましたが、叔母のケーキには見向きもせずに、ひとり勝手に行って、不機嫌に母にコーヒーと自分が選んだケーキを持って行き。


ぷりぷりして、思わず母に、八つ当たりてへぺろてへぺろてへぺろ


母は、悪くないのにねー。



ワタシ的な不快感は、仕切りたがりのオバに、台無しにされた、心からの利他的なヨロコビ。


それをスポイルしたオバが悪いし、それがスポイルすることになると、理解しないオバへの、腹立ち。


と、えらそーに腹を立てつつ、母に八つ当たりするのが、アタシの甘えてへぺろてへぺろてへぺろ



わかっちゃ居るけどやめられないっ


また、母も元気になり、ようやくヤマを越えた感もまた、ワタシの苛立ちを高める笑い泣き



これだけオバに世話になってるんだから、我慢していかなきゃね。
母の通院に付き添うなか、なんか、やたらと病院の暖房がキツい。

まあ、パジャマで歩き回る患者さんに合わせての気温なんで、28度くらいかな。

しかし、場所により、ムウってする。30度の場所もあるかなー。


この病院に出入りすると、かなり体力的に辛いな、と感じ始めた矢先。



体温調整がおかしくなり。

普通に暑いな、という中で、やたらと火照る。
しかたなく、顔を冷たい水で洗ってみたり、薄着で外に出て涼んだり。


はい、バカのやることでした。
悪化の一途を辿って、家に帰ってからも体温調整がおかしく、急激に体温が下がり始めた。


元々、冷え性の逆、冬でも裸足で歩き回るワタシ、この日はまるでインフルエンザみたく、熱い風呂に入っても震えがくる。


インフルエンザのときは、熱い風呂でも震えが止まらなかったけど、30分ほどしたら温まって、まともな状況に。


体温がまだ、自力で調整がきいてない、おかしな状況に有りつつ、さらに下痢も。

で、寝込みましたー(⌒-⌒; )

結局、インフルエンザでもなく、風邪すらなく、ひたすら、寒暖差のせいで自律神経がやられただけらしい。

しかし、身体が重くて、毎日ジョークを飛ばして回るワタシが、黙り込んで二日間、ようやく身体が軽くなってきました。




通院など、病院に行かれる方は、脱ぎ着できる薄手のシャツを中に来て行かれることをおススメ(๑˃̵ᴗ˂̵)

わたしは、裏面フリースのパーカーで、しかもジップじゃなく被るやつ、下は何も着てなかったから、アホなんす。てへ。

大相撲の問題、日々放送されてますが。

 

この事件みて、感じるのは、あちらこちらに「いじめの温床」があるのねーってこと。

 

 

まず、白鳳が批判されている張り手。

これが禁手だっていうんなら話はわかる。

しかし、白鳳が昔、横綱になりたてのころなんて、賞賛されていた。

 

あきらかに、日本人力士が勝てないのを面白くないからってんでの、いいがかり。

それをまぁ、ご丁寧に、部屋までそれに従ってしまったり、相撲協会の人がそんなことを口にしちゃったり。

 

 

そんなことを口にする事が恥ずかしいことが、どうしてわからないのか。

 

 

日本の伝統協議だから日本のやり方がある、アーハイハイ。

だったら、明文化して額にでも飾っておけってーの。

 

 

どこにもそんなルールはないのに、「横綱としての品位にかけた取り組み」

「わかるものだけがわかる美学」、そんなもんを、国技と呼ぶな!!!!

 

 

品位に欠けてんのは、テメーだテメー。

 

今までやってきてきたことを、いきなり批判するんだっていうのなら、ルールから変えようか。

それに従わないのなら、批判も結構。

 

 

 

こういう「不文律」というのは、結局いじめのためのハコなんだよね。

これは。どの国にもあるかもしれない、だけど、日本ほど、それが多い国はないよねー。

 

 

ただ、うれしいことに、白鳳批判に対して冷静な目もある。

結局不文律に従わないとハバチョよ、といういじめに過ぎないことを、見抜いている人もたくさんいる。

 

 

 

しかし、それをテレビはどう扱ってるかね。

 

 

イジメをやめようと子供に教育したいんだったら、こういう不文律をなくしていく努力をするべきじゃないのかね?

少なくとも、不文律に従わないやつをハバチョ、というシチュエーションを批判するのが、マスコミの役割なんじゃないの?

 

 

で、それも計算しての相撲界活性化なら、話は別。どんどんやってくれ。

 

しかーし、相撲界理事とか相撲評議会とかのメンツをみるに、イジメを進んでやるような面子バッカ。

 

 

 

はっきりいわせてもらって、NHKと国技と、オカネに群がる、イジメ集団じゃねーの。

そんな相撲なんて、国技にするな。

恥ずかしくて外国いけやしない。