昨日の記事に、温かいコメントありがとう~☆
でもねー、最近は、わたくし、夕飯作ってないよー
ゆうべは、イカ団子揚げましたけど、基本的には、平日の夕飯はのっぽが、週末の料理はわたくしがしています。
だって、時間がないんだもん。
基本、帰宅は20時半、ちょっと遅くなると21時だから、そこから作ってたら大変~。
わたくしよりは先に帰るのっぽが作ります。
その代わりと言ってはあれですが、朝食の準備
(カフェ沸かして、オレンジジュースの生絞り作って、ブリオッシュやクッキー用意)と、
のっぽが持っていくフルーツやパニーノの準備と、夜洗った鍋などを片付けたりは私がします。
つい最近まで、夕飯もわたくしが作っていました。
去年のクリスマスのモデナ旅行の後から、変わったかなー。
旅行の時に、ダッシュで電車を乗り換えしたり、ピサからフィレンツェまで電車で自分で行ってみて
毎日の大変さがわかったようでした。
ゴミ捨ても、以前は私がしていましたが、今はのっぽのお仕事
フルタイムの共働きだと、どう分けるかはご家庭次第かと思いますが、家事も分担ですよねー。
行ってきました、宮殿に。
なんちゃって。
ここは、昔の修道院。
旧カルトジオ修道院。(カルトジオ修道会)
貴族も住んだことがあるので、まるで宮殿です。
ま、いつの時代も宗教と政治家はつながってますしね。
こんな杉の行列にお迎えいただき、道を進むと、
はい、到着。
この辺りをジョギングや散歩をする人たちもいます。
のどかで、良いところなんですよ~。
ピサ人たちは、この修道院を名前で呼ばず、チェルト―ザと
ここの土地の名で呼びます。
というのも、
こんな風に、
この辺りといえば、この修道院だから。
13世紀に建設、現在は最盛期の16世紀のものでできています。
右半分が、修道院&薬局&宮殿部分、
左半分が、ピサ大学管轄の自然史博物館です。→大人も楽しかった博物館
建物の前には、オリーブの木陰があって(オリーブ畑ではない)、ピクニックしたり。
この畑の前が、自然史博物館です。
修道院は、ガイド付きで(イタリア語)で案内されます。
修道士が集まって、食べていた食堂や、
一人で住んでいた修道士の家にあたる場所の見学(寝室、作業場など)を見ることができます。
このおひとり様修道士の家が、ちょっとね独房チックなんだよね~。
外から、棚に食事が配給されたりしていましたし(お互い顔を見ることはありません)。
祈ったり、工具を使って作業したり、中庭でちょっとした農作業をしたり。
今回は、普段見るだけの中庭にも降りて、その奥の建物も見ることができました。
修道士って、祈って、ゆっくりとした時間が流れるのかと思っていたら、
早朝から、寝る時の間に数回祈りの時間があるようで、礼拝堂までいったり、意外に忙しいスケジュールでした。
現在の建物は、16世紀のものですが、13世紀のころはこの溝の底くらいの低い場所に立っていたそうです。
後に、かさあげしたんだそうです。
礼拝堂が連続して続いているのですが、その礼拝堂の床のデザインが1つ1つ違います。
大理石は、カッラーラの石を使っています。
とある、礼拝堂の入り口にある、白い矢印の部分。
穴になっていましてね、
修道院のエライお方が、どの修道士が礼拝に来ているか、
中に入らなくても、わかるための穴なんですって。 怖~
覗き穴。
こちらは、どの修道士が、どの礼拝堂にいるか、
右側に場所を表示した棒をニョキッとだすことで、今使っている部屋はどこですよーとわかるようになっています。
(どの修道士が使っているかは、修道士の名前プレートを移動させる)
基本的に一人で祈るため、誰がどこを使っているかわかるように。
食事の時は、独房みたいなところに住む人は一人で、
それ以外の人は、大きなホールに集まって食べます。しかし、一言も言葉を交わすことなく、無言で。
意外に拘束されてるなーなんて思いましたが、
当時は、職が見つからない人、家族の口減らしで修道士になる人もいたようで、
信仰心のみの動機でない人もいたので、必要だったのではないでしょうか。
上の写真の白矢印には、修道士たちが手を乾かす手拭きが掛けてあったそうです。
左下の絵の下のところに蛇口があって、手を洗っていたそうです。
えらい高いところに、手拭きを設置してたんですねー。
当時の人はそんなに背が高くなかっただろうに、だらーんと垂らしていたのかなー。
こちら、貴族の方がお住まいだった場所で見た絵。
映画「インフェルノ」ででてきた絵に似てます。
貴族の住んでいたところは、とってもゴージャス。
家具もベッドも、思わず見入ってしまいました。
この日は、普段見れない2階の複数の礼拝堂にも入れまして、
小さな部屋なので、だまし絵になっていたり、
別の礼拝堂には、人物がかかれているのですが、
まるで、目で追われているように、部屋のどこにいても、その人物と目があうようになっていたり。
とある部屋には、亡くなった修道士を運ぶ、担架まで。
当時の担架は木でできていて、ごつかったです。
実際、使われていたものを見るのって、ちょっと怖いですね。
現在の入り口は、後からできた入り口で、建てた当初はこの門を使っていたそうです。
フィレンツェで有名なサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局のように、
この修道院も、薬局がありまして、
昔は、一番最初の写真建物の地下一階にありましたが、一般の方は、修道院の中に入れないので
薬を提供しづらいということで、修道院の向かいにある建物(敷地内です)に移動したそうです。
はい、こちらがその薬局。
薬の中には、貴重なものなのか、はたまた危険なものだからか(薬は毒ですから)
カギを持った人しか使えないように、鍵付きの引き出しに入っている薬草などもありました。
はい、全体像。
広い。
巨大、立派。
世界遺産の奇跡の広場を見て、ピサの斜塔をのぼるのも、重力を感じられるおもしろい経験ですが、
普段知ることのできない修道院の世界を垣間見たり、
中世の栄華を感じられる、ここも楽しいと思います。
ガイドさんにより、案内時間が結構違いまして、短いと1時間-1時間半なのですが、
熱いガイドさんになると、2時間半なんてことも。
今回、熱いガイドさんにあたりまして、2時間半。さすがに、長すぎるわ、って思いました。
途中、別のガイドさんに案内されている人たちとかちあっちゃったし(笑)
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