聖書はあまり読まれていないのではないか。それはなぜか。聖書は、やはり手引書がなければ、読み通しにくいということではないだろうか。
とはいえ、教典は教典である。どうしても自分一人ではわからないところがある。また、興味本位に読みすごすだけでは、何にもならない。そこにふくまれている宝石のような真理を見つけなければ、意味がない。
聖書について、三浦綾子さんが語っている箇所。
独学にての読書で読み通し、理解するのはむずかしい。だから読む人が少ないのかもしれない。
と、生前の著書に書かれている。
それからまた、
聖書は経典であって、自分ひとりで読んでも、わからないところがある。
さらにまた、興味本位で読みすごすだけでは、何にもならない、と述べている。単に読み通せばいい、なんていう書物ではないのだ、と述べている。
そこに含まれている「宝石のような真理」を見つけなければ。意味が無い、とも語っている。
まさに、その通りだと思う。
独りよがりの間違った読み方にならないように、読み方を教えてくれる先生が必要だし、そういう意味でも、カトリックには神父がいるし、プロテスタントには牧師がいる。
導き手はどうしてもいるのであって、そうした存在を介さずに、自分は独学にて理解できるというのは、よほど優れたる魂か、そうでない場合は、よほどに自惚れた人間であろう。
後者の場合は、その理解の仕方に、かなりの間違った解釈や、好き勝手な理屈が横行しているに違いない。
キリスト教系を称する邪教というのは、十中八九、聖書のことばを自分流に勝手に解釈して、本来の教えとはかけはなれた、正反対のことを主張していることが多いのではないか。
あるいはまた、聖なる書は、単に読めばいいものではない、というのは、聖書に限らず、その他の優れたる著書全般についても、当てはまる真実ではないかと思う。
そこに含まれている「宝石のような真理」。これを見つけられたかどうか。
その書物には、宝石のような素晴らしい光が宿っている。だからこそ、素晴らしい名著であり、聖なる書として尊崇されてきたのだろう。
ならば、その光を感ずることなく、宝石を見つけることが出来ない状態での、単なる読み通しで終わったのなら、それはまだ、宝石の発見にまでは至っていない「ざっと見」でしかないのであって、
そこで終わったのでは、意味が無い。
真に読んだとは言えない、ということではないかと思うのである。
三浦綾子さんは、そういうことを痛切に感じたので、生前、出版社からの依頼を受けて、
自分には荷が重いのではないか、と感じつつも、自分に出来る限りの手引きの本を書こうと、執筆したのだそうである。
前述のとおり、わたし自身の経験を考えても、それが痛感されるので、わたしは親しみやすい手引書を書こうと思い立った。ただ、わたしは 平 信徒であって、牧師でもなければ、神学者でもない。しかし平信徒なりの平易な手引書もあってよいのではないかと、おこがましくも手をつけたのである。無論、牧師の説教や参考書で学んだ知識をもとにである。
わたしは、三浦綾子さんの著書を初めて読んだのは、旧約、新約、それぞれの聖書を初めて読んだとき。20代も初期も初期のころに、ほぼ同時に読み始めたのでした。
幸福の科学の本は、まだ霊言を最初の一冊を読んだだけ、という年齢であって、幸福の科学の教えとは何ぞや、ということはほとんど知らない時点で、キリスト教の聖書と、三浦綾子さんの著書をわりと読んでいたんですよね。
聖書をひもときながら、解説書として三浦綾子さんの本を読みつつ、並行して学んでいたものですが、
そういう意味で、三浦綾子さんは、わたしにとっての、キリスト教の導き手ですね。
なので、とても感謝が深く、この方のことばを尊重してやまない気持ちが、自分にはあります。尊敬しているのです。
上の、三浦綾子さんの言葉にもあるように、三浦さんが書いた「平信徒なりの平易な手引書」が、わたしにとっては、救いの手、いざないの手引きとなって、それから、キリスト教の素晴らしさや、幸福の科学の素晴らしさへと、導いてくれたのでした。
幸福の科学では、キリスト教系の作家の霊言というのが、すでに何冊か出ていますが、三浦綾子さんの霊言はまだ出ていません。
なので、いったいどういう立ち位置に立たれている方なのかは、定かではないのですが、
とある作家は、三浦綾子さんと同じようなところにいますか? といった問いに対して、
… みたいな返事をしていたので、同じくクリスチャン作家といっても、その信仰心の深さと、あの世で住まう境涯はやはり違うんだな、と感じた次第です。
わたしはきっと、光の天使の世界にこの方は帰っていると信じている者ですが、
以下、いくつか著書より引用しつつ、私たち(幸福の科学の信者、その他の宗教の信徒)にも普遍的にあてはまるであろう、信仰と愛、神さまに対する人間の立場、といったことを記事で書いてみようと思います。