こんにちは。
お立寄り頂きありがとうございます。
野外散策の続きです。
ハギもよく咲いていました。
街でも見かけるムラサキシキブの実も沢山実っていました。
ムラサキシキブの花は6月頃咲きますね。
お花の色も紫色です。
名前の由来は平安時代の女性作家「紫式部」ですが、この植物にこの名が付けられたのはもともと「ムラサキシキミ」と呼ばれていたためらしいです。
(「シキミ」とは重る実=実がたくさんなるという意味。)
「日本の花のエッセンス」の講座ではエッセンスの植物を戸外で実際に見るのですが、回を重ねていくうちに植物への興味が深まっていっているようです。
現在の植物観察は生息場所、環境との関係、色、形の他に伝説、神話、民間伝承など12の視点から見ていっています。
その後、エッセンスを摂りながら、その定義や性質についてさらに理解を深めていくことになっています。
テーマとしては取り上げていないツユクサなのですが、今回の散策でとても目に留まりました。
子供の頃にツユクサの青い花汁で遊んだことなども思い出しながら、ツユクサも観察対象となりました。
畑の隅や道端で見かけることの多い身近な植物です。
日本全土、アジア全域、アメリカ東北部など世界中に広く分布すると記載されています。
ツユクサの植物観察はまだ途中なのですが、今日のシェア会の内容を少々まとめてみました。
高さは15~50cmで直立することはなく、茎は地面を這っています。
開花の時は花弁は折りたたまれた翼を広げるようなイメージがあります。
1.5~2㎝ほどの青い花をつけます。
花弁は3枚あり、上部の2枚は特徴的で青く大きいが、下部の1枚は白くて小さく目立ちません。
雌しべが1本、雄しべが6本で成り立っています。
6本の雄しべの内、上方の3本は花糸が短く、葯は目立つ黄色の「X」字形をしています。
下方には楕円形の葯をもつ雌しべとほぼ同じ長さの長い雄しべが2本あり、「Y」字形の葯をもつ雄しべが1本、中間の位置にあります。
花を閉じるとき(閉じるというよりしぼむという表現が適切かもしれません)2枚の青色の花弁は融けていくように小さくなっていき、最終的に萼に包まれます。
まずは遺伝子の多様性を確保するために昆虫による他家受粉を目指し、昆虫が来ないときはしかたなく自家受粉するという仕組みを持っているようです。
これはもうすでに実がなっています。
花の名前の由来は、朝咲いた花が昼しぼむことが「朝露」を連想させることから「露草」と名付けられたという説があります。
英名の「Dayflower」も「その日のうちにしぼむ花」という意味を持つそうです。
ツユクサは、古くは日本人にとって身に着けるものを青く染める花であり、その青が色褪せやすいことから「移ろいやすさ」を連想させる花として『源氏物語』にも登場します。
万葉集では9首詠まれています。
万葉集などの和歌集では「月草」の表記が多いです。
さて、この「ツユクサ」の「露」ですが、日本人は「露」に対してどのようなイメージをもっているのでしょうか。
興味深い記事があります。
http://www.nikkoku.net/ezine/kotoba/index.html
露は朝日にあたるとはかなく消えてしまいます。
「露」は万葉集以降の和歌に数多く詠まれているようですが、命のはかなさ、人の世のはかなさの象徴として詠まれています。
露は儚きものの象徴でありながら、一方では「菊の露」「蓮の露」といった不老長寿、極楽往生の喩にも使われています。
この世に於いては儚いものを表すがゆえに、あの世に向かっては永遠の象徴でもあり得るという両面性、両極性をもっているのかもしれません。
ツユクサの青を「天(空)の青」「魂の輝きの青」「真実の青」と見ると、ツユクサにもこの両極性を見ることができるかもしれません。
野外観察の感想シェア会でのツユクサの話が長くなってしまいました。
ヒガンバナやヤマハギのフラワーエッセンスについて書きたかったのですが、また次回に。
露草のかそけき花に寄りてゆく心の行方ひとり喜ぶ
〜窪田空穂〜
昔から多くの人に愛でれてきたツユクサ
まだ咲いていますので、ツユクサの花を見かけたら、少し足を止めてみるのもいいかもしれませんね。
今日はお彼岸の中日で、おやつは「おはぎ」
手作りのおはぎは和みます(*v.v)。
差し入れありがとうございました
最後までマニアックな話にお付き合い頂きありがとうございました
明日も佳き日でありますように