シルバーバーチ 感想2 ~人が苦しみの中にあるとき、天上界の霊は~ | LEO幸福人生のすすめ

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私たちの仕事でいちばん辛いのは、時としてあなた方が苦しんでいるのを傍観しなければならないことです。その苦しみがあなた方の魂にとって必要な闘いであるために、私たちは手出しをすることが許されないのです。あなた方がその闘いに勝利すれば、それは私たちにとっても勝利であり、あなた方が敗北すれば私たちにとっても敗北なのです。あなた方の闘いは常に私たちの闘いであるにもかかわらず、あなた方を援助することは一切許されません。 時々、私は涙を流すことがあります。救いの手を差し伸べてはいけないことが分かっているからです。それが摂理だからです。そのときの私の苦痛は、苦しんでいる本人よりも大きいことを知ってください。


高級霊が、指導している地上の人間を思う気持ち。

その人が地上生活をおくるなかで、非常なる苦しみの中にいて悶えている。
手助けしようと思えば、それは出来るのかもしれない。
しかし、そういう直接的な手助けはしない。

このことに関して、霊界知識が不十分だと、どうしても「なぜ?」と思ってしまう。

神仏がいるなら、なぜ地上の人間が苦しんでいる時に、手を指し伸ばして助けてはくれないのか?と。


この疑問に対して、自分の言葉でもって、明快な答えを出すことが出来るでしょうか?
わたしは、あなたは?

ここには、深遠なる神仏の計らいと、宇宙の仕組み、人間ひとりの一生の意味、個性ある魂を私たちが与えられていることの意味の深さ、自由意志の問題、などなど、非常に深い理由が隠されていて、そう簡単には理解できないし、心からの納得を抱くのは難しいのだと思います。

それが魂修行だから。

手助けをしてしまったら、当人の学びにならないから。

これは、幸福の科学でもそう教わっている通り、まさにその通りで。

当人の修行のために出ているのだから、苦しいからといって、ハイ右に行きなさい、そこは左へ、選択に迷っている時には、こっちが正解、そっちは茨の道だから辞めておきなさい、なんて何でもかんでも親切に教えてもらったら、わたしたちは、守護霊に頼り切りのダメ人間になってしまう。

とはいっても、本当に苦しい時には、せめてヒントなりとも与えてはもらえないか。わずかでもいいですから、なんて思うこともありますよね。

そのわずかのヒントでも、明確な言葉として与えられることはないし、そんな経験が許されている人は稀有でありましょう。と言わざるを得ない。

これは、地上にある人間の立場から見た謎、理解できていない部分ですが、

ではこの、救い・救われの関係性を、
天上界で見守る守護・指導霊の立場からみると、どうなっているのかといったら、

「手出しをすることが許されない」
「援助することは一切許されない」

という言葉がありますね。
これをみると、なんでや?そんな殺生な、厳しい … と思いかねませんが、そうなっているらしい。
間接的な導きや、婉曲的な導き、ヒントはありうるようだけれども、あまりにも直接的な、手取り足取り的な指導は、ふつうは許されていない、らしい。


ここでも、その苦難・困難の中にあってこそ、自分の判断・決断・勇気でもって立ち上がり、生きていきなさい。そういう覚悟、強い心、責任を持つ気持ちを、自身のうちに育むためにこそ、地上に生まれたのだから、これが正しい答えですよ!という絶対安心の保証を得られなくても、それでもその中で生きてゆけ、という部分がどうしてもあるのでしょう。地上人生の意味として。


幸福の科学で教わる「魂の兄弟姉妹理論」で考えてみると、

あなた方がその闘いに勝利すれば、それは私たちにとっても勝利であり、あなた方が敗北すれば私たちにとっても敗北なのです。

ということの意味が、より、わかりやすくなってくると思えてきます。

わたしが地上人生で勝利すれば、それはわたしの守護霊、魂の兄弟姉妹にとっても勝利となるし、その反対に、わたしが地上人生で敗北すれば、それは魂の兄弟姉妹たちにとっても敗北となる。

地上に生まれているのは、魂の兄弟姉妹のうちの一部分、一分身でしかなく、それが地上にいまいる私であり、あなたであるのだけれども、

そうすると、この世の自分と、あの世にいる魂の兄弟姉妹は、分かれているようでいて、実はいまでも一心同体であり、こちらの学びはあちらの学びになり、こちらの失敗はあちらの失敗にもなる、いわば連帯して、魂の責任を負っているというか、運命共同体として一心同体の人生をおくっている、らしい。

ならば、あちらにおられる魂の兄弟姉妹たちが、地上に人間の人生を見て、無関心、ということがあろうはずもありません。

地上にいる魂の片割れが、苦しんでいるときには、それを見て、涙を流しているに違いない。

これは実際そうらしい。
というか、わたしはこれに関して、とある体験をしたので、本当にそうなんだ!と衝撃を受けたんですけれども。

時々、私は涙を流すことがあります。救いの手を差し伸べてはいけないことが分かっているからです。それが摂理だからです。そのときの私の苦痛は、苦しんでいる本人よりも大きいことを知ってください。

地上で生きる本人を見守る守護霊、魂の兄弟姉妹は、こういう眼差しでもって、見てくれているのだ、ということを信じたいと思います。

いや、信じようではありませんか。


シルバーバーチ霊は、次のように言っています。

皆さんに代わって私が問題を解いてあげるわけにはいきません。それは皆さんの自由意志に干渉することになるからです。もし私が、この霊媒(バーバネル)にああしろこうしろと指示し始めるようになったら、それはこの霊媒の自由意志が失われたことを意味します。それきり彼の進歩は止まってしまいます。 あなた方一人ひとりの内部に宿された霊性が発達するのは、日常生活で生じる問題をいかにして解決していくか、その努力をしているときです。何もかも楽に片づいているうちは成長しません。


日々の生活の中での、問題解決の努力。そうしたことの積み重ね。

そこに私たちの、人生での学びがあり、魂の成長がある。

簡単に答えを出してもらえる、教えてもらえるような楽ばかりをしていたら、魂の成長などしようがない、ということ。

このことをよくよく深く理解し、腑に落とさないといけませんね。



 … つづく。