今日は更新が遅くなっちゃった~。

ありがと~ございますヾ(@°▽°@)ノ 昨日も、どうもありがとう♪ヾ(@^▽^@)ノ
もうね~、どんな反応が来るのかって、実は、すっごいドキドキしてたの~!!!

いいねを押してくださったり、ランキングバナーのほうを押してくださったり、
FBのほうにも「いいね」してくださったり、すごくうれしかったです!ありがとう!!!

自分でFBページに、"いいね"するのもなぁと思って、してなかったんだけど、
ブログを読んでくださってる方が、"いいね"してくださってるかもしれないもんなぁと思って、
わたくしもさっき「いいね」してきました。
というのも、"いいね"してくださると、名前やプロフィール写真わかっちゃうじゃない?
(といっても、私が見ても、どなたかわからないけれども)フェアじゃないよなぁと思って、ぽちってきました。

さ~、これであなたも、わたくしのプロフィール写真が見えるよにこまーく。
でもわたくし、イタリア来てから4-5キロ太ったから、実際はちょっと印象違うかも。
そうね~、今の私は、先日の顔がパンパンの時のイモトaya
うん、近い。

それで、気が付いた。
今日のブログ記事にのせるつもりの写真、いけね、先にFBに載せちゃったわあはは
これから、いつブログに書いて、FBや添乗員のサイトにのせるか順番を間違わないようにしなくてはうっとり

添乗員のサービスについては、基本的に個別対応になるかと思います。
こういうお仕事って、商品開発と同じで、不便を改善したり、要望を現実にしようとすることが新しいサービスにつながっていきます。
そのため、「あ~、ここはこうしたほうが、わかりやすいんだよねぇ。」とか
「これね、追加したほうがいいよ。」なんてことがありましたら、いつでもご指摘・ご連絡ください。


さて!
誕生日に行ってきたところ、第一弾。
わたくしが、前からず~っと行きたかったところ。





このカプローナの塔のある地域でございます。





ここ。
宮殿




にみえるけど、元修道院で~す♪
ね、十字架や、バロック様式のファサードの上部に、マリア様が。





で~ん!端っこから撮っても、全体が入りきらないほど大きな修道院。
「なんだ~、西洋のお寺さ~ん?」って思うかもしれないけど、ちゃうねん!

本当に中が、宮殿やの。
さすが昔は、宗教と政治が一体だっただけあって、豪華。
ローマにあるようなピンク系の大理石やゴールドのきらびやかな感じとはまた違うんだけど、
一目で見て、お金かかってるな~ってわかります(笑)

メインは、修道院、教会部分なんですが、サヴォイア王家の人たちが使っていた宮殿仕様もあります。

この建物、正面がまっすぐなんで、小学校の建物のように四角かと思うでしょ。





こんなん、なってますねん。
すごいね~。修道院なら山の上の辺鄙なところとか、崖の上にありそうだけど、
政治が関わってますから、平地にあるんだな。
完全に、巨大な宮殿にしか見えませんね。

1366年5月30日に当時のピサの大司教の指示で、この修道院を設立しました。
栄華のピークは16-17世紀。





今日の記事は、この建物の東、真ん中より右側について。
左側には、別の施設が入っています。左側の施設もおもしろいので、次回ご紹介しますねにこまーく。

こうしてみると、四角く回廊つきの中庭(キオストロ)があって、修道院だとわかります。

右側については、完全ガイド制(イタリア語)。
建物の中は撮影禁止だったので、写真はありませんが、ゴージャスな礼拝堂がいくつか続いています。
1つ1つはそれほど大きくないのですが、各礼拝堂ごとに床に異なるデザインが描かれています。

宮殿部分では、貴族の寝室や、絵画なども見ることができます。
バルコニーには出られませんが、当時の統治者気分で、2階からの景色もみられます。
こういう広い建物の場合、上からしか見えないものってありますよね。
上からの景色は、実際お越しになってご覧いただくとして、


わたくしが楽しみにしていたのは、修道院部分。





中庭には、お決まりの噴水が。
離れて写真を撮ってますが、近くまで行ってみることができます花





ふと振り返ると、17世紀の教会がそのまま残っています。
もう使われていない、ふる~い時計に、時の流れと、ちょっと怖さを感じますね。





バッチリ取るのは、はばかれたので、端っこを。
修道士の墓です。

お墓、中庭の入口部分にあるのよね~。
ローマに修道士の骨でできた礼拝堂や内装の骸骨寺があるんですが、
神聖とはいえ、骨を使ったり、こうやってどくろを置くという感覚は、ヨーロッパだなぁと思います。

当時は土葬だったので、20年とか30年といったある一定の年月をすぎると、
亡くなった修道士さんをその上に埋めていたそうです。
前の人の骨は、掘り起こさないんだ~と思ってたら、
イタリア人ガイドさん曰く、
「もう亡くなってしまったら(もう終わりで)、あとは気にならないですから。」って。
まわりのほかのお客さんも「そうだね。」ってうなづいていました。

こういう会話から、「へぇ~、やっぱりキリスト教って輪廻の感覚がないんだ~」と、異文化が垣間見えたり。

修道士の大食堂もあります。
ぐるっと部屋を囲むようにして、固定式のイスがあり、
そのイスの中の一か所からだけ、説教台に登れるドアが隠されています。





中庭から、修道士の実際の生活していた部屋へ。





ん?この窓は?
中にマリア様を祀(まつ)ってありそうな雰囲気ですが、





実は食べ物を置く棚。食事は、こんなドアから支給されます。
これは裏側。質素だ。

修道士の住んでいたところは、1人1人隔離されていて、表現が悪いけど、まるで独房。

一生、誰にも会うことなく、祈りで生涯を終えます。
建物の全体写真まで戻っていただくと分かるのですが、隣とは壁が。





入ってすぐには、井戸、畑があります。
部屋の中も入ることができて、3部屋ありました。





1つは、修道士の、生活と祈りの部屋。
これは、食事をする時の折りたたみ机です。
狭い部屋ということもありますが、食事は良いことの部類には入らなかったからかも。





もう1つが、作業をする部屋。
部屋と言っても1畳よりやや広いくらいの細長い場所です。
誰にも会わないので、何かが壊れたりしたら、自分で直すしかない。
なので、工具などもあります。
もう1つが寝室。6畳くらいの広さかな。

ガイドさんが、説明の度に、カギを開けて中に入り、終わると鍵を閉めて移動。
こうやってされると、なかなか見れないところに入ってるんだぞ~的な、特別感がありますね笑う

ガイドさん曰く、当時は、外で、貧困で苦しんだりしているよりは、
教会にきたほうが安全で食も与えられ、いいところだっただろうって。
食や行き場に困った人が来たりしていたんだろうなぁ。





とはいえ、なんとゴージャスな門よ。
近くで見ると、壁や柱の装飾がとっても立派。





この窓、1つだけ、本物じゃなくて絵で描いたものがあります。
そう、なんちゃって、窓。

これの説明を聞いたとき、「ジェノヴァみた~い!」って思っちゃったうん
ジェノヴァには、書いた窓とかありますもんね、おやびんさん

メイン棟の向かいには、当時の漢方(ホメオパシー)の本の部屋や、薬局などがあります。





次回は、この元修道院の庭から見える、元修道院の屋根裏部分(矢印)の施設をご紹介。
修道院の西側は、ピサ大学所有の、全然違うものが入っているの~。

昔はこの透明部分も壁だったから、なかなかの閉塞感ですね。
修道院見学は、だいたい1時間くらいかな。


この修道院の入り口付近は、





ピクニックや日光浴で、リラックスできます。
中に入らなくても、ここに遊びに来るだけでもいいかも~。

ここを抜けると、





日光浴したくない、ご年配の方が、木陰で鈴なりに座っていましたうん
では、次回に続く~




これからゆっくり昨日のお返事させていただきますね~♪
イタリアは色々なことが日本のようにはスムーズに行きませんが、がんばってみます☆
今日も読んでくださってありがとう!
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