シルバーバーチ 感想3 神仏と、人類社会と、一個の人間と …  | LEO幸福人生のすすめ

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人間は戦争が起きると、「なぜ大霊は戦争をやめさせないのか」とか「なぜ未然に防いでくれないのか」と思うようですが、大霊の摂理を無視している以上、責任は人間自身にあるのです。


これもよく聞かれる、神仏への不信、無理解の言葉ではないか、と思います。

確かに、世の中のあまりの悲惨や理不尽を見る時に、
もし神がいるのなら、なぜそうしたものを一掃してくれないのか。中にはあまりにも酷いこと、残虐なこともまかり通っていたりするのに、それでも神はなぜ沈黙しているのか、といった不信の言葉。

シルバーバーチはこれに対して、

なぜ大霊(神仏)は、人間の戦争をやめさせないのか。なぜそれを未然に防いでくれないのか、と人は疑問に思うようだけれども、

大霊(神仏)の摂理を無視している以上、そうしたことが起きる原因は、人間にある。人間自身が作っている。
ならば、その責任は人間にあるのではないか。神に責任があるのではなく、人間に責任があるのだ。
そこを勘違いして、神仏を非難したり、不信の気持ちをぶつけるのは、筋違い、ということかと思います。

これは確かに難しいテーマであって、神への疑い、宗教への不信を述べる人は、よくこの手の不満を述べていますしね。
神が世界を創られたというのなら、なぜ悪があるのか、悪がのさばっているのか、といって、それを、神仏を信仰する必要が無い根拠のように、激しく訴える。
「カラマーゾフの兄弟」に出てくる無神論者イワンのように。


神仏は何故、戦争を止めないのか。強制手段を取って、何かしらの奇跡を起こして、止めてはくれないのか。
なぜ戦争が起きる以前に、それを止めようとはしないのか。


この疑問は、前記事で述べた、


人が苦しみの中にある時に、なぜ高級指導霊は、直接的な言葉でもって導いてはくれないのか、ということと、テーマ的には同じこと、相通ずる同一テーマのようにも見えます。

なぜ、地上で悩んでいる人に、そこから救われる指針を、パッと教えてくれないのか。

地上で起きている様々な不幸、争いごと、悲惨、戦争を防ぐこと、などを行なってくれないのか。

なぜ高級霊はやってくれないのか。神仏はやってくれないのか、という不信というか疑問。



こうして並べてみると、この疑問には、明らかに、他者依存、神仏依存、高級霊依存の、他力本願的な気持ちが前提としてあって、自分の努力、という視点が弱いことに気づきます。

確かに、人間一人の力は小さい、たかが知れている。

だからといって、自分は無力なので何もできません。
けれども、高級霊である貴方なら出来るはずです、天使の貴方なら出来るはずです、神なら世界をひっくり返すことも出来るはずです。
なのに、なぜやってくれないのですか? と言っているように見えます。

そして、それに対する自分の努力に対しては、

自分には何の才も無いし、ちっぽけな存在に過ぎないので、凶悪な人間の犯罪を止めることも出来ないし、ましてや戦争を止めることなど出来っこありません、といって、自分はささやかな努力すらしないでいるのだとしたら … 。


自分ではやらずに、すべては神任せ、天使任せ、高級霊任せ、あるいは守護・指導霊任せ、という思考パターンに陥っている状態ではあるまいか。

とも考察できます。


わたしたちは、救いを求める時、導きを求める時、
自分自身には、その問題を解決する力が無い、どうしたらいいのか、といって嘆き、それが苦しみとなるけれども、
そこで答えを聞かされたら、その瞬間は有難いかもしれないけれども、こういう生き方に甘えてしまうと、次の似たような機会にも、やはりまた安易に救いを求めてしまい、自分の力で考えて、努力して乗り越えよう、という精神が希薄になってしまうのかもしれません。

それゆえ、天使たちは直接的な介入はしない。高級指導霊は介入しない、してはいけない、しない方がいい、してしまっては、本人のためにならない、という原理が存在するのかもしれません。

それが大きな問題としては、神仏が、神にしか成し得ないような大きな奇跡を引き起こして、人類社会の不幸を一気に決してしまう、なんていうことも起こさない理由とつながっているのではないでしょうか。


わたしたちは無論、人それぞれ、持っている才能にも大きな違いがあり、ささやかなことしか出来ない人が大半かもしれません。

けれども、それならそれで構わない、というか、その第一歩を踏み出すことも出来ないでいる場合に、人は苦しみの中にあり。
しかして、自分に出来る善行為の中に、人生を生きている人は、神仏のもとで生きているという自覚があり、喜びがあり、幸福な生の中に生きられるのではあるまいか。

大切なのは、自分に出来るかぎりのことを行なう。同胞たちのために、ということなのだと、あらためて思います。
こうして、人としての基本、一個人の人生の原点に、ふたたび返ってくる。来ざるを得ない。


なぜ人間は戦争をするのでしょうか。それについて皆さんはどう思いますか。なぜ悲劇を繰り返すのでしょうか。その原因は何だと思いますか。どうして人間の世界には悲しみが絶えないのでしょうか。 その最大の原因は、 … 


シルバーバーチ霊は、人間が戦争をする理由、人間世界に悲劇が繰り返され、悲しみが絶えない理由はなぜだと思いますか? と交霊会の参加者に問いつつ、みずからの答えを述べてくれています。


その最大の原因は、人間が物質によって霊眼が曇らされ、五感という限られた感覚でしか物事を見ることができないために、万物の背後にすべてを一つに結びつけている大霊が存在していることが理解できないからです。人間は何かにつけて〝差別〟をしようとするため、そこから混乱が生じ、悲劇が生まれ、そして破壊へと向かうことになるのです。


人間が五感煩悩に振り回されて、肉の目でしか物事を見ず、相手の人間を見ないから。
外見のみで判断し、肌の色で人種差別をし、その奥にある、すべての人の魂の奥底にあって、それを結び付けている大霊(神仏)の心が、見えていないから、わかっていないから。

そうした認識力の低さから、互いに争い合う誤解が生じ、それがさまざまな悲劇や、破壊、戦争を生み出しているのだ、ということ。


これを無くすには、どうしたらいいのか。

究極的には、すべての人間の魂が、一定レベル以上の悟りを得て、人はみな兄弟姉妹なのだということを実感をもって理解できる時を待たないと、全人類の和解までは行かないのでしょう。

そこに至るためには、まずは一人一人が、悟りの階梯を、一段でも、一歩でも、登り、前進してゆくしかない。
一人が一歩進めれば、わずかであっても、人類全体が少しは前に進むことになる。大勢が進めば、その分だけ、確かに人類は進化しているはずです。精神的な進化を遂げているはず。

途方もなく、果てしない時間がかかる目標のように見えて、もっとも根本にあるのはやはり、こうした一人一人が、精神的に目覚めてゆくこと、が基本中の基本なのだと考えざるを得ないように思います。


相互扶助の摂理を通してこそ、地上世界に天国 が到来するようになるのです。 いつの日か、地上のすべての人種が差別なく混じり合うようになるでしょう。どの人種にも、果たすべき役割があるからです。それぞれが人類に役立つものを持っているために、すべての人々が混じり合うようになるのです。霊眼を持って見れば、すべての人々がそれぞれの人種の長所と、独自の文化と、独自の知恵を持ち寄って調和のとれた生活を送るようになる日が、しだいに近づきつつあることが分かります。


民族にまたがる大目標として、上のような大いなる理想がある。


その前段階として、個人の生き方としては、次のような言葉が述べられています。

生きる意欲を失くしている人のところへ出かけていって元気づけ、疲れた人に眠る場所を与え、飢えに苦しむ人の空腹を満たし、渇いた人の喉を潤し、暗闇に閉ざされた人の心に明るい真理の光を灯してあげることです。そうしたことを実行しているとき、あなた方を通して大霊の摂理が働いていることになるのです。


他の人への愛に生きなさい、と言われている。

どのような奉仕でもかまいません。大霊の摂理の霊的な意味を教えてあげることでも、飢えに苦しむ人に食べ物を与えてあげることでも、あるいは暗い心を明るくしてあげることでもよいのです。人々のために役に立ちさえすれば、どのような方法であってもかまいません。 自分のことを忘れて他人への奉仕を優先すればするほど、それだけ霊性が発達します。それは、あなた方一人ひとりの内部に宿る大霊が発揮されるということです。


ささやかなことでもいい。それが愛の気持ちになされていることかどうかが大切なのだ、ということ。
愛に生きること。
それが、わたしたち一人一人の霊性の発達につながっている、ということ。
そういう生き方をするときに、働いているのは一個の自分であるように見えて、実は私たちの中におられる大霊、神仏の愛が働いているのだ、ということ。

わたしたちが、愛に生きるときに、神仏はわたしたちという一人一人の人間を通して、実は働いてくださっている。

神仏は、なぜ戦争をなくさないのか、悲惨をなくさないのか、そのために何かを成してくれないのか、ではなくて、

一人一人の人間が目覚めて、神仏の思いを体現して愛に生きる時に、実はそこで神仏は、この世界をよりよくするための救済行動を、実は行ってくれているのだ、ということ。

この視点は、とても大切ではないか、と思います。

人間に任せて、ほったらかし、知らんぷりをしているわけではなく、
それは、人間側の無理解、誤解、無知による勘違いです。

そうではなくて、神仏や天使、高級霊は、地上に生きている人間の目覚めと働きを通して、言ってみれば間接的な方法でもって、つねに働いてくださっているのであり、
しかもそうした在り方でもって、一人一人の人間が、さらにいっそう優れた霊的覚醒を経て、魂が進歩してゆくことも、同時になさしめてくださっているのではないかなー。

などと思ったりするのでありました。




 … つづく。