LEO幸福人生のすすめ

幸福の科学一信者のブログです。
幸福の科学での学びを中心として、
読んだ本や、観た映画の感想などを書いています。
面白くて~わかりやすく、ためにもなるブログを目指しています!


なでなで~~~


アメンバー申請に関してのお願い
http://ameblo.jp/space-people/entry-12153423224.html

アメンバー申請は、親しい人からの申請の場合のみ、一時的に開いて受け付ける状態にしばらくさせていただきますね~。ちょっとアメンバー記事が増えそうなので。
メッセージなどで希望の旨伝えてもらえれば、親しい方の場合は承認いたします(笑)。
親しくない方の場合は、親しくなってから承認いたします。


*基本、なんらかの交流をしばらくの期間、わたしレオと取ってから以降の申請にしてくださいませ~。
今までまったく交流が無い方、当人のブログにプロフィール記載もない方は、どんな方であるのか、わたしにはまったく知る方法がありませんので。

しばらくコメントをたびたびしてもらうとか、信頼関係が築けて以降の申請にしていただけると助かります。
<(_ _)>

いいね!を頻繁にずっと押してくれてきた方は、かなりの確率で通ります(笑)。

すでにアメンバーになっている方の<推薦>があれば、承認いたしま~す。
NEW !
テーマ:

以前、空海の記事を書いたときに参考にした書籍。渡辺照宏さんの仏教解説書「仏教を知るために」より。

 

<自業自得>という章があります。

 

これは自分が過去に行なった行為が原因で、のちのち自分自身にその結果が跳ね返ってくる、という仏教用語ですね。業は行ない、その業によって作られた過去の因縁によって、のちの自分に結果が返ってくる。

 

キリスト教で言うと、人は自分で蒔いた種は、自分で刈り取らねばならない、というのと同じ。

 

物理学で言うと、作用・反作用の法則、などなど … 。

 

 

自業自得というと、いまでは何か他人を突き飛ばしたような見方で言うことが多いですね。

いい加減な生き方をしている人が失敗した場合、それは自業自得だとか、そういう言われ方をされますが。

 

本来は、他人を見てそうやって突き飛ばすために言われた言葉ではなくて、この言葉もまた、自己観照、自己反省のために仏陀が教えてくれた教えに、その基があったとのことです。

 

仏教では、すべての人間は、自己の行為に対して、どこまでも責任を持たねばならない、ということを強調した。これを自業自得という。
自分でした行為の結果を、かならず自分で経験しなければならない、というのである。

 

 

お釈迦様がいた当時のインドには、他にもさまざまな教えを説く人がいましたが、<自己責任>を徹底的に説いたのは、仏教以外にはなかったと。そう解説されています。

 

他にあった教えというのは、運命論ですべては決まっているから諦めろ、といったニヒリズムだとか、死んだら何も残らないのだから、生きているあいだのことだけ考えればいいといった唯物思想だとか、そういったものがあったわけですが、

 

仏教はそれらの教えとは一線を画していたわけですね。

運命は乗り越えられる。生まれがどうあろうと、自助努力によって人は、自分の人生を切り開ける。

あるいは、死んでのちもなお魂は存続する。それゆえに、汝ら怠らずに精進せよと。仏陀は弟子たちに教えたわけですから。

 

渡辺照宏さんは言います。

 

要するに、仏教で教える自業自得の説は、自分のした行為に対して、どこまでも責任をもつということがその本旨である。
極端な唯物論や運命論のあいだにあって、個人の責任を強調し、道徳律を確立したという点に、世界思想史上における仏教出現の意味がある。

 

カルマの法則の話になりますが、この法則も皮相に解釈すると、

 

じゃあ、誰かが不運な事故にあって、命を失ったり、身体に障害を負ったり、そういう目に遭った場合も、自業自得なのか。彼らはカルマの刈り取りによって、そういう運命に出会っているのだから、ただ黙ってその運命を甘受して耐え忍べと、そう言うのかと。

 

こう言って文句を言ってくる人がいるかもしれませんが、これは理解が浅い人の反論に過ぎません。

仏教では、自己責任ですから、自分がそういう事態に陥った場合に、自分を顧みる視点として、自分が過去に行なったこと、あるいは過去世において行なった何かが原因で、こういう不幸が自分に襲い掛かってきたのかもしれない。

そうやって、自分で自分を問うために、自業自得の概念を、自己観照目的で使うのは正しい使い方なんですよね。自分を顧みる、自己責任の立場から、法を実践しているのですから。

 

ところが、自分は知らぬ存ぜぬで外野の立場でもって、

誰かの不幸を見て、他人事のように見て、あれは自業自得だ、というのは、自己責任的な視点ではないですね。他人事の、愛なき発言です。慈悲の心もないですね、ここには。

だから仏教的精神にも反していて、正しくカルマの法則を理解していないんですね、この人は。

 

奥義の教えが普通は秘伝・秘教として、一般の人に安易に教えられないのは、高次の意味を理解できていないのに、ただ表面的に知っただけで、奥義を理解したつもりになって誤用する危険性があるからなのだと、わたしは思います。

その奥義を教えてもらうより先に、その奥義を正しく理解できるだけの認識力を、まずは身に着けておかないといけない。でないと、奥義を奥義として正しく理解せず、誤った理解のままに濫用するハメになるからでしょう。

 

エドガー・ケイシーも生前のリーディングで言っていましたが、

 

ある人が、不幸のカルマが原因で、何かの障害を持っていたり、非常なる苦しみの中に置かれているのを見た時、

 

それをカルマの刈り取りだから、他人が手助けしてはいけない。そんな風に誤ってカルマの法則を理解してはいけないと述べていました。

 

たとえカルマの刈り取りの最中であろうと、その苦しみをやわらげ、助けてあげようとする心と行動こそが<愛>ではないか。

だから、困っている人がいたら助けてあげなさい。それによって、その人の苦しみが外的に取り除かれたとしても、カルマそのものの解消が成されていなければ、また別の形でカルマはやってくるだろうから、気にしないで、助けるべきは助けたまえと。

ケイシーはそう述べていました。

 

例えれば、

前世、戦さのなかで、敵の両足を切断したカルマがあって、今世生まれ変わった際に、足が不自由な人間として生まれたとしましょう。

けれども、その人の苦しみを見て、ある人が素晴らしい義足を作ってあげたり、あるいは手であったらロボットアームを作ってあげたり、そういう助力をしてあげることが出来ますね。

 

この愛の行為によって、苦しみを背負っている人は、感謝の思いに打たれ、心からの回心をして、神さまへの感謝の気持ちも持ったり、信仰に目覚めることがあるかもしれません。

その場合は、別のかたちで、カルマが解消される、ということもあるかもしれませんしね。

 

一方では、ただ外的な方法で、足が自由になったとしても、感謝の思い不十分で、過去への反省、自分自身への反省が足りなければ、カルマの刈り取りは十分に成されていないため、別の形に変化した課題が、新たに現れてくるかもしれません。

 

大切なのは、その課題が自分自身に与えている意味を反省すること。それが自業自得という言葉から学べる、自己反省の道ですね。

 

一方では、その人以外の他人は、他者を助けるために、愛の行為に生きるべき、慈悲の心を持つべき、ということでしょう。

 

自分自身に対しては<自己責任>、他の人に対しては<与える愛>に生きること。

 

渡辺照宏さん御自身の文章を引用紹介して、終わろうと思います。仏教者として、いかに深い理解をした上で述べているのかを味わいながら、読んでみてくださいませ。

 

われわれは時としては、思いがけない災難に出会うことがある。
たとえばビルの上から落ちてきた自殺者の下敷きになって死ぬとか、強盗に殺されるとかいう例もある。
これはいったい、その当人の責任であろうか。前に述べた自業自得の原則にしたがえば、そのような不幸もまた当人は知らないが、過去の生涯における行為の果報である、と言えないこともないかもしれない。
事実、経典の中にもそのような解釈を示したところも確かにある。そのような解釈によって説明するとすれば、現代のわれわれとしては、少なからず抵抗を感じる。
まして他人の不幸を批評して、あれは自業自得だ、などと言うことは人間性を欠く。

思うに二千年以上も昔の一般的常識としては、そういう解釈によって、自業自得と考えることは、当人にとっては諦めであり、第三者としては一応の納得がいったかもしれない。
現在でも、自分自身を反省して、このような不幸な目に遭うのは、どこか自分の至らない点があったからであろう、と反省することは可能ではあろう。
しかし第三者が、それは自業自得だと決めつけることは許されない。
実際に、不幸の原因がどこにあるかということは、誰にもわからないからである。

通俗信仰などでは、人の不幸につけ入って、それは過去の業によるとか、はなはだしきに到っては、親の因果が子に報いる、というような不条理なことを説いて脅迫する者さえあるが、これはただ理由がないのみならず、非人間的な非宗教的な言動として、どこまでも排斥しなくてはならない。
人間の幸不幸には、複雑な多数の原因と結果が絡み合っているものであって、無責任な一部宗教家の言うような、単純なものではないからである。

仏教で自業自得というのは、ひとが現在している行為に対しては、どこまでも自分で責任を持て、という趣旨で説かれたのである。

 

 

 

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

Ameba人気のブログ

Amebaトピックス

      ランキング

      • 総合
      • 新登場
      • 急上昇
      • トレンド

      ブログをはじめる

      たくさんの芸能人・有名人が
      書いているAmebaブログを
      無料で簡単にはじめることができます。

      公式トップブロガーへ応募

      多くの方にご紹介したいブログを
      執筆する方を「公式トップブロガー」
      として認定しております。

      芸能人・有名人ブログを開設

      Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
      ご希望される著名人の方/事務所様を
      随時募集しております。