「山谷(やま)やられたらやりかえせ」を鑑賞する(in 1989.11.3, Plan-B) | 妄想印象派 自作のイラストや漫画、アニメ、音楽など

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山谷(やま)やられたらやりかえせ

(1985)


監督:佐藤満夫・山岡強一

ナレーション:城之内元晴

音楽:蠱的態

制作:「山谷」制作上映委員会


「山谷やられたらやりかえせ」チラシ(1989)

↑1989年8月4日、9月1日、10月6日、11月3日、12月1日

上映予告チラシ

※掲載されている所在地や電話番号は、現在も使われているのかどうか確認してません。

「山谷やられたらやりかえせ」案内

↑殺害された監督たち(後述)の生前の言葉や、強制連行されたとされる朝鮮人の歌などが掲載されている(1943年に強制連行されたというのだが、その年は未だ朝鮮人への徴用は無かったとする意見もある)

http://freett.com/iu/memo/Chapter-010606.html

http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daiyonjuuhachidai

http://www.amazon.co.jp/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E3%83%BB%E5%BC%B7%E5%88%B6%E9%80%A3%E8%A1%8C%E3%81%AE%E7%A5%9E%E8%A9%B1-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E9%84%AD-%E5%A4%A7%E5%9D%87/dp/4166603841

※掲載されている所在地や電話番号は、現在も使われているのかどうか確認してません。


ナレーション問題について『山谷』制作・上映委員会


↑ナレーション問題について(『山谷』制作・実行委員会)


「山谷やられたらやりかえせ」アンケート用紙


↑アンケート用紙

※掲載されている所在地は、現在も使われているのかどうか確認してません。


※チラシなどの画像掲載にあたっては、特別「無断転載禁止」とも何も書いて無かったので、特に連絡せず掲載しました。

もし問題があるようでしたら、ご一報ください。

○この映画との出会い

この映画について説明する前に、私が何故この映画の存在を知ったかについて

説明します。

1989年当時、私は高校2年生だったのですが、その年齢に似合わず、

「模索舎」というミニコミ書店に入り浸るという、かなりイカれた高校生でした。

私の作る作品を見れば、そのイカれ具合というのが分かるでしょう

(自分で言うのもなんだが)

現在では、奥の突き当たりに黒地に白い字で「反日」と書かれた大きな旗が

掲げられているので、かなり引きます。

右翼系の本も取り扱っている様ですが、店としては左翼系なので

分からないでも無いですけど、あそこまでする必要性はあるのかな?

如何にも左翼が追い詰められてテンパっている様に見えるので、

ちょっとな・・・と思うのですが。

で、その書店に、件のドキュメント映画のポスターが貼ってあったのです。

「ゆきゆきて神軍」とか「ホーリーマウンテン」とか見ていた関係で、

内容に凄く魅かれました。

「監督が右翼の凶刃に斃れ、その遺志を継いで映画を完成させたもう一人の監督も

凶弾に斃れた」という制作エピソードが強烈だなと思いました!!

「右翼」とは言っても、今から考えたら、「エセ右翼」なんでしょうけどね。

真面目に国を憂えている愛国者とは全くの別者です。


が、ポスターには「中野区富士見町 プランB」としか書いてなくて、

丁目とか番地といったものが書いてなかったと思います。

だから、上映会場を探すのにとても苦労しました。

幸い私は、当時「西新宿」に住んでおりました。

自転車だと、直ぐの場所なんです。

富士見町の付近を自転車で探し回りました。

でも、一体どうやって場所を探し当てたのかは憶えていません。

確か、左翼系のオピニオン誌に出ていたのを見たのかな?

それとも、「模索舎」にチラシでも置いてあって、それを見たのかも知れない。


場所は、片道1車線の小さい車道沿いにあるバイク店横の階段を下に降りて行った

所だったと記憶しています。

今でもそのバイク店があるのかは知りません。


その階段を降りていった所は、如何にも左翼ゲリラのアジトっぽい

かなりヤバイ雰囲気の上映会場でした。

勿論、お客は私だけ。

後から、若い女性2人組のお客がやってきました。

後で聞いた所、「ぴあ」で知ったとのこと。

なんだ、「ぴあ」にも告知していたのか。

そんなわけで、お客は私も含めて3人でした。

映画を見終わった後、制作スタッフとお客とで歓談会みたいなのを開きました。

こういった自主制作系映画というのは、大抵こういった事をするのでしょうか?

「かん天な人」を鑑賞した後も、似た様な事をしました。

お客も少人数だし、宣伝の意味も兼ねているのかも知れません。

私はその歓談会の時、スタッフの一人に「第2弾は作らないんですか?」

と言ったところ、「いやあ、殺されちゃうからもういいよ」と言っていたのを

はっきりと憶えています。

確かに、2名の犠牲者を出しながらも完成させた、まさしく命懸けの作品ですから。


○映画のあらすじ

ドヤ街の人々の置かれた状況を克明に記録していくドキュメント映画。

「山谷」だけでなく、横浜の「寿町」など他の「ドヤ街」も登場する。

労務者たちの生活に暴力団が介在している事を描いた事から狙われ、

佐藤監督は刺殺されてしまう。

そして、遺志を継いだ山岡監督も、完成してからまもなく射殺されてしまう。

実は、内容は大方忘れてしまっていたのだが、手許にある資料を見ると、

在日朝鮮人問題や部落差別問題などにも触れている事が分かりました。

確かに、後半の方で、そういった問題にも触れていたような・・・、

というのを微かに思い出しました(でも、ちょっといい加減な記憶です)。

話がこのように大きくなっていくことで、映画を見る者に強烈なインパクトを与えると

思います。


最後の所で、暴力団員がドヤ街の労働者達に取り囲まれて糾弾を受けている場面

があると思うのですが、如何にも「俺達でも気合い入れれば暴力団になんか

負けないんだ!!」というメッセージの様なものを見ていて感じました。

伊丹十三監督の「ミンボーの女」を思い出しました。


実は、所謂「革新派」の胡散臭さ(歴史認識とか)を知ってしまった今となっては、

妙に身構えてしまい、素直に共感出来なくなっていたりするんですけど、

僅か高校2年生でこの映画を見た体験は貴重だったと思います。

最後に、佐藤さん、山岡さんのご冥福をお祈りします。

ドヤ街にいる方々も、具体的な方法が分かれば何とか救ってあげたい気持ちも

勿論あります(口先だけだと文句を言われるかも知れないが)。


「山谷」制作上映委員会HP





【画像追加:2008.12.16】

ナレーション問題について(『山谷』制作・実行委員会)





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